こころゆたかに

道徳の授業で先生が黒板の真ん中に 家族 と書いて
今日の議題はこちらです。さぁ、家族と聞いて思い浮かべるものを答えてください。とおっしゃいました。

道徳の教科書の表紙はさわやかな水色で
こころゆたかに と書かれていたのを覚えています。

先生に当てられた順に答えます。
「こども」「結婚」「愛」「しあわせ」
わたしは何も思いつかなくて「家庭内暴力」と答えました。
先生も教室もクラスの子も一瞬ぴたっと止まってしまって、そこで失敗したことに気がつきました。道徳は、数学や国語や理科と同じ。授業のひとつであって、模範的な正解を答えるものだったということを、その当たり障りのない正解を考えなければいけなかったということを知り恥ずかしくなりました。
一息置いてから明るいクラスメイトが「いやいやそんなことあるかーい」と、とぼけて笑いに変えてくれました。わたしは席について、同じように笑ってことなきを得て、今後何年後も、この授業のこと誰も覚えていませんようにと願いました。

わたしにあざはありません。
わたしに傷はありません。
見ていたというのは、外からは少しの証拠も違和感も残らない。
わたしは被害者ではありません。
わたしは加害者でもありません。
何者なのかわからない役割のまま息をしてきました。むやみやたらと過去を開けて箱の中を掻き回す行為をしないようにと心がけてはおりますが、ふとしたときに開いてしまう。箱、箱、箱、蓋をしてテープを巻いて鎖を巻いて鍵を掛けた脆い箱。こころゆたかにとはどういったことだったのだろうか。見えないものを豊かにして、その豊かさを誰がどう証明し、判断し、評価し、通知表へ記載するのか。先生、わたしの答えは豊かでしたか?

舌や頬の内側を何度も噛んだ次の日は喉が渇いて、何度もコップに水を汲みながら、正しく豊かな家族について考える。
冷房で冷えたつま先に触れて、今日も生きていることを確かめています。


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