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31 村本大輔ウーマンラッシュアワー

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 本当に危機を感じないといけないのは、国民の意識の低さ! 
 お前たちのことだ!!」

 ウーマンラッシュアワーの村本大輔がテレビカメラを指差し、観客と視聴者に向かって言い放った。

 昨年12月17日放送のフジテレビ『THE MANZAI』で、このコンビは十八番の「バイトリーダー」のような日常系のネタを封じ、ある種、言論テロとも言える危険なネタで勝負に出た。
 相方の中川パラダイスの的確なきっかけ台詞を燃料に、村本が高速でまくし立てる芸風は従来のまま、昨今の時事問題を取り上げ、沖縄の米軍基地、北朝鮮ミサイル、福井の原発、日米安保などの矛盾点や隠し事に青年の主張風に疑問を呈しつつ、客受けする漫才として成立せしめた。
 そして、最後に冒頭の台詞――。
 今、笑っている人たちの無関心こそが最大悪であるとキメ打ちした。

 このシーンにボクが想起したのは、今から遡ること38年前の『THE MANZAI』におけるツービートのビートたけしの姿だ。
 速射砲でブスネタを繰り出した後、「笑えるか! そこ!」と、客席で笑い転げる女性を指差した。
 自分で自分の無知をまんまと笑わされてしまう漫才という話芸の悪魔性。
 その時、十代だったボクは漫才師という職業を強く意識した。
 
 現在の『THE MANZAI』ではナインティナインが司会で、ビートたけしは出演者を選考する最高顧問の立ち位置だ。
 ネタの最中、舞台横の司会ブースにいる、たけしの笑い顔がカメラに抜かれ一言コメントが添えられるのが基本構成だがスケジュールが合わなかったコンビはたけしのリアクションなしの別撮りとなる。

 一昨年、別撮りで参加した、おぎやはぎは後日ラジオで「たけしさんにちょっとでも褒めてもらうと嬉しいのにさ……」と無念さを滲ませていたものだが今回、村本は自らの希望でビートたけしの御前での収録を避けた。
 理由は「肯定でも否定でも、誰のお墨付きも欲しくないから」

 放送当日に東京国際フォーラムで開催された独演会では「もしも今日、放送されなかったらフジテレビのネタ番組にはもう出ない!」と怪気炎を上げていた。
 そしてネタは無事完全放送された。が、その後、地上波の露出が減少したのも事実だ。

 さて今年38歳になる村本は自身の社会意識の変容は「AbemaTVでニュース番組を始めたことが大きい」と語っている。実はボクと村本は、ここ数年、このAbemaTVを戦場にして何度も激論を交わしてきた。

 最初は2016年9月24日深夜放送の『土曜The NIGHT』。
 村本と同期の吉本芸人・キングコング西野亮廣と一緒にゲストに呼ばれ、何故か「芸人はチンコを出すべきか?」で大論争になった。村本が泥酔し、議論は中途半端に終わった。
 2回目は、2ヶ月後の11月12日深夜、ボクはこの番組に宮台真司・首都大学東京教授を伴った。
 速度を自在に操る話術、そして誰彼なしに噛み付くような冷めた蛇顔の風貌、学歴以外すべてソックリの両者が初対面となった。
「本が読めないのはどうしたら良いでしょうか?」という村本の悩みにボクらが答える流れになった。
 宮台は「〝正しいこと〟は面白くない。楽しいと快楽を合わせないと、人はやる気にならない」と説いた。
 読書も批評も嫌いだという村本に対して、ボクは「君は今までに美しい批評を読んでないからだ」と断じた。
「では、美しい批評を書く人って具体的には誰ですか?」と聞かれて「君の共演者(AbemaTVの他番組で共演中だった)にもいる。それは町山智浩さんだよ」と答えた。
 3度目は、2017年2月11日。
 トークテーマは「上杉隆とは何者か?」。
 村本くんの要請を受けて、ボクは3ヶ月も前からスケジュールを空けたが二転三転を経て結局、上杉隆がドタキャン。
 欠席裁判のなかでニュースの真偽について堀潤を交えて議論は白熱した。

 いずれの回もトークを重ね、時の経過と共に事務所の違い、年齢差や思考の水と油の関係がだんだんと溶け合っていくことを意識した。
 折から、村本はアメリカの伝統芸であるマイク1本の風刺の話芸=スタンダップコメディに強い関心を抱いており、アメリカへ短期語学留学することになった。そして、現地で先述の町山智浩とも接触。
 二人は幾つかの番組で共演に至った。 
 もともと若い頃から、その志向性があったとのことだが村本は故レニー・ブルースやジョージ・カーリン、現役のケヴィン・ハートなどのステージを観まくり、この笑芸の形を理解していくようになる。
 そして日本におけるスタンダップ・コメディの一人者になった。

 今回のウーマンの漫才を受けて〝正しいこと〟を標榜している陣営から一斉に賞賛の声が上がった。
 しかし村本は、それらの一切をはねつけ「おれを利用して自分の気にくわない対象者を攻撃するカマ野郎が多い。おまえのけんかはおまえのお笑いに対する主義主張、おまえの責任でやれ」と肘鉄のようなツイートを投下した。
 無論、村本自身はまだまだ青い。元日の『朝生』では〝無知〟という武器を振り回し過ぎ大人たちから「まず君の〝無知の知〟の認識が先だ」と散々に咎められた。

 芸人の間でも今や村本には賛否両論がある。
 例えば、時事ネタ芸人のプチ鹿島は、
「『風俗を語るときは政治的に語れ。政治を語るときは風俗を語るように語れ』(大宅壮一)と言う言葉を引用して、政治や経済を語るときに難しい言葉を使い眉根を寄せて話すのではなく、もっと気楽に構えなければ本質は伝わらない」という久米宏の言葉を引用して、村本の風刺芸のスタイルを賞賛する。

 さて、改めてお笑いにとって風刺とは何か?
 宮廷画家であったゴヤが宮廷の風刺を含む画集を作った。
 これに対し、怒れば風刺を認めたことになると側近に諭されたスペイン王妃は、むしろ自ら世に広めるほどの気持ちで出版を許可したという昔話もある。

 ビートたけしは、お笑いとはもともと宮廷のピエロである、とする。
「芸人には、もともと両義的な部分があって、ただ単に笑いのネタにすれば、立派な社会批判になるかというとそうではなくて、ネタにして笑い飛ばしながら愛嬌振りまいているところがある」(『バカ論』新潮社より)

 ボクの持論を言えば、お笑いは政治的に右にも左にも与しない。左右を弁別すべからざる状況を作り笑い飛ばすことこそがお笑いだ──。
 ボク自身、普段コメンテーターも務めているため「政治に興味があり、プレイヤーになりたがっている」と世間に誤解されることが多い。
 しかし、それは実にはた迷惑な話だ。この先、二度と誤解されないように3年前ネットで『水道橋博士のムラっとびんびんテレビ』という破廉恥で下品極まりない冠番組を始めた。
 そんなエロの冠を戴くボクだからこそ、村本大輔がびんびんにテレビで攻めテロる様を今年もしかと笑いたい。
 そして、今年、米国留学する村本くんにはいずれ「黄色いエディ・マーフィ」になっていただきたい。

【その後のはなし】

 コロナ禍となってしまい、米国スタンダップコメディ修行も思うに任せないのは彼としても歯がゆいところだろう。

『THE MANZAI 2020』では、久々に全国ネットのテレビで漫才を披露、この年初めてビートたけし、ナインティナインの横で漫才を行った。
それを彼は視聴者がどれだけビートたけしのコメントに影響されるかの「実験」「観察」と称した。速射砲のように時事を皮肉を語り尽くすスタイルは先鋭化し、そのスピードはフルスロットルとなった。
 ビートたけしは「ああいうの、北千住の駅前によくいたな」と、コメントしたが、この短いコメントはまた火種となった。
「もはや漫才の体をなしていない」とする派は、ただの下町の駅前の酔っぱらいのアジ演説との見立てを「さすが」と喜び、結局「ビートたけし」の言葉に引きづられてしか批判をできないものたちを村本は「思ったとおり」、「虎の威を借りないで自分の言葉で自分の考えを述べれる人たちになって欲しい」と応酬した。
 とにもかくにも最大の被害者、また今年も、ますますもって、まったく喋らせてもらえなかった相方の中川パラダイスであろうことは衆目が仲良く一致したのであった。
村本が商品価値として認められることが日本の多様性の担保になる。


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