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「カードキャプターさくら」恋と愛を分けてしまうには、少し悲しい

「空に向かう木々のように
あなたを見つめている」
という歌詞が流れると、
いつも不意に立ち止まってしまっていた

そんな感情を、
わからないけれどどこかで知っている、と
思った
忘れかけていたことなのかもしれない、
色々と見ないようにしていたこと、
諦めてきたことを

幸福なのは、
実は自分はひとりだということを
感じないですむことだけれど、
それでも私は臆病な子どもだったから
実はひとりだと気がついてがっかりするなら
早い方がかなしくない、
と気づいてしまったのだ

言うなればその反対に
さくらちゃんは自分が大切にされて、
自分はその愛に応えるだけの存在であることが
分かっている
孤独じゃない、幸福そのものだと思う
そんな姿を見ると安心する

ショッピングモールとかで見かける、
そばに両親がいるから大丈夫と
絶対的な信頼ではしゃぐことのできる
子のような、

そんな守られた世界がそこにはあって、
この作品を観ていると
小学生の頃の自分もようやく
安心して一緒に走ったり笑ったりしている
気持ちになった

はじめ観ているのは
自分の中の小さい頃の自分を
なぐさめるためだった

でも不意に立ち止まることは何度もあった

さくらに対して切ない感情を持つ知世

「わたしは…だいすきな人がわたしより
両想いになるより幸せなことがあるのなら
ずっとそのままでいてほしいですわ」
「わたしもさくらちゃんがだいすきですわ、
きっとさくらちゃんとは違う意味の好きですけど、さくらちゃんがもう少し成長したらお話ししますわ」

小狼は男の雪兎に一目惚れする

さくらも、男の雪兎を好きになる小狼に
「李くんも私もずっと年下だけど
しょうがないもんね、好きなんだもん」
とやさしい言葉を言う

そんなさくらにもいつしか惹かれる小狼


さくらのことを好きな知世
雪兎のこともさくらのことも好きな小狼
それに何の疑問も持たせない世界

性別を超えたちいさな恋たち
妬みもそこには何もなかった

やさしさがあっという間に通り抜けていく
少しの葛藤と、救われる幸福がある

私は、嘘だとは思わなかった

物事を飾らず単純に描くということは、
複雑に描くよりもずっと難しくて、
誰かを傷つける人を描かないということは、
誰もが愛をもって生まれたことを
まっすぐに描くということだから

小さい頃から
本当の気持ちを削ったりしている
今の私にとって
それは胸のつまるような思いだった

木や花や動物たちと同じように
ただ沈む夕日を眺めるように
生まれてきたことを
私はすっかり忘れていた

知世も小狼もきっと、
誰かを守りたいという気持ちや、
その人のやさしさに触れたときの
瑞々しい感動を
そのままに受け止めて
心を動かしているだけなのだ

異性だから恋、
友情だから友愛、
両親だから親子愛

そんな風に誰かを好きになる気持ちや
守りたいと思う気持ちに
区別をしたのは自分だった
優劣をつけたのも

道端に咲く花や、たくさんの中から
一等きれいなものを探した小石のように
私は誰かを大切に思ったことが
あったはずだった

でも、それが木であれ小石であれ人であれ
何かを思う気持ちに
深度や優劣をつけて比べる必要なんてなかった

それが
「空に向かう木々のように」
誰かを思う気持ちだった

人間が自分で作り出した枷に
自分でとらわれて悲しんでいたことに
私たちは気がつかなければいけない、
本来はもっと自由に、思うままに
私たちは心を動かしていたこと、
動かせるということを

詩や、空想や、幻想を、冷笑する人々は、自分等の精神が、物質的文明に中毒したことに気付かない人達です。人間は、一度は光輝な世界を有していたことがあったのを憫れむべくも自ら知らない不明な輩です。
     小川未明「『小さな草と太陽』序」

それでもこの生真面目な
物質的文明に毒された世界で
さくらちゃんたちの行く末を思うと
私は途端にかなしくなる

だってきっとこのままではいられない
いつか、いつの日か 
知世は自分の心をさくらに伝える日がくる
伝えなければいけない日が

さくらもまた
自分自身が特別ではないこと、
自分の弱さに
気づがなければいけない日がくるから

獣と同じように生まれたとしても
痛みをもって、
人は恋と愛を分けなければいけない

でも、どうかその日までは
すべての愛をもって生まれて、
すべての愛の中で生きていてほしい

今の自分にはないきれいなもの
子どもたちにはどうかそのままで

さくらちゃんのお母さんのような
気持ちになりながら
このアニメを観ていた

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