接待交際費としてのクラウドファンディング
クラウドファンディングやソーシャル署名運動みたいなものが広く使われ出してしばらく経つ。
友人によると、クラウドファンディングはその出資構成中1/3を主催の知人友人によるご祝儀的な出費で賄い、初速は主にこれが大半だと。
大変しみったれて聞こえるかもしれないが、わたしは「赤の他人としてでも応援したいと思う」場合しかお金も名前も入れない。自分が納得できないものをお付き合いで成功させても、責任も持てないし続かないと思うから。
逆にいえば、ちゃんといいと思う人が規定人数いれば、本当にいいと思っていない人間のお布施はいらんはず。
まあ、そういう態度でいると自分がいざ、クラウドファンディングする立場になった時に、お布施の入金/名前はきっと見込めないだろうけれど、逆に友達の優しさ成分でその時だけ成功するのって、長い目で見ると失敗かもな、と思うし、失敗した時は自分がそれだけの正味の支持を得るものを提示していないのだろう、と素直に反省できる気がするのだ。
その代わり本当に応援したいものは寄付控除なくても入金することにしている。クラウドファンディングは、本当にそれを実現させたい人達の小さな資本で世界を少しだけ居心地よく楽しくするためにあるんだという理想論を、少しでも延命するために。
一番頃合いのをポチって接待交際費につける、それはそれでひとつの考え方だとも、思う。持ちつ持たれつ楽しい事だけ共有する…という相手をたくさん作る器用さはひとつの才能だ。実際に、友達相手に社交っていうのもなあ、と思うわたしは友達と呼べる人間が少ない。
成功したら余計なことは考えないで、成功だ、支持されたと思う人も多いのだろう。やり遂げたことが結果、みたいな。
成功も失敗も、思考停止せずに受け止めるのはとても難しいものだと、歳を取るほど思う。
あやふやにすると怖いけれど、世界自体があやふやなら、そのまま生きて行くのもいいのかもしれない。
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