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チャリング・クロス街84番地

読書猿さんの今こそ本を読もう的なTweetで知った本。
大慌てで古本屋さんから取り寄せたら、江藤淳氏の翻訳だった。KO生が猿の代名詞じゃなかった時代の御仁ですな。

チャリングクロスロードといえば10年前はまだ普通に古本屋さんと新書屋さんと楽器屋さんが並ぶ小売街で。3 for 2 で英語の勉強になるペンギンやパフィンを選んだり、Sohoで夜中までライブを楽しんだあと、眠い目を擦りながらナイトバスを待つために出ていく通りだった。
迷宮のような古本屋さんもまだ何軒かあって、週末の美術館がよいの隙間に何度か立ち寄ってジョーン・エイケンの未訳のペーパーバックを購入したり、価値のわからない稀覯本を眺めたりして過ごした。

本書はそんなイギリスの小さな古書店の店員とアメリカ人の脚本家の女性の書簡集だ。
WWII後のイギリスの貧しさやアメリカの経済発展ぶりが垣間見れる。
そんな中で駆け出しのシナリオライターであった彼女がロンドンに本を求める。読み継がれ美しくあるべき書物というものへの愛と古典ノンフィクション文学への深い傾倒が彼女をチャーミングに彩る。
わたしが訪れた当時も、アンティークを買い漁るのは日本人とアメリカ人くらいと言われていた。中でも古本は安くて、中身は当然変わらず、最近の安手の量産ペーパーバックよりは美しいのに、稀覯本以外は見向きもされないものだった。

本書を読んでいると、ロンドンはその文化資産を売って食料を手に入れているようにも見える。しかし、主題となっている本の的確な批評や大西洋を越えた友情と親切さ、20年にわたる親交を見ていると、本というものに結ばれた信頼と友情の関係が、この封じ込められた3ヶ月の私たちが知っておくべき何かであるようにも思えてくる。
想像の余地というものについて力説していたのは、モンゴメリ女史のお嬢さんたちの誰かだったと思う。想像力で遠くまで羽ばたくこと。その力強さ。

本来の電話機能が後退した端末で簡単に写真を撮って瞬時に相手に届けられるこの世の中で、恐々手紙で親交を結ぶ様はなんだか微笑ましいが、果たして「あなたのお顔が見てみたいわ」なんて誰かに言って素敵な写真を送ってもらうみたいな奥ゆかしい好意の伝え方を、いったい何で代替して良いものやら。

セイヤーズファンとしては必読のジョン・ダンや古典の大家ばかりが頻出するあたりなど、まったくもって、筋金入りのアングロファイルにはたまらない一冊であるといえよう。
猫を膝に、ロンドンに飛んで行きたい気持ちでいっぱいになる幸福な読書だった。

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