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続・自分に理想をもつこと

この間、18日かけて自分の見えたい姿を20個書き出して、日記にまとめた話を書きました。
なんだかスキしてくれた人がいっぱいいたのですが…(ありがとう存じます)
わたし自身は、引き続きモヤってました。
何故なら、自分を容認できない自分が理想を持っている可能性、という部分が釈然としなかったからです。

というのは、わたしはあまり母から自分自身を褒められた経験がなくて。反面、「優秀な私の子供ができない子なわけない」みたいな大概イタいロジックで、優秀であることを要求されてはきていて。
しかしずっと御要求に適わない子供だったわけです。そりゃそうですね、わたしの事じゃないんだし。

大きくなってからは、わたし自身をほめられたりしたけれど、小さい頃の失望させた時のリアクションのインパクトの方がずっと大きくて、褒められると嬉しいより安心した覚えがあります。

自分がどうありたいか以前に要求に応えられるかどうかが重要で、わたしにとって、長らくあるべき自分とは常に「母の要求」が大前提だったわけです。

一方で、彼女自身の教育によって、わたしは小さい頃から自分の考えを持つ訓練をされた子供でもあって。
これはいいことなんですが、こちらとしては、感じた違和感は申告するわけで、なんというか本当、地雷原みたいな幼少期を過ごしました。気分は紛争です。
複雑な自我を未成熟な社会に対して持て余した女性の影響を受けまくった矛盾の塊がわたし、とも言えるかもしれません。

大学のスクールカウンセラーには「あなたは本当に正常な人だけれど、話して泣く場所が必要だから週一おいで」とかめっちゃ同情した言葉で慰められ、週一吐き出させてもらったりしていました。
逃避のために(言い切った)、小6以降7年くらい&一年とんで大学4年間、年間350冊以上の本を読んでいました(重複あり)。
そんなわたしが自己を承認できずにきたのは、ある意味当然の帰結と言えるのではないかと思うのです。

しかし、そんな母との分離を始めて幾年月。
正確にいうと離婚が成立した年からなので7年くらいでしょうか。

ようやく自分を認めようという運動が実りつつあり、わたしは20の形容詞(または形容動詞)を獲得したわけです。

これって本当にわたしにとっては画期的なことで。
自分を見つめるとかナニゴトって感じ。

だからさとゆみさんにはやっぱり感謝してるし。
この後の自分には、少し期待してもいいのかな?って思ってるんだ。

今度こそ自分のものだから。

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