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【京大吹零会 起業家インタビュー】株式会社ピリカ 小嶌 不二夫さん エネルギー科学研究科 (エネルギー社会・環境科学専攻)

「京大吹零会」とは、京大出身(在学中も含む)の起業家を集めた、起業家コミュニティです。京大には変人が集まると言われるように、京大出身の経営者も変わった人が多いので、周りに理解されず、孤独になってしまうこともあります。そんな「吹き零れ」たちが集まり、経験をシェアして切磋琢磨する、唯一無二の会です。メンバー同士の交流を促すため、また、これから起業したい方に吹零会メンバーを知ってもらうため、隔週で「京大吹零会 起業家インタビュー」をオンラインで放送中。このイベントで収録した起業家たちの講演内容を書き起こし記事としてお送りします



【要チェック!】

公開インタビューのスケジュールや、記事を見て「起業したい!」と思った方のための「京大・起業相談デスク」についてはコチラをご覧下さい

学生時代のこと。

僕は大学院から京大なんです。大学は大阪大学を受けてそこに落ちて大阪府立大に行ったんです。元々環境問題を学びたくて。でも、4年生で研究室に入ってみたら、研究することと問題解決をすることが全然違うということがわかりました。
研究というのは論文を書くことがゴールになるんですよね。新しい知識とかアイディアを生み出すことも大切だとは思いましたが、僕は具体的に課題を解決したかったんです。とはいえ、違うなとは思ったものの、具体的に何をするべきかが決まっていなかったので、取り組むかを考えるための時間を稼ごうと思いました。
どうせ行くならいい条件のところがいいなと思って。研究テーマが環境問題に近いとか、学費が安いとか生活しやすいこと、自由であること。具体的には教授の部屋が物理的に離れていて干渉を受けづらそうとか 笑 
あと、当時は部活も熱心にやっていたので部活の大会と受験の日が被らないみたいなことを探していくと、京大のエネルギー研究科がピッタリでした。
なんとか入学することができたものの、最初の半年は改めて研究をしてみようとがんばりましたが、やっぱり違うな、となって、それ以外の道を探り始めました。それで、研究じゃなくてビジネスの世界だなって思ったんです。

そうすると、基本は就職か、起業か、の2つの道があると考えました。

まずは就職を前提に、企業でインターンとして働いてみたんですよね。そしたら、仕事は面白いんですけど、上司と折り合いがつかず、ちょっとないかなと思ってしまって……。

何が問題なのかなと考えてみたら研究室時代も教授と2回連続揉めたことを思い出しました。多分、こちら側に問題があるのかなと思いました 笑

起業のこと。

なので組織で働くのではなく、起業することも一つの方法かなと思い始めました。始めるにはとにかくアイディアや技術がいりますよね。そこで色んな国を旅しながら、お金がなくても始められそうな環境問題と事業のアイディアを探しました。

一念発起して、ベトナムに渡って半年ほどインターンをしました。帰ってきてから世界一周して色んなものを見てきました。ベトナムと日本だけでも全く違う世界だったので、もっと広く見てみたくなったんです。あとは世界中の環境問題の現場を見たくて。例えば森林の過剰な伐採とかってやっぱ本場のジャングルを見ないとわからないし。本当に色んなところに行きました。
もちろん危険な場所も多いです。見に行くだけでなく無事に行って帰ってこないといけないので、安全に行く方法を探すのが難しかったですね。ジャングル視察のときは良い方法を考えた結果、ジャングルの奥地で開催されるジャングルマラソンという大会がありまして、それに出れば、何か安全対策もあるだろうと思って。荷物を背負って200キロ走るっていうマラソン、それに出て、奥の奥まで見せてもらいました。

それまでは割と安全な道というか、人と同じような大学生活を送っていたんですが、起業を意識しだした頃から自分の殻を少しずつ破っていきました。人との出会いで学びを得て、自分の殻を破っていったっていう感じです。良くも悪くも、先輩がいらっしゃると自分もいけるかもみたいに思えるじゃないですか。先輩の武勇伝を聞いては、「そんなんアリなんや」と思いながら自分の常識を取り払っていきました。
世界を旅して感じたことは、ごみって世界中にあるということです。インドみたいな新興国から、先進国に至るまでどこにでもあって、世界中で問題が着実に悪化してるし、大きくなってるんですけど、めちゃくちゃ見過ごされてるし、馬鹿にされてるんですよ。

そこに真面目にビジネス取り組んでる方々ってほぼいなくて、当時はボランティアとか市民団体の方がやっていましたけど、全然産業化されていなく、ジャングルの奥地なんかにもごみが不法投棄されていたりして驚きました。世界中で問題が着実に悪化していることを感じましたし、やがて人類が受け止めきれない時期が訪れるだろうと思いました。

そこで、先手を打つことが重要だと考え、解決可能な技術やアプローチを開発しようと考えたんです。ごみ問題の解決に企業として取り組む価値があると考えました。

そのあと、アプリを使ってごみを拾った事実の共有をするというアイデアが浮かびました。アプリのユーザーはごみを拾ったら、どこで何を拾ったか投稿します。そうやってごみ拾いをしている他のユーザーとつながりを持つことができます。開発のためには、プログラミングのスキルが必要だったので、自分で作ろうかと思い立ち、専門家から指導を受けることにしましたが、自分で作ることは早々にあきらめて、腕の立つ先生を探しました。

最初のアイデアからアプリを完成させるまで、約5ヶ月かかりました。その間、多くの支援や協力を得ながら、サービスを広げていく努力をしました。

最初の3年間では、アプリのビジネスモデルや企業の方向性について賛否両論でした。否定の方が多かった気もしますが、ごみ回収業界の方々など、応援してくれる方も出てきたんです。全国を回って資金を集め、収入を得て、なんとか成長を続けていきました。

ユーザーは増え、自治体も顧客になりましたが、最初はうまくいきません。ある市役所にプレゼンを行いました。しかし、彼らは僕らのデータを求めていなかったため、受け入れられませんでした。なぜなら、未処理のごみが残っているという情報は彼らにとってマイナス評価となるためです。この状況を変えるためには、彼らの見方を変える必要がありました。

無視できない情報量を3年かけて集めまして、ようやく3年目ぐらいから自治体との契約が始まりました。

無料のアプリですが、市役所や県庁に提供する機能があります。自治体の管理者は、このアプリで地域でのごみ収集の状況やデータを管理できます。これにより、地域の清掃活動の効果を実際のデータで確認できるようになりました。

地道に営業をし、地域にアプローチしています。最初は、福井県庁の課長からの電話で始まりました。福井県向けの仕組みを提案し、実装しました。これを他の地域に展開していったんです。

取り組んでいる課題はシンプルに、ごみの不法投棄を解決することです。ポイ捨てや不法投棄をなくし、ボランティアによる清掃活動を増やすことが重要です。

このサービスで、10年間で3億5,000万個のごみが回収されました。世界130カ国で利用されているんです。

これが私たちの仕事です。

20代にすべきこと。

基本的に上司がいないので、楽しくさせていただいていますが、一番きつかったのは実は、会社を起こす前の期間、まさに京大に在学して中退するまでの期間でした。

その時期に身近な方が3人も亡くなってしまったんです。1人は祖父で、彼は僕の事業を応援してくれていたので、支えを失ったようでかなり辛かったです。次は、元気に活動していた後輩が亡くなりました。同年代である彼の死はとてもリアルで、自分もいつ死ぬかわからないということを感じました。自分のやりたいことをやる時間は限られていると知り、決意を新たにしました。

自分が勝負できることに挑戦することが大切だと思います。今の事業をもっと早く始められたら良かったと思います。大学時代、テニスに打ち込んでいましたが、プロになれないことは分かっていました。自分の才能と努力で世界一になれないことは、早めに見切りをつけるのも大切なことではないかと思いますね。大きなことを成し遂げたいのであれば。

僕もまだまだチャレンジが必要です。世界を視野に入れて考えて、もっと大きくチャレンジしたいですね。



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