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肌に馴染まぬ水の流れゆく

BBCラジオは1分間に1回はCoronaVirus と吐き出すし、Twitterときたらほぼ2回の1回は今の状況の不満と美談と批判を垂れ流す。
猫たちは史上最長家に居る召使いに完全につけ上がっているし、召使い本人は、人間が如何に簡単に堕落するか、無職の時より鮮明に思い知っている。

世間には、類推可能な程度に理解力のある人と、猫より何を考えているかわからない人間がいる。それと同時に、恐らくは安全な側の人間とそうではない側の人間がいる。

人はFinancialized Society において人類の約10%が83%の富を独占している(Credit Suisse, 2019)と深刻げに貧富の差の問題を語るけれど、実は、残りの90%の人類だって、ぬくぬくと安全で、この状況においてもお金の心配なんかしてない人間と、そうじゃない人間に分けられる。UberEatsやAmazon、楽天を使って自分の巣を居心地良く整え美味しい昼食を食べる人たちは、それを届ける人達を危険に晒しているし、その事実をあまり気にしているようにも見えない。いま収入が途絶えた人たちは大量に配達業になだれ込んでいるとかいないとか。ギグエコノミーの報酬は必ずしも高いといえない現状で、こうしたリスクをどこまで担保できるのだろう。需要があるからこそ労働が成立するのだと言い切ってよいものか?
昔、道にタバコを弾いたから「道汚すな」って言ったら「掃除する人間に仕事を与えてやってるんですよ」って嘯いたクソ野郎の後輩がいたんだよね…。

政府の補償があまりに心許なく、あまりに企業依存で、バイトで家計を支えていたり派遣社員だったりする人には実質的になんの保証も補償もない状態を憂えてTwitterでトラフィックを増やしていたら、姉から「お金に困っているのか」というメッセが来た。10年近く会っていない筈なのに、肉親とはありがたいものだ。

しかし今のわたしはおそらく、そういうんじゃない。
でも、わたしにもバイトで出来る限り自分の支出を支える大学生だった時代があった(親の収入が良くて奨学金が受けられず、実家を出ることも許されなかったので家賃と学費以外は自分で稼いでいた)し、インターネットの仕事をするようになってから、キャリアのために自分から進んでではあるが、5年派遣社員だったのだ。
そういう記憶を簡単に忘れることはできない。自分が今安全ならいいってものではない、というか、自分が安全なら尚更そういうものではない。

人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。
サン=テグジュぺリ「人間の大地」堀内大學訳

長らくロアルド・ダールのFlying Solo と混同していたのだけれど、この春にこの一説を思い出した。
大学院のオンラインコースを取る事にした理由の一つを、暫定的にとはいえクリアした今、一刻も早く、状況を安定させて次のステップに、本当にしたいことに、進みたい。
何よりこれ以上自分に失望したくない。
そういう生き方を選んだのだから。
こういう時節に、焦っても仕方ないけれど。見失うな、という声がする。
現実を取り繕わず、痛みを忘れず、人を愛し、己の怠惰に諍い続けろという声がする。

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