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雫井脩介『互換性の王子』刊行記念インタビュー|いろんなものがてんこ盛りのエンターテインメントを目指しました

「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位に輝いた『犯人に告ぐ』(2004年)、木村拓哉主演で映画化された『検察側の罪人』(2013年)、直木賞候補となった『クロコダイル・ティアーズ』(2022年)など。雫井脩介は、独創的ながら現実でもあり得そうな状況設定を元にしたサスペンス作品を数多く手掛けてきた。最新長編『互換性の王子』はサスペンスとして開幕しながらも、物語が先へ進むにつれて企業小説、ラブストーリー、家族小説……と多彩な色が重なっていく。作家史上最大規模の“全部盛り”エンターテインメント作品となった理由を、本人に直撃した。(取材・文 吉田大助)


サスペンスを物語全体に通底させるのではなく
読者を物語に引き込むための道具として使う

──中堅飲料メーカー「シガビオ」の創業社長の御曹司・志賀成功(なりとし)は、29歳にして同社の事業部長として働いています。最近部にやって来た3歳下の山科早恵里とのデートの約束も、ようやく取り付けた。そんな折り、何者かの手により別荘の地下室で監禁されてしまいます。半年にわたる拘束が解けて出社してみると、自分のポストには異母兄の実行(さねゆき)に就ていた。いったい何が起きたのか……。サスペンスフルな幕開けとなっていますが、物語の着想のきっかけとは?

雫井 前々から、「入れ替わりもの」をやってみたいという構想がありました。僕が入れ替わりものを扱うとしたら、ファンタジー的な設定を取り入れるのではなく、リアルな社会の中で起こり得る設定でやるべきだろうと思っていたんです。水鈴社の篠原さんが、僕の「ビジネスもの」や「仕事もの」を面白いと言ってくれていたこともあり、そこと組み合わせる方向で考えていった結果出てきたのが、冒頭のシチュエーションでした。今までの立場を失う、という面白さを引き出すためには、御曹司という立場がいいだろう、と。彼と入れ替わるのはもう一人の御曹司で……と、冒頭のシチュエーションから人物設定を固めていきました。

──ファーストシーンの、ゴルフコンペ後の打ち上げで描写される成功の「王子」っぷりが最高なんです。気のいい奴なんだろうなとは思うんですが、最高にいけすかない(笑)。一方の実行は、真面目で無口で堅物、できる男という感じです。

雫井 成功は悩みなんて何もないような、全てが順風満帆の状態から始まってトラブルに飲み込まれて……という流れに合わせた、それらしい人間として造形しました。実行は腹で何を考えているのかわからない謎めいた存在にしたかったのと、成功とは全く違う性格にすることで、二人の対立が際立つだろうと思ったんです。数少ない二人の共通点は、名前ですね。将来の会社をしょって立つにふさわしいような人間であってほしいと、親からあからさまに期待されているんです。

──実行が成功を監禁したのか? 事件の真相が、早い段階で明かされることには驚きました。

雫井 監禁されている間に兄弟の立場が入れ替わってしまった、というスリリングな設定から話を始めるとすれば、序盤は当然サスペンスになる。ただ、サスペンスを物語全体に通底させるのではなく、読者を物語に引き込むための道具として使おうと思いました。構想が自分の中で広がっていくにつれて、この設定はいろんなものを詰め込めるなって思ったんですよね。だからこの作品は、お仕事ものであり、サクセスストーリーかつラブストーリーでもあり、家族の触れ合いやぶつかり合いを描いた家族ものでもある。いろんなものがてんこ盛りのエンターテインメントを今回は目指したんです。

お仕事もので重要なのはディテール。
2人目のヒロインは1人目より魅力的に!

──飲料メーカーという舞台選び、新しい乳酸菌飲料の開発というトピックは、とびきりポップですよね。日本人なら誰しも飲んだことがあるし、興味がある分野だと思うんです。もともとご興味があったんでしょうか。

雫井 社内外で熾烈な商品開発競争があるような、ものづくりをしている会社を書きたかったんですけれども、読者に分かりやすい題材はどのあたりかなと探っていました。そんな時に、編集の篠原さんが健康オタクで、「この乳酸菌いいですよ」とおすすめしてくれたんです。飲むとやっぱり、いいんですよ。他と違う気がするんです。昨今は乳酸菌のいろんな商品が出てきて、この市場は今熱いぞとイチ消費者としても感じていたので、ここを舞台にしたら面白いんじゃないかな、と。

──事業部長のポストを奪われた成功は、営業部の平社員として、自社商品の取扱店をひたすら新規開拓する仕事に就きます。同じ部署の仲間たちと一緒に、今まで流さなかった汗を流してノルマ達成に向けて邁進するプロセスは、お仕事ものの王道の快感ですよね。ただ、成功の場合、「こんなキテレツな商品にゴーサインを出したのは誰だ? あっ、昔の俺だ」となったりするのが面白いです(笑)。

雫井 そういう小さいディテールの積み重ねが大事なんですよね。ビジネスものである以上は、業界のリアリティを感じてもらうのと同時に、仕事の中でその人の性格や人間性を見せていく必要がある。なおかつ、成功のサクセスストーリーとして読んでもらいたいので、最初はこんな感じだったけれどもこれだったら将来会社を背負っていけるんじゃないか、読者にそう思ってもらえるよう細かいディテールを積み重ねていったつもりです。

──新商品開発のアイデア出し会議の場面は、臨場感たっぷりでした。登場人物それぞれの人間性と、企画案とが結びついているように感じたんです。他人の企画案をどうディスるか、という部分にも人間性が出ている。

雫井 一番苦労した場面でした(笑)。実は今回、取材を受けてくださる方を探すのが大変で。篠原さんの伝手でようやく1箇所、飲料メーカーの関係者の方に取材することができたんですが、乳酸菌飲料が主力の会社ではなかったので、得られた話は一般的な飲料に関するものが中心でした。ただ、例えば「中身は同じでも、ネーミングと売り方を変えたら劇的に売れ行きが変わった」という話を聞くことができたりして、会議の場面を書くうえで非常に参考になりました。大事なのはやっぱり、ディテールなんですよね。

──成功は作中で、「自分の力で地位を築いて、替えの利かない人間にならなきゃ駄目なんだ」と言っています。そのプロセスには説得力がありました。

雫井 互換性は、御曹司が立場を奪われるという設定が浮かんだときに、収まりのいいタイトルの言葉として浮かんだものでした。自分にしかできないこと、替えの利かない人間になるということは、実際に書いている中でそうなったもので、実行に立場を奪われた成功が彼に反感を抱き、自分も対抗していこうとする過程で出るべくして出てきた心情だと言えます。

──最底辺に落ちた成功は社内でのし上がっていき、その過程でライバル企業との新商品バトルやスパイ疑惑が持ち上がる。一方で、本作はラブストーリーでもあります。成功は前の部署の山科早恵里に思いを寄せていたんだけれども、新しい部署の同僚である伴内星奈のことも気にかかるようになるんです。三角関係の構図を作るうえで、どんなことを意識されましたか?

雫井 ヒロインが欲しいなというところで早恵里を出し、彼女のカウンターパートとしてもう1人女性が出てきたら面白いかなと思い星奈を出しました。成功は、早恵里と付き合う寸前だったんだけれども、半年間の監禁生活によって結果的に彼女を放っておくことになってしまったんですよね。早恵里の心をいかに取り戻すかという流れがある中で出てくるのが星奈なので、どういうふうに星奈の魅力を表現するかは力を入れて書いていきました。ある意味、星奈は早恵里以上に魅力を感じるような女性でなければいけない。そうでなければ、読者は「こんな女にグラつくわけないじゃん」と思ってしまいますから。

──早恵里が前の部署にいるということは、その部署の新しいボスは、実行です。基本は実直なカタブツ青年なんですが、彼もまた早恵里のことが気になり始めるんですよね。その展開が勃発してから、実行のことがどんどん可愛くなってきました。

雫井 表面上の振る舞いとは別に、気持ちではすごく動揺しているという実行の様子を書くのは楽しかったです(笑)。気まずい、というシチュエーションを書くのも大好きなんですよ。

──互換性という言葉は、仕事だけではなく、恋にも当てはめることができて……堪能しました!

小説家になる前に実感した家族との関係を
いつか作品の中で書きたいと思っていた

──飲料メーカーを舞台にした本作を、別の角度から見た場合、オーナー一家の関係性を描いた家族小説として読むこともできると思います。家族で一緒に働く人生はどんなものなのか、家業を継ぐとはどんな経験なのか。その辺りの心情は、書きながら発見していったのでしょうか?

雫井 規模はだいぶ違いますが、僕自身も同じような環境を経験しているんです。父親が社会保険労務士事務所をやっていて、僕も一時期、後継ぎ的な立場で一緒に働いていたことがあったんですね。ただ、やっていて思ったのは、この仕事は自分には本当に向いてない、と。けれども父としては後を継がせたいし、息子と一緒に働くことができて嬉しいという気持ちも伝わってくるんですよ。親子と言っても他人同士なので、どうしても気持ちがすれ違うというか、気持ちが重ならない部分は否応なしに出てくる。そんなふうに昔自分が実感したことを、いつか小説で書きたいという思いがずっとありました。それを表現するには、今回のシチュエーションがぴったりだったんです。

──ちなみに、雫井さんは作家になったわけですが、家業はどうされたんでしょうか。

雫井 この状況から逃げ出すには、小説でも書いて応募して、賞を取ることで突破口を開くしかないなと思ったんですよ。父の事務所に勤めながら、投稿作を書いていったんです。その間に父親が病気になり、自営業なので家族に仕事のしわ寄せが来て大変だったんですが、病気になってからは仕事に関してうるさいことを言われなくなったんですよね。病気になる前よりも穏やかな家族関係が築けて、看取って。ちょうどそのタイミングで新人賞を取り、元の業界から離れることができたんです。

──実人生で得た特別な体験や心情が、この物語の中でお蔵出しされている。その意味でも本作は、全部盛りなんだなと確信できました。雫井さんにとっても思い入れのある作品になったのではないですか?

雫井 実は、『互換性の王子』は、以前までのやり方とは違うアプローチをした作品でした。これまでは出したプロットに対する編集側の意見というのは微調整として取り入れる程度だったのですが、今回は物語の大きな構造部分にも意見をもらって、僕がそれに反応できるかできないかという形でした。結果的に当初のプロットからは大きく形を変えて、話が広がっていったんです。ゆくゆくは着想段階からヒントをもらって、それに反応する形で話を生み出していけないかなと思っているところです(笑)。

──ここから、モードが変わっていくかもしれない、と。

雫井 ただ、生み出す作品の性質は大きくは変わらないだろうなと思っています。以前、ある程度キャリアのいった作家で、現代ものばかりを書く人はそんなに多くないという話を耳にして、そう言われてみればそうなのかな、と。時代や場所を外部に取らず、今の社会を映し出すようなものを書き続けている人って、意外と少ないのかもしれないなと思ったんです。僕はそれがやりたいんですよね。リアルな手触りがある、今を生きている人たちの実感が込められているようなものを、これからも書き続けていきたいんです。

雫井脩介『互換性の王子』
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雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)
1968年生まれ。愛知県出身。専修大学文学部卒業。2000年、第4回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作『栄光一途』で作家デビュー。2004年に『犯人に告ぐ』がベストセラーに。同年の「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位となり、第7回大藪春彦賞も受賞した。『火の粉』『クローズド・ノート』『ビター・ブラッド』『検察側の罪人』『仮面同窓会』『望み』『引き抜き屋1 鹿子小穂の冒険』『引き抜き屋2 鹿子小穂の帰還』など映像化された作品多数。他の著書に『犯人に告ぐ2 闇の蜃気楼』『犯人に告ぐ3 紅の影』『霧をはらう』など。2022年、『クロコダイル・ティアーズ』が直木賞候補となった。