花火を愉しむ宿|HOTEL in HOTEL連載vol.5「川の家」
「HOTEL SOMEWHERE」というオンラインのホテルへ、いろんなホテルに出向いていただく「HOTEL in HOTEL」連載企画。
ここでは、CHILLNNに掲載されているおすすめホテルの方々に、「HOTEL SOMEWHERE」へと来ていただき、「HOTEL in HOTEL」へと題したホテルを提供しています。と言っても実際に空間はないので、この記事の中だけに存在するオンラインのホテルなのです。
今回は福岡県にある「川の家」のオーナー筒井時正玩具花火製造所の筒井今日子さんに寄稿いただきました。
・・・・・
筒井時正玩具花火製造所の線香花火の歴史。
花火を愉しむための「川の家」は筒井時正玩具花火製造所が運営しています。
当製造所は国内唯一の2種類の線香花火を製造する玩具花火製造所です。昭和4年筒井時正が創業し、約90年玩具花火を製造しています。昭和50年頃から安価な輸入品が国内流通するようになり、その価格に太刀打ちできなくなった花火業者は次々と姿を消して行きました。
当時、叔父の営む国内最後の線香花火製造所の「隈本火工」も例外ではなく遂に会社を畳む決断に…叔父の声かけで3代目の筒井良太が技術継承のため修行に行き、廃業と同時に道具や職人さん、全て引き継ぎました。
筒井時正玩具花火製造所の線香花火の歴史はそこから始まるのです。
試行錯誤の線香花火。
常に海外産の線香花火と価格の面で比較され、つくってもつくっても売れない…苦しい時期が続きました。当時、家事と育児に専念していた私(3代目の妻)は、家族の会話の中で業界の厳しさを感じていました。
来る日も来る日も夜の明け空が明るくなった頃、顔を真っ黒に汚して帰ってくる主人に「一体何をしているのだろう?」と気になりはじめたある日の早朝、キッチンでばったり遭遇。手には数本の線香花火を握りしめ、首を傾げて「分からん、本当に繊細で難しい。」と言う主人の言葉に「ちょっとみせて」と2人で台所に立ち線香花火に火をつけてみたあの日の出来事がとても印象深い思い出となったことを今でも鮮明に覚えています。
主人の作った花火は、今まで見たこともないとても美しい線香花火でした。大きな火玉で遠くまでバシャバシャと弾ける火花、「こんな綺麗な線香花火今まで見たことないよ」と感動の瞬間。
ブランディングの世界に。
子供の頃、花火好きだった私は夏になると3つ歳上の近所の仲良しのお姉ちゃんと毎日通う駄菓子屋でおやつを少し我慢して竹筒に立てられたキラキラの花火を選んで買い、その花火を楽しみに抱き抱え空が暗くなるのを待ちわびて毎晩、毎晩楽しむという夏の過ごし方をしてました。決して狙って花火屋に嫁に来たわけではありませんが、たまたま花火が大好きな子供だったのです。
お嫁に来て花火を見た第一声は「わぁ〜懐かしい〜!」私はずらりと並ぶ花火のほとんどの種類をどんな火花が出てどんな現象になるのか知っていたのです。
もちろん線香花火だって何百回もやったことがありました。
主人が作ってきた線香花火は、昔遊んでいたものよりもはるかに大きくて、はるかに美しいということは言うまでもなく、大きな違いを感じたのです。
「これは海外産の花火と戦うものではないよ。」
経営のことは何一つしらない私が無責任ながらにこんな言葉を呟いたのでした。研究を重ね主人も少しずつ納得できるモノができはじめていたせいか、オリジナル商品をつくることに積極的。
この頃タイミングよく始まった、福岡県南 筑後地域を舞台に展開する雇用創出を核とする行政と民間が連携したデザインワーク「ちくご元気計画」(厚生労働省管轄の3年間の補助事業)に参加。デザイン思考という新しい世界に飛び込んで行きます。
先代が残してくれた物や技術を今の時代で輝くよう、さらに進化させて行くことこそが本当の意味での「伝統」を守ることなんだと気がつくきっかけとなりました。
正にここから私たち夫婦の挑戦は始まるのでした。
筒井花火の転機。
さて、前置きが長くなりましたが、そんなこんなで今まで花火とは無縁だと思っていたデザイン。デザイン思考の世界へ飛び込んだ私たちは、とにかく夢中で新しいことにたくさん挑戦しました。
会社のブランディング、既存商品のリブランディングや新商品開発に力を注ぎ、都会へ向けて発信を続けました。しかし、売り方・見せ方を変えてから10年を迎えた時、ある変化に気がつくのです。
“時代が変わったな〜”と。
公園や海岸では花火禁止の文字が増えはじめ、夏の夜にはあちこちで打ち上げ花火の音が聞こえていた夏の光景が消えはじめました。
都会の子供達の3割が一度も花火をやったことがないという統計にもショックを受けました。夏は毎晩花火を楽しんでいた私にとっては強いジェネレーションギャップを感じずにはいられなかったのでした。思えば、隈本火工から引き継いだ数十名の線香花火職人さんたちは高齢でどんどん減り続け、気がつけば2人となっていました…
ある日、その1人の松吉さんから「私ももうこの家に1人になったから、この家は解体して施設に移るよ。材料を引き上げにきて」との電話。慌てて引き上げに行ったその日は解体のためのお祓いが行われたばかりでした。「わー、おばちゃん俺がこの家を引き継ぎたかったー!!」そんな言葉を主人が発してしまうくらいとても良い場所だったのです。
花火を思いっきり愉しめる宿を。
ここは大きな川の淵に建ち、森に包まれたようなお家。
いつかの6月にみた蛍の群生は忘れられない思い出になっています。
一日中川のせせらぎが聞こえるこの場所で何十年も線香花火を撚り続けてくれているおばあちゃんに数ヶ月に一度、材料を届けることがいつしか私たちの楽しみになっていたのです。
“こんな場所で自然と一体になってのびのびと思いっきり花火を愉しんで欲しい”
この想いが川の家の原点でした。
立ちはだかるいくつもの壁。
花火を愉しんでもらうための宿オープンのために着々と進めていきます。
大きな壁に何度もぶち当たりました。会議を数ヶ月、やっと宿の目的が決まり手続きを始めようと動き出した時、そのエリアは土砂災害警戒区域との情報が入り頑丈な擁壁を強いられ、断念したこともありました。
川に迫り出して建っているこの家を引き受けてくれる大工さんがなかなか見つからず、見つかったと思ったら改修の設備費用がかかりすぎるとコンサルが指摘。「筒井さん取り戻すまでに100年かかりますよ」と…。
奇跡の出会い。
しかし、奇跡は起こりました。
諦めてから2年後ひょんなことから再調査。その場所は警戒区域エリアから外れていることがわかりました。そして建物改修に至っては大工インレジデンス的に関わってくれる人が見つかったのです。
自社で立ち上げた玩具花火研究所の研究員の大岩根さんの結婚を祝おうと長崎県硫黄島へ渡る船の中で出逢った加藤潤さん。埼玉から鹿児島に移住した彼はまちおこしのレジェンドと呼ばれています。何軒もの空き家を自分たちで改修したと聞きうちの物件もぜひみて欲しいと強くお願いしました。工事が困難だということ、あとは熱い想いを伝えたところ潤さんは「ボクがやろうかな〜?」とボソリ。その言葉を聞き逃さず、半ば強引に…大工インレジデンスの始まりです。
山口県、みやま市から続々とメンバーが集まり潤さん率いるプロジェクトチームが誕生しました。
プロジェクトチーム
施工の様子
奇跡の再会。
構想から約5年、やっとスタートを切りました。
八女市黒木町の大きな川の淵にそびえ立つその家を「川の家」と名付けました。新しい分野の取り組みに悩みは尽きませんが、中でも頭を悩ませたのは食事の提供でした。
ひと気もない山の奥で誰がやってくれるのか…食事も重要な旅の醍醐味の一つだと考えていたので大きな問題でした。
ある時、前述のちくご元気計画の関係者とばったり再開、元気計画時代の仲間だった城さん(研究会時は同じく八女市黒木町で田舎料理「たかっぽ」を営んでいた)が、お店を娘婿さんに引き継いで第二の人生を楽しむ仲間を探してあるよと聞きました。しかも城さんの住まいは川の家から5分。
あれから10年、本当に奇跡的な再会だったのです。
魔法使いのようなおばあちゃん。
城さんは75歳。
とっても明るくて、とっても優しくてとっても元気なおばあちゃん。
いつも夢と希望を持っていて、ただ城さんと話しているだけで幸せに、そして心豊かになれることがとでも不思議でした。そんな魔法使いのようなおばあちゃんと出会うだけで幸せになれるような時間を体験して欲しい、田舎のおばあちゃんの家にただいま!って帰ってきてもらえるような宿にしよう
高級なものは取り除き、必要以上に飾らない。城さんと私たちが直感的に感じていることだけをありのまま素直に提供することに決めました。
それはとてもシンプルに決まりました。
川の家の完成。
五感が研ぎ澄まされるこの川の家は、たくさんの人たちの想いにより長い年月を経て遂に完成しました。
小さなおもちゃ花火で遊ぶ文化は、世界的にも珍しい平和の象徴とも言える日本特有の文化なのです。
誰でも一度は家族や親戚や友人と輪になって遊んだ記憶が残っているでしょう。
環境や時代が変わっても、いつまでも日本の大切な文化として後世に語り継がれますように。
あの頃の小さな記憶が蘇る旅に出ませんか?
川の家の愉しみ方
お宿のこと
川の家は一棟貸切の宿です。
素泊まりの場合はキーボックスから鍵を取り出してチェックインしていただき、チェックアウト時は鍵をボックスに返していただくというシステムです。玄関の戸を開けるとドーンと飛び込む絵画のような景色が広がります。
絶対に妥協できなかったこの窓。
(裏話)大きな窓の設置は危険な作業となるため業者が請け負えず…3代目が命綱を結び、自らはめ込みました。
夜の過ごし方
アメニティに沢山の花火がついてきます。
暗闇の中で花火の本来の光をお楽しみください。また火薬の懐かしい匂いは、無邪気にはじゃいだ子供心を取り戻すことでしょう。
天気の良い日には満点の星空が、5月下旬〜6月初旬には蛍の群生を見ることができるかもしれません。
お風呂のこと
檜の香りが漂うお風呂。
川のせせらぎを耳元で感じながら、湯船にゆっかり浸かる贅沢を。
改修前、川側に面したお風呂には窓がありませんでした。
対岸には道もなくひと気もないため開放的に大きな開閉式の窓を取り付けました。川のせせらぎを聞きながら入ることのできるお風呂場はまさに癒しの空間です。明るいうちに窓を大きく開けて風をを感じながら入浴していただくことをお勧めします。
(暗い時に窓を開けると電気に虫がたくさん寄ってきます。特に夏の夜は要注意です)
お食事のこと
お食事はオプションで選択いただけます。
【夕食】
チェックインの16時、城さんが「ハロ〜!」とニコニコやってきて、天気の良い日には竹籠を提げて外で野草摘から始まります。
「これは食べれるのよ、これも採りましょう」と野草の知識も得られます。
中に入って一緒に下ごしらえ。台所は、笑いが絶えません。
地元の山菜や野菜をふんだんに使ったたかっぽの籠盛と、出来立ての野草料理で地元の味をご堪能ください。
【朝食】
朝食には週に一度オープンする大人気A.S.P.の食パンを置いています。お好みの厚さにカットしてトースターで焼いてお召し上がりください。
※A.S.P.は筒井時正玩具花火製造所が花火製造所の横で運営しているパン屋さんです。
【おまけ】
オプションでこんにゃくづくり体験もできます
睡眠のこと
私たちが惚れ込んだ畳ベッドと地元のお布団を導入しました。
川の音を聴きながら眠りにつき、朝陽と鳥のさえずりのBGMで目が覚めます。自然の優しい音やでひかりでグッスリ熟睡をお約束します。
川に面したお部屋には開放的にあえてカーテンなどは取り付けておりません。開放的な非日常をお楽しみください。
翌朝の過ごし方
幻想的な朝霧の中での散歩はおすすめです。
窓全開の朝風呂で幻想的な風景もお楽しみいただけます。
文:筒井 今日子 (筒井時正玩具花火製造所)
よろしければ、ぜひサポートをお願いします💘いただいたサポートはホテルのさらなる満足度向上のために活用させていただきます🙇🙇