学びの遍歴
今日、初めて『学び』をテーマにschooさんで登壇させていただいたのだけど、そこで話したことが割と今まで扱ったことのないトピックかつ、我ながら自分の軌跡を整理するいい機会だったと思ったのでこちらでもシェア。
そもそも、私は学者の家系ということもあって幼い頃から『勉強』や『読書』をしている両親や祖父母の姿が非常に身近だったので、小さい子供がお母さんごっこをしたがるように幼児期の私は『お勉強ごっこ』がとにかく日々の楽しみで、5歳のころは小学校受験のために通う塾が楽しみで仕方ないような子供だった(小学校受験は成功したものの結局諸事情で公立小学校に進学した話は鉄板トークなのでまたの機会に)。
学びの質は性質に依存せず、行動によって規定される
その後、中学受験を経て(都内の某御三家女子校を受験していたのだが父親の赴任により京都に移住)、京都市内のしがない国立中学に通うことになる。この時、本当にささやかで、でも自分にとって大きな転換点となったのは、中学3年生の頃だったと思う。当時私は遅刻女王と忘れ物女王の二冠達成をしているような状況で、話のはずみクラスでみんなに明日の宿題を尋ねられるような、真面目でしっかり者だった友人に『なんでいつも忘れ物とかしないの?』ときいたのだった。その時自分はなんとなく『全然何もしてないよ〜』と言われることを予想していて、『やっぱり!!』みたいに返そうという心づもりをしていたのだけど、返答は私の想像と大きく違って、『毎日終礼の時に次の日の予定と持ち物を確認して、寝る前と朝出かける前にもちゃんとカバンに持ち物が入っているか確認している』というものだった。それまで、私は愚かにも、その子が真面目だから忘れ物をしないのだと思っていた。でも実態は、真面目であるがゆえ、確認を怠らない行動習慣がルーティン化されており、その結果として忘れ物をしないのだった。これは当時の私にとって大きな衝撃だった。
同じく、当時の私はケアレスミスが多くて、数学も英語も苦手意識がないのにボロボロと減点されることが多かった。そこで、成績が良かった別の友達に『数学どうやって勉強してるの?』と尋ねてみた。例に漏れず、『何もしてないよ〜』と返ってくることを期待していた私は『精選問題集を3周解く。1回目はそのまま解いて、2回目は間違ったところを重点的に、3回目は時間を測りながら解く』と答えた彼女に私はまた衝撃を受けることとなる。彼女もまた、賢い→成績がいいのではなく、賢い→効率のいい勉強方法を実践→成績がいいの方程式の体現者だったのだ。
この時私が学んだのは、本人の性質はもちろん最終のアウトプットに相関があるが、そのアウトプットを最大化するには行動実践が必要であるということ。改めて言葉にすると超当たり前だけどこの考えが自分の学びの中に通底していると今振り返ってみて思う。
情報を脳内に格納し、随時取り出す構造化トレーニング
そうして私は東大受験を志すようになる(この辺りの詳細もまた割愛)。京都人は京大が日本最難関だと本気で信じている傾向があり、それゆえ京都で5番目くらいの絶妙な高校に通っていた私の周りには東大受験のロールモデルとなるような人や、その導き手となるような方にはあまり恵まれなかった。一方で、都内の御三家を受験していた経験からいわゆる中高一貫進学校では学年を1つ前倒して受験に向けたカリキュラムが組まれていることを知っていた私は、その膨大な差を埋めるべく、高校入学前、中3の2月から1日12時間程度の受験勉強を始めることとなる(本来は東大受験にここまでのリソースはいらないかもしれないが、当時の私はどのくらい勉強すれば十分なのかを知らなかったのでとりあえず覚醒している時間を全て勉強に当てた、し、それは非常に楽しい思い出になっている)。
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