私の生き方なんで。

初めて書くのでどうしたらいいのかもわからないですし、文才はないのであまりご期待はなさらずに。


私、この歳でバツ無し子なし。
でも遅いだとか、引け目だとか何も感じず。


プロポーズされたこともあるし、断ったこともある。なんなら堕胎やらなんやらも経験がある(これは持病によりだけど)。


別に今の職業、今の生き方含め「恥だ」と思ったことはない。


私の親族関係、家庭環境はまあまあ面白い。


祖父と祖母は戦前生まれで、戦後に恋愛結婚、姉さん女房、マスオさんと言うなんだか流行りを何回りも先にこなした夫婦である。
祖父は戦争に招集され、出兵して1週間で戦争が終わり無傷の帰還を果たした男で、祖母は親族に軍の偉いさんのコックがいたために戦中でも何不自由なく暮らしたので戦後のが食べ物が無かったと言うくらいの人。そして曾祖母は戦後に「ビフテキが食べたい」と言い放った驚異の女。

そんな祖母の妹は戦後に国際結婚し、お相手が大卒で学歴コンプレックスや名前が古臭いのが嫌で学歴詐称や名前を変えるなどをしていた。
(ちなみに結婚したのちキリスト教に改宗している)

祖母の弟(四人兄弟唯一の男子)の一人息子はLGBTで戸籍の性別も変更済。

兄は自閉症。


そんなおおらかな人達に囲まれて育っているので、私はこんな感じである。


兄に障害があるとわかった時も「誰も悪くないしねえ」で終わり、祖母の妹に関しては「女の子みたいで可愛い」と溺愛していたらしい(早世したために私はこの妹氏に会ったことがない)。


うちのTちゃん(一人息子から一人娘になったおじ)に関しても、性別変更手術したことが明らかになった時も「小さい頃からおままごととか好きだったしねぇ、おかしくはないわねえ」で終わり、祖母の法事で戸籍変更が認められた話になると「おめでとう!よかったねえ!」と拍手が起きた。


私が病気のサラブレッドを孫4人のうち1人で極めてる事に関しても「まあ病気になったらなったで付き合って生きてくしかないよねー、しゃーないわ」で悲観的になることもなく。
兄に関しても20歳になった時に将来何かあったら祖父祖母のお墓に入れてもらう決定もしている。


なので、私も私の生き方を貫いている。


今まで生きてきた中でこの仕事1個ではなく、どブラック大企業に正社員として勤務したこともあり、一応進学校高卒(専門中退)だけど同級生の大学キャンパスライフの思い出話についていけない以外は不自由していない。


ただ、持病があるため結婚には慎重である。


プロポーズは4回ほど経験しているが、そもそもの付き合うスタンスが「告白してくれるのはいいが私は貴方を好きになれないかもしれない。それでもいいなら付き合う。」から始まるため、相手側の「付き合うこと」や「結婚」への意識が違う。
体調や鬱がひどい時に性行為どころか触られることすら苦痛に感じるために、「そういう時は風俗に行ってくれて構わない。」と必ず宣言しているし、プロポーズされたり同棲になったら「私が1人でいられる空間を作ってくれ」と頼む有り様。


別に子どもが嫌いとかはない。寧ろ好きだ。
友達や従姉妹の子どもは可愛いと思うし、溺愛している。


だが、産むのは話が別。


妊娠の維持が難しく、傷が治りにくいこの体で産むと言う決断にはならないのだ。

友達には「入院すれば産めるんでしょ?可愛いよ子どもは」とかも言われた。
まあ薬の調節などがあるために、発症した時に計画出産の管理入院必須は当時の担当医から言われてはいる。
薬が胎児に与える影響なんかも聞いているし、学校で習ったし、調べてもいる。


まあだからこそ、生まれた後に何かを抱えた子どもでいいのかとか管理入院であっても流産した時の胎児の亡くなってしまった命と自分の喪失体験に保証がないのは怖いのである。


そして、性癖的に言ったら私はAに当たる。
「アセクシャル」と言う、LGBTよりも新しいものだ。簡単いえばLGBTQのQに当たるのかもしれない。


男性とお付き合いもしてきたし、好きだと思っていたけど何か違和感はあった。
それは「人としてその人が好き」だったから。
恋愛感情ではなかった。


ここまで生きて情報とかが目でも耳でも入りやすい生活を送っていると、大人になってから友人知人の話を聞いても何かが違うと感じてはいた。
付き合っても相手に嫉妬もしたことなかったし、かなりの放任主義を貫いていて「何とも思わないの?」と周りに言われても何とも思っていなかった。
浮気とかされても「私にはない魅力が向こうにはあったんだろうな」と思っていたし。

私自身が友達は男女問わずいて、その友達が大事だから私が入院とかになってなければ相手が友達と遊んでいようと「それは大いに結構!」と思っていたし、推し事も私には大事なことだったので邪魔されるとイライラもしていた。
バンギャ時代物蜜もしていたけれど、繋がりたいとかもなくただただ「喜んでくれるかな?」って言うだけ。


私が生きていく中で「性別」だのなんだのは関係がなく、「人柄」とか「その人らしさ」が私の中では最優先だったのだ。


今は変な執着やら攻撃がない限り、精神衛生上よろしくないものを排除して生きるという生き方も定着し、30歳から始めた終活も形としてはまともになりつつあるこの人生を大事に歩んで行くだけなのかもしれない。


生かされてる以上、生きることに私は執着するんだ。

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