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さよならテレビを見てきた

東海テレビの「さよならテレビ」を見てきた。
褒めてない方の意味でめちゃめちゃ面白かった。どこまで意図的なのかわからないけれど、そもそもめちゃめちゃフワッとした企画(「テレビの今に迫る」みたいな)で、監督は最後まで何を撮っているか自分の言葉で説明できない、あるいはしない。寧ろ再度問いかけられた時に「え…それ初めに説明したし」とでもいうような沈黙すら披瀝する。
しかし、要するに、狙いがフワッとしているからこそ、無意識に露呈する物がとてもうまく撮れている。そこが面白い。

わたしはこの映画は「さよならテレビ」というよりは「さよなら報道」なんじゃないかと思う。利潤追求の会社組織、三六協定、根拠の無い方針と数字目標、評価基準は常に視聴率。毎日、規定の尺を満たすべく垂れ流される有為無為の情報と制作。過ちを放送事故と呼び変えてミスを繰り返すも見直される様子のない制作体制。
そういう現実の下で作られているからあの程度なのねと言えばそれまでだが…。

そもそも冒頭から「合意なき取材」とかどこのブーメランだって抗議をくらい尻尾を巻いて逃げ帰る監督が面白すぎる。自己と向き合いたくない古株の恫喝に見直しを余儀なくされ、身内だからと甘い基準の下で取材規模を縮小して敢行された撮影は、何を言いたいのか曖昧な状態が長く続く。冒頭で企画書見せてくれたので「これがテレビ局なんだー」と社会科見学気分で眺めることができ、そういう意味ではそれなりに楽しい。また、最後の方でザーッと種明かしみたいな声の演出が入り、メタ的な状態に観客を放り出して終わるのは良い手だと思う。そこで少なくとも編集の段階では、良い者悪い者の二項対立を作ろうという意図があったらしいことがわかる。確かにフォーカスされる3人、スケープゴートのアナウンサーと弱者の見本?みたいな若手と報道の信念を胸に秘めた契約社員の扱いは、なんというか、「民放ドキュメンタリー番組」風の作為がプンプンする(是非ネタばかりのはずの契約社員が共謀罪に取り組み出したのは少しばかり唐突すぎた)し、彼らもそれをそれなりに受け入れて出演していることが示される。でも正直言って誰が悪者なのかは全然わからない。怖いデスク?リーマンな側面?無関心そうなその他大勢?

結局、ドキュメンタリー制作側も含めて、彼らはテレビという名の全世帯に据えられた受像機の影響力の強さと流れ込む金の大きさに、未だに麻痺し続けているのだな、と映像を見ているこちらは思う。「喫緊の情報伝達」「弱者救済」「権力の監視」などとお題目のように繰り返して見せながら、そのどれもを大なり小なり裏切る様を映し出す。なかなか小綺麗な構造ではある。そしてそういった「テレビ向けの現実」を最後に批判する契約社員の姿を敢えて長く挿入し、共感のなさを見せつけて、その自己批判の無さを露呈してみせたのだとしたら、これほど成功したドキュメンタリーは無いだろう。「まだ」尽きない反響とスポンサー契約を背景に「誰の為の情報なのか」という角度からの選定なくただ垂れ流される情報の無様な有様や、撮る側も撮られる側も、視聴率という曖昧な数字に換算される視聴者の立ち位置に立ち返って「何を」伝えるのか考える気がなさそうな、そんな無自覚な姿を見せたかったのだとしたら、それは成功している。
第三者が発信することでお金を得ている情報には必ず色がついている。それを一枚ひっくり返して見せることが、何かとてつもないことをしたように感じているならば、なるほどこいつは根が深い。
ただし、日本の知の停滞は本物だ、というよりは、自己批判とはとかく困難なものなのだ、という方が正鵠を射ているだろう。

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