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【京大吹零会 起業家インタビュー】株式会社Andeco 早川 慶朗さん 工学部建築学科 2005年卒

「京大吹零会」とは、京大出身(在学中も含む)の起業家を集めた、起業家コミュニティです。京大には変人が集まると言われるように、京大出身の経営者も変わった人が多いので、周りに理解されず、孤独になってしまうこともあります。そんな「吹き零れ」たちが集まり、経験をシェアして切磋琢磨する、唯一無二の会です。メンバー同士の交流を促すため、また、これから起業したい方に吹零会メンバーを知ってもらうため、隔週で「京大吹零会 起業家インタビュー」をオンラインで放送中。このイベントで収録した起業家たちの講演内容を書き起こし記事としてお送りします



【要チェック!】

公開インタビューのスケジュールや、記事を見て「起業したい!」と思った方のための「京大・起業相談デスク」についてはコチラをご覧下さい

学生時代のこと。

私の場合、割と自然な流れのままに進んできたと言いますか、学校が大阪の北野高校だったんですけど、何となくですね。高校時代の雰囲気がとりあえず京大を受けるみたいな。その流れに乗って、そのまま京大を受けて入学しました。工学部の建築学科です。
工学部を入口に考えて、物理工学とか工業化学とかいろんな学科の中で、大工さんみたいな、そういうものづくりの仕事に興味があったので、建築学科を選んだというのが最初です。
入学したときにはとにかく彼女を作るぞ!みたいな感じでした。勉強するぞというよりは、せっかく大学に入ったんだから遊ぼうみたいなノリですよね。サッカーサークルに入って。
その後、友人のクラブDJサークルみたいなのにも出入りし、イベントをやるときに遊びに行ってました。今、吹零会のメンバーにもその時のDJサークルや、サッカーサークルのメンバーが何人かいるので不思議なものです 笑
遊びながらも、僕は割と勉強は勉強でしっかりやって単位を取るタイプだったので、2年生の終わり頃には必要な単位はほぼ揃っているというような状況でした。そうやって遊びと学びを両立しながら大学院まで行き、卒業しました。
就職先はNTTファシリティーズといって、NTTグループの中の設計事務所です。元々、総合商社に行きたかったんですけど、三井物産や三菱商事には入れなくて、研究室の先輩がここに入ってまして。OBが研究室に来られていたときに誘われたので、受けてみたら内定がもらえたんです。
もう1つ、大手建設会社からも内定をもらったんですが、現場で施工をする会社でした。朝早くから働くことが必須らしく、聞いてみたら朝7時に行かないといけないとか。「絶対に無理だろう」と思ってあきらめました 笑
バリバリ設計ができると思いきや、設計事務所にもいろんな仕事がありまして、私の担当は最初は、工務担当といって、積算や工事管理などの仕事でした。要は建物を建てるのにどんなコストがかかるのかを考え、実際に使う資材以外に、工事のための仮設費も計算するんです。大事なことはわかりましたが、すごくつまらなくて。ひたすらエクセルでコストを計算するのがすごく退屈だったんです。
 いまは、この時のスキルで、概算算出ができるため、企画の上流工程で予算を司る仕事ができるベースになっていますので、本当に何がプラスになるか、若い頃には、予想もつかず読みきれないものです。
働いてしばらくしたら、当時の上司とうまくいかずに半分干されてるみたいな時代に突入しました。そこで、会社には社会人でも博士課程に進める制度があったんで、会社の費用を使って信州大に通い出したんです。
その後ですが、12月末に社内の昇進試験がありまして、2月1日に結果がわかるのですが、見事に落ちたんです。これはあかんと思って、会社を辞めようと思いましたが、転職は考えなかったです。組織不適合な性格では、どこの会社に行っても一緒やと思ったんで。
4月頭の課長との人事面談で、退職をつげて、起業することにしました。また社会人博士課程については、会社からは返金を求められました 笑。
 その年の6月に完全退職して、7月に、創業。9月に博士号の取得と2人目の子どもの誕生と慌ただしい1年でした。
当時は若かったこともあって、自分で出した答えが絶対正解やと思って、やってたんです。究極的にはこれしかないでしょう、それ以外はないっすよ。みたいな。セクションの役割とか建前とか大人の事情とか一切考えてなかったですね。だから当然、組織で浮いていました。
これじゃ会社によっても上に上がれないし、それなら自分で会社をやろうと思って。今辞めても半年とか1年はそれなりに収入のアテもあるから、その間に仕事作れるやろぐらいのノリで起業したんです。家庭でも話をしましたが、子育て真っ最中の頃でしたから、妻の理解もあまり得られませんでしたね。起業して10年経ちますが未だに認められてないですね 笑

起業のこと。

最初はですね、僕ね、キッチンカーの派遣みたいなことをしたんですよ。空きスペースの地主と契約して借り、そこにキッチンカーを派遣して、場所代をもらうというモデルです。全然建築と関係ないですよね 笑  でも当時の自分の中では「まちづくりの一環」という考え方でした。これが儲からなくて死にそうになりました。

派遣するだけでは儲からないからと、自分でも移動販売をしたほうが良いと思いつき、アイスキャンディを売ったりしました。冗談みたいですが、アイスが溶けるがごとくお金が溶けていきました 笑
キッチンカー派遣の次は浅草で大道芸人のお世話をしたりしました。これも迷走の一環ですね……懐かしいです。
迷走しながらもコロナの最中に何とか生きながえていた頃、ちょうど大手デベロッパー企業から呼ばれ、スマートビルディングの建設にあたり意見が欲しいと、顧問的な仕事に呼んでもらえたんです。自分の知識とか知見がお金に換えられることがわかりました。以来、コンサルティングを本業にしています。設計会社って不思議と、ITとの距離があるんです。デジタル人材が社内にいないから、信頼できるコンサルタントを探している感じですかね。
もともと、収益もきちんと得られるような、環境保護や環境改善に関連したビジネスをやりたかったんです。社名にはそういう意味をこめています。建築って環境に対してマイナスになるケースが多いですよね。どうしても、開発して、新しく作って、また潰してといったビジネスというか。でも開発することで便利になって暮らしやすくなることもまた事実なので、せめて知恵を盛り込んで、少しでもエコにすることはできるんじゃないかと思っています。

20代でやるべきこと。

ぜひ大学時代に留学しとけばよかったなと思いますね。他のことはね、大人になってからでもできると思うんですけど。大学時代の後悔までいかないですけど、旅行じゃなくやっぱ、外国に半年や1年住むみたいな経験をしておきたかったなと思います。

今もう1回すすめるとしたらどこの国に行きたいですか。

今どこでしょうね。どこだろう。アフリカですかね。勢いのある国で生活したいなって思います。この前カンボジアに仕事で行ったんですけど、思いっきり建築ラッシュで。最新の知見を持ってゼロからやれる国で仕事ができたら本当に楽しいんだろうなと思いますね。


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