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「少女革命ウテナ」恋よりずっと大切なもの

このアニメを観てからもうずっと考えている。

どうしてアンシーはあの時泣いたのか。
どうして暁生は王子様になりきれない自分に泣いているのか。
どうしてウテナは誰からも
忘れられてしまうのだろう。

なんてかなしいアニメなんだろう。

それでも私の心の中に、
ウテナとアンシーの
「10年後もこうして一緒にお茶を飲もう」
という約束が消えない。

私はだんだん気がついていく。
そうか、これは
王子様になってアンシーを守る
ウテナという女の子の物語じゃない、

王子様に従順なお姫様のアンシーが、
自分で一歩を踏み出すための物語だったんだと。

「少女革命」なんてタイトルだし、
ウテナは男装をしているし、
ウテナが主人公で、
打ち勝つべきキャラクターなんだと思った。

私は、女の子だからもらえる、
やさしい言葉も
意地の悪い言葉も知っている。

でももうあまり悲しまない。
仕方のないことだから。
それで大丈夫だった。
納得することはとても快適で、
好ましい。

ウテナは、男装することによって
女の子の絶望と戦うんだと思った。
そして、救われるんだと思った。
「革命」してくれるんだと思った。
このアニメを観ている間だけは、
私自身も現実から逃れられるとも。

でもそれは間違いだった。
ウテナは女の子だから王子様になれなかった、
お姫様にもなりきれなかった。


このアニメは本当のものだ、と思った。
私たちを騙そうとしていない、
アニメにありがちな、
甘い幼児向けでもない、
ときめきやわくわくで惹きつけたりしない、

どこまでもまっすぐで、
愚かしいほど真実で、
私たちを見くびっていない。

全ての演出に意図があり、
希望があった。


この薔薇があなたに届きますように

一瞬も目をそらさないで、
という制作者の強い意志を感じた。
よいものを作りたいという、誇りも。
私はその覚悟にただ感服する。

もしこのアニメを観てみようと思う人がいたら、ひとつだけお願いがある。
それは、途中で諦めないこと。
最後まで観きること。
希望を描くために、
絶望や欺瞞がたくさんあった。

それに欺かれて色々な解釈が
飛び交っているけれど、
本当は違う。
観ればわかる、観なければわからない。
だから観るなら最後まで。

そう、ウテナも、何度も負けた。
女の子だから誰かに守られたい、
自分だけの王子様がほしい、
そんな甘い気持ちに膝を折る。 
そんな姿を観るのは、
とても、苦しかった。

でも大切なのは、
アンシーとウテナの友愛であり、
10年後に一緒にお茶を飲むことなんだ。


でもね私達 ともだちの事 何より大切にしてる
きっと大人よりも




王子様なんていなくていい。
誰かの心の中に
思い出や感情はいるけれど、
生身の人間はそこに住んではいけない。

私たちはただ、2人の約束が叶うように願う、
そのためになら戦いたい。


私たちのそんな気持ちのためのものだ。
こんなすばらしいアニメがあったのかと、
驚いた。

私、こんな風に今まで乗り越えてきた。
アニメを観て、
そこでたくさんの人の色んな感情を知って、
心が、脆いことも強いことも、
やさしいも怖いも。

その中でウテナとアンシーの存在が
私の心にまた小さく灯る。

でもまたここで、
少しだけ、考えこんでしまう。 
戦う理由は見つけた。
強さも勇気も気高さもわかった。

でも、
戦って戦って、
その果てで、
私たちはどうしたら幸せになれるの。

「家のなかでは、僕のことが見えないの?」
「見えるわ。でも、よく見えないの」
即答だった。
「よく、って?」

「いいもののように」
と、白状した。

          江國香織「ピクニック」

千年も昔の、源氏物語もグリム童話も
みんな出せなかった問いだった。

このアニメのまっすぐなまなざしに、
探された、
と思った。
私にあるのだろうか それが

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