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今年のこと

今年は、ほんとうに心から見たくないと思うようなことがこの島国社会ではたくさん起きたし、緒方さんや中村先生のような方々がこの世を去り、なんだかもうそれこそ賽の河原にでも打ち捨てられたような心持ちになることが儘ある、なかなか固茹でな年だったように思う。

世界では道化者のようなおっさんおばさんがしっちゃかめっちゃかしている傍らで北の方から「任せちゃおけない」とばかりに年若いリーダーたちが台頭したり、ある意味「ああこれが新陳代謝ってもんね」と剥がれ落ちる側でしみじみ感じ入ったり「いいぞもっとやれー」と無責任な声援を送ったり、どうすれば北欧のような心理メカニズムに移行するものだろうかと結構真面目に考えたり、それはそれで忙しい一年だった(厳密にはまだ終わっていないので油断はできないが)。

猫生活は、常日頃厄介ばかり引き起こす病弱ティム氏がそれなりに健やかに御坐す代わりに月嬢が肛門腺破裂なる猫老境奥義を唐突に披歴して召使いの度肝を抜き大いに反省を促すなど、やはり年に一回はなにがしかあるけれど、寒くなって来るにつれ二匹とひとりで団子になることが増えて、それはそれで猫充といえる。

学校は壮絶に馬鹿なミスでmeritが絶望になった時点で一度モチベーションが全滅し、そのあとはスレスレの成績しか取れていない。いくら払ってると思ってるんだ、と親みたいなことを自分の脳内で言う羽目になって苦笑したとかしないとか。
とはいえようやく全学費の支払いもようよう終わり、こればかりは誇るべきことな気もする。
お前あと2年は死ねないぜって死神が嘲笑う。死んじゃいけないなんて何年ぶりだろう。なんだか新鮮だ。

なんだかんだと甘やかしてきた自分に現実を突きつけるという意味では、2019年はやるべきことをしたのだろう。今ここで変われないとおそらくわたしはこのままなのだ。そんなことが許されるだろうか。
そして変わらなくてはならないという覚悟ができた時点から、少しずつ、補助の手が差し出されてたりもして、だからきっとわたしはこっちに進んでいくんだ、できるんだという気持ちになる。 いつか振り返った時に、あの時がんばって良かったと思いたい。

今年もあと7時間。やり残したことが3つあるのでそれを片付けて、すっきりと二年参りにでも行こう。

2020年から数年はきっと揺れ動く年になるだろう。越えたところに何があるのか、きちんと自分の羅針盤から目を離さずに進んでいけるように。未知の場所に降り立った時にワクワクする気持ちをなくさないでいられるように。

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