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【連載・街を作った人 Vol.1】日本からビームスなどを招致、台北の住宅街に「富錦街」という新たなカルチャースポットを作った男

ホテルをとりまく業界の先輩たちから龍崎翔子が学ばせてもらう対談企画「ニューウェーブホテル概論」。その関連企画として「街を作った人」という連載を不定期で始めます。

最初にお話を聞いたのは、台湾で若者が集まる街を作った富錦樹(フージンツリー)グループの創立者ジェイ・ウーさん。台北の松山空港から徒歩10分の場所にある「富錦街」という街をプロデュースし、日本からもビームスなどを招致。何もなかった住宅街にたった数年で新たなカルチャーを生み出したのです。頻繁に日台を行き来するというジェイさんに、日本初出店の「富錦樹台菜香檳」で話を聞きました。

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ジェイ・ウー(Jay Wu)富錦樹(フージンツリー)グループ創立者/日本やカナダへの留学を経て、台湾の総合商社勤務を経て2014年に富錦樹グループを創設。台北の松山空港から徒歩10分の場所にある「富錦街(フージンジエ)」という街のプロデュースを行い、何もなかった街に選択肢を増やすため、日本からビームスなどを招致。現在までに20店舗ほどのカフェやショップ、レストランなどを展開し、街のブランディングに成功した。2019年には東京日本橋にある「コレド室町テラス」にはじめてとなるレストラン「富錦樹台菜香檳」を出店したばかり


何もない街にカルチャーを根付かせた

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龍崎:ジェイさんはもともと商圏ではなかった場所にブランドを集め、「富錦街」という街に新たなカルチャーを生み出しました。どうして「富錦街」で街作りをすることになったのですか?

ジェイ:ぼくは日本やカナダに留学した後、台湾で2年間セブンイレブンなどを扱う統一グループという会社に勤めていました。そこで新規事業開発を担当し、ビームスやプラザなどの日本企業の誘致を進めたり、佐藤可士和さんと組んでコラボ商品を作ろうとしていたんです。

龍崎:台湾にあらゆる日本カルチャーを持ち込んだのはジェイさんなんですね。すごい。

ジェイ:ぼくとしてはアパレル企業(の誘致)をやりたかったんですが、リーマンショック直後の時期で、うまくいかなくて。そんな時、ビームスから台湾を視察したいと連絡をもらって、ぼくが案内をしたんです。その担当者がぼくと同い年、海外経験も豊富ですぐに意気投合しました。最初は商品を買い取って台湾でポップアップをすることになりました。PRにも注力をしたので、日本と台湾のメディアにも大きく取り上げられ、結果として赤字ではありましたが(笑)大きな注目を集めました。これが功を奏し、その後いろんな日本のブランドから話をもらうようになりました。

その流れで、ビームスの台湾進出を本格的に手伝うようになったんです。でも、彼らはただ服が売れればいいのではありません。実は以前大手企業から台湾誘致の話をもらいつつも、世界観が合わずに断っていたほどで、最初のお店のブランドイメージをとても気にしていました。そこでぼくが目をつけたのが「富錦街」でした。台北で「SHIBUYA FASHION FESTIVAL(=シブフェス)」を開催した際に(ビームス社長の)設楽さんを「富錦街」に案内したんです。当時は住宅街で商圏もなく、夜の人通りは一切ありませんでした(笑)。

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「富錦街」の様子


龍崎:「富錦街」はどういう街だったんですか。

ジェイ:松山空港から歩いて10分。中心街からもバスで10分くらいの立地です。ただ、メトロがないので、観光客は少し行きづらい場所にあります。自然が綺麗なとてもいい雰囲気の街です。ただ、住宅街で空軍基地も近くにあって、商圏ではない。お店も一切なく、ここでお店を出すかどうかはかなり悩んだと思います。

龍崎:中心街でやるという選択肢もあったと思います。なぜこの場所を選んだのでしょうか。

ジェイ:最初のポップアップは中心街でやったのですが、家賃が高く、固定のお店を出すには契約ができませんでした。また、雰囲気を重視するので、居抜きでなければ借りたくないのですが、そのためには都心では利益回収ができなかった。だから、都心か郊外か、悩んでいたんです。そんな時に、サンタモニカ周辺の海岸の街へ遊びに行ったんです。そうしたら、郊外にもかかわらず、セレクトショップもコーヒーショップもインテリアも自転車屋さんもあって、これは面白いと感じました。ぼくが住んでいた「富錦街」をこうすればいいのかと。すでに開発された都心では一からこうした街作りはできませんから。誰もやらなかった街で、一から街を作ってみようと思ったんです。そこで、街中の空いている物件を手当たり次第おさえて、ぼくが最初のお店を作り、ビームスにも出店の打診をしたという流れです。その後も次々と店舗を作り、2012年7月に会社を創業して、2016年1月の時点ではもう20店舗くらいができました。

龍崎:すごいスピード・・・。そのうち自社事業はどのくらいですか?

ジェイ:10店舗くらいですね。かき氷屋さん、カレー、マッサージ店などを作りました。出店してもらう業態もさまざまで、ビームスのようなセレクトショップからジャーナルスタンダードのインテリアショップまで。アートブックフェアやポップアップイベントもたくさんやりました。


知名度のない街にブランドを集め、集客するための秘訣

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龍崎:台北の中心街など、面白い場所は他にもたくさんあったと思います。その中で、どうやって来てもらえる仕掛けを作ったんですか?

ジェイ:たしかに数店舗しかない新しい街に、わざわざ来る必要がないですよね。だから、最初は出店に力を入れていろんな業態を用意して、ブランドのバリエーションを見せる必要があると思いました。最初にターゲットにしたのが、金銭的に余裕があって、ライフスタイルにこだわる人々。目的なく遊びに来て、なんでもそろう街で、しかも駐車スペースがたくさんある。だから、彼らが高級車で買い物に来てくれるようになったんです。そうすると、そのイメージに憧れて街に来るという文化を醸成できて、訪れる人も自然と増えたんです。

龍崎:最初のお客さんを誰にするかが重要だと。

ジェイ:そう。ここに行けば今の台北がわかるんだという文化を作りました。「え、行ったことないの?」と言われるように。

龍崎:日本のブランドから見たら、出店の声かけをしてくる台湾企業は他にもたくさんあったかと思うのですが、なぜ富錦樹が彼らを誘致できたんですか?

ジェイ:それまでの台湾では、とにかく売れることが重要だとされました。だから、中心街では売れる店作りはできても、世界観のトータルディレクションは実現できませんでした。この街なら、ライフスタイル提案ができるというのは大きかったと思います。しかも、ぼくはこれまで台湾のクリエイターやファッションリーダーたちとたくさん仕事をしてきました。そういうセンスのいい人たちと日本のブランドをつなぎ合わせて、新しいコラボレーションをたくさんおこなったんです。そのつながりは大きかったと思います。

龍崎:なるほど。

ジェイ:(ビームス代表の)設楽さんが最初に「富錦街」を訪れた時は、いい街なんだけれど、誰もいないから集客できるのかと悩んでいました。だけど、かつてビームスが作り上げた「裏原」の文化と一緒じゃないかと。もう一度この街で一から文化を作らないかと相談をしました。

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台湾にある「フージンツリーカフェ」

ジェイ:実は、ぼく、最初はホテルを作りたかったんですよ。当時一番憧れたのがエースホテルです。気になってシアトルからポートランド、ニューヨーク、ロンドンまで、あらゆるエースホテルに泊まりました。よく見ると、ホテルのロビーがすごく快適で、コーヒーショップが必ずあって、自由な雰囲気が漂っている。コーヒーショップは誰でも使えるから、地元の人たちがここに来て、お客さんとの交流が自然と生まれていたんです。加えて、その地域にいいレストランやバー、セレクトショップ、花屋がある。どこのホテルへ行っても、必ずこうしたいくつかの要素が共通していたんです。だから、世界中から人が集まるんだと感動しました。だけど、台湾で同じことをやろうとしても、家賃が高くてできなかった。だから、都心で一施設に積み上げるのではなく、これらの要素を分解して横展開し、一つの街を作ったんです。コーヒーショップも料理屋もオイスターバーも花屋さんも作りました。いつかいい物件がみつかれば、ホテルをやりたいと思っています。

龍崎:実は私も、以前からずっと台南でホテルを作りたかったんです。台南って日本から一番近い海外のリゾート地と言えるじゃないですか。だけど、あまりホテルの多様性はない。だから、やりたいなと。

ジェイ:台南はいいですね。ぼくの生まれ故郷なんです。ぼくも台南か花蓮でやりたいな。エースホテルは治安のよくない地域に出店をして、感度の高いショップがまわりにできて、エリア全体の雰囲気を変えました。ホテルって生きた有機体みたいですよね。いろんなクリエイターと組んで、次々と新しいカルチャーを提案する。そうやってホテルが変わり続けることで、街がどんどん面白くなっていく。

龍崎:私たちも「ホテルはメディアである」という考えのもと、ゲストと街や人をつなげられるホテルでありたいと思っています。

ジェイ:ぼくがどこかへ旅行に行くときは、必ずその街の一番いいホテルに泊まるんです。そこで、一番おすすめのコーヒーショップやレストラン、バーなどを教えてもらう。そこへ行くだけで楽しい旅ができますから。ホテルの役割はそこにあると思っています。

日本には住んでいると気がつかない良さがまだたくさんある

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龍崎:昨年、日本橋に「富錦樹台菜香檳」を出店されました。なぜ、日本に?

ジェイ:「富錦街」で台湾料理店を作った時に世界中の台湾料理を研究したんです。そうしたら、世界的に有名な台湾料理店がないことに気がつきました。これはすごいチャンスだなと。だから「富錦樹台菜香檳」をグローバルブランドにしようと考えました。ロンドンやパリ、東京などに出店しようと。東京はその第一歩。これから世界中に展開したいと考えています。

龍崎:グローバル化の第一歩だったんですね。ジェイさんは長く住んでいたこともあるので、日本のカルチャーにも詳しいと思います。現在の日本のカルチャーシーンを見てどう感じていますか。

ジェイ:台湾の人たちは日本が大好きです。日本にはいいものがたくさんあるから。少しよくないのは、自由でない部分があること。束縛から解き放たれて、もう少し自由で開放的になれば、もっと価値が生みだせると思うんです。ぼくが日本でやりたいのは、ブランドをこうした束縛から解放して、いろんなケミストリーをおこすこと。それだけです。街だって綺麗すぎるくらい綺麗ですからね。もう少しグラフィックがあったり、夏には外で自由に遊べる場所があってもいいのになあと。

龍崎:日本に住んでいると、今も日本がアジアをリードしているんじゃないかと錯覚してしまいます。だけど、客観的に見渡すと、韓国のアイドルとか中国のメイクとか、日本以上のペースでいろんな文化が生まれてきているようにも感じます。台湾から見て、今のアジアのカルチャーはどうですか。

ジェイ:いろんな国へ行くと、やっぱりそれぞれの良さがあるんですね。ぼくも日本に4年住んでいたし、その後も10年間頻繁に来ていますが、今でも数カ月ぶりに来ると、新しい発見が必ずあります。住んでいるとわからないですが、日々変化があるんですね。たしかに韓国の発展は目まぐるしいですが、日本にもまだまだすごいところはたくさんありますよ。だけど、ちょっと束縛が厳しいから、日本にずっといると疲れる時もあります(笑)。そんな時には台湾に戻ったり、世界へ旅行に行きます。そうやってつねにアイデアが浮かぶような環境を作っています。

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台湾にある「富錦樹台菜香檳」


龍崎:少しずつ海外展開を進めているということですが、富錦樹にとって、今はどのようなフェーズですか。

ジェイ:最初にスピードを出しすぎた結果、人がついてこなかった時期がありました。業態もバラバラなので、人材確保も難しくて、しかもどんどん新しい店を出すから、社内からも疑問の声が出てきて。それで、一度失敗しました。だから、その後、販売代行のビジネスを辞めて、グループとしてやりたいことをリセットして考えました。今は新しい富錦樹グループとして、自分たちの強みを外に向かって発信していこうと思っているところです。

龍崎:いろんな種類のお店を出しているので、組織作りとか評価基準とか、社長としてはバランスをとるのがとても難しいんじゃないでしょうか。

ジェイ:とくに、パートナー探しは難しいですね。日本ではレストラン事業に強いWDI JAPAN(WORLD DINING INSPIRATIONS)と組んで合弁会社を作りました。だからこそ、日本で事業ができたんです。次は何か一緒にやりませんか。ぼくは新しいものが好きだし、つねに知らないものに興味があって、何をやろうかいつも考えています。とまることはないでしょうね。ずっと何かやり続けるんだと思います(笑)。

龍崎:ええ、ぜひ。京都でやりませんか。物件探します(笑)。京都って、世界中の人々が来るからこそ、観光客集めのためのコンテンツが多いんです。本当はいろんなもののクオリティがもっと高くてもいいはずなのに。京都に「富錦街」作ってほしいくらいです(笑)。本日はとても勉強になりました。本当にありがとうございました!

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対談を終えてーー
雑誌で、ガイドブックで、よく目にする「新しいカルチャーの生まれる街」の舞台裏を少し覗かせてもらいました。そこにあるのは街への愛と、カルチャーへの深い理解。街は決して自然発生的に育つのではなく、青写真があり、ポートフォリオがあり、その挑戦を正解にするためのあらゆる努力が影にはあったのだということを実感させられました。私たちは今まで、点で展開してきたのかもしれない。そろそろ面の展開をしていく時期なんじゃないかと感じました。

(文:角田貴広、写真:小野瑞希)

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