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逆説の占星術史 天の秩序にあらがう人々

西洋占星術は長らく「人間の運命は最初から最後まで完璧に計画されている」「人間の意思で気軽に変更はできない」と考える宿命論的な学問でした。

もし誕生後に計画の変更が可能だとするならば、それは「全知全能なる神」の意志においてのみですが、その神は「未来を完璧に予測した上で綿密に計画を立てている」はずですから、そもそも変更する理由がありません。
運命の変更を必要とするのは「不測の事態が発生して、当初の計画の調整を迫られた時だけ」だからです。

つまり、「運命を改変する」という試み自体が、当時のキリスト教的価値観の中では「神の全能性を疑う背信行為」そのものだったんですね。

現代では結構気軽に「開運術」とか「習慣を変えれば運命が変わる!」なんて言いますし、それをウリにしている占い師や祈祷師も多いですよね? 自己啓発やポジティブシンキング、「引き寄せの法則」ですらも、究極的には「運命を自分の都合のいいように改変すること」を目的とした学問と言えるでしょう。

でも、その「開運」という言葉自体に大きな哲学的矛盾が含まれていることに、皆さんは気がついているでしょうか?なぜなら「シナリオを途中で変更しなければいけない」というのは「運命の脚本を書いた神は、観客を満足させられない無能な奴だ」と言っているに等しいからです。

そんな無能な神が管理しているこの不完全な世界に、果たして秩序など存在するのでしょうか?

だからこそ、「運命は変わらない」あるいは「運命を変えようとする行為そのものが最初から計画されていたシナリオの一部だった」と見るのが中世ヨーロッパの「絶対的な世界観」だったわけです。

これが一転して「運命は人間の自由意思によっていつでも変更可能だ」という価値観に変わったのはホンの100年ちょっと前のことで、その考え方自体が人類の長い歴史の中においては「極めて特殊な異端的思想」とも呼ぶべきものなのです。

かつて中世ヨーロッパにおいて、占星術を学んでいる人々が「魔女」として処刑や拷問の対象になっていた時期があります。ヨーロッパの黒歴史・・・「魔女狩り」ですね。

フランスで最も有名な占星術師であったノストラダムスも例外ではなく、彼はヴァチカン(カトリック教会)所属の「異端審問官」に目をつけられていて、いつ逮捕されるかも分からない危険な状況にあったのです。

ノストラダムスは占星術師としてよりも「医者」として歴史に名を刻んでいる人物で、黒死病(ペスト)の原因が「ネズミが媒介する病原菌にある」といち早く気がついた人物でもあります。

ノストラダムスが住民に指示を出し、ネズミを捕獲して殺処分することで南フランスのペスト患者は劇的に減って行ったのです。

このような経緯があり「奇跡の医者」として名をはせていたノストラダムスですが、その医学知識自体がカトリック教会から見れば「神を冒涜する魔術の一つ」として警戒される原因になってしまったのです。

身の危険を感じたノストラダムスは医者を辞め、フランス国王アンリ2世の王妃カトリーヌ・ド・メディシスの「専属占い師」となり、王宮にかくまわれることを選択します。さすがのヴァチカンも「王妃の客人」には手を出せませんし、名前から分かるように王妃カトリーヌはヨーロッパ最大の大富豪「メディチ家」の出身です。

メディチ家はローマ教皇を何人も輩出している「名門中の名門一族」ですから、ヴァチカンが最も手を出しにくい相手だったんですね。

だからこそ、ノストラダムスはカトリーヌを自分のパトロンとして選んだのです。これで問題は解決したかに見えました。

ノストラダムス自身も、このまま自分が「歴史の闇」の中に埋もれてしまうことを覚悟していたでしょう。

ところが、ノストラダムスは国王アンリ2世が近々事故死してしまうことを予言し、一気に世間の注目を浴びることになります。
実際に1559年、馬上槍試合でアンリ2世は対戦相手のモンゴムリ伯に槍で目を刺されて致命傷を負い、そのまま亡くなってしまう事件が発生します。

ノストラダムスは「怪しげな開運術を使う魔術師」としてヴァチカンから命を狙われていましたが、皮肉なことに占星術による予言を的中させることで「神の定めた予定に一切の変更はなく、すべての計画は完璧に遂行される」ということを衆人環視の下で証明して見せたのです。

つまり、ノストラダムスの占星術は、絶対に途中で変更できない「神の予言書」として世間に認知されたんですね。

この事件の顛末はヨーロッパ全土で大きな話題を呼び、ここから一気に西洋占星術が大衆の間でブームになって行くのです。

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