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24年6月4日(火曜)【能登被災地日記・初日】。羽田空港から能登里町空港へ。珠洲(すず)市の『海浜あみだ湯』へ。被災地を視察。銭湯で番台初体験。夜は地元の人たちと宴会。満天の星を眺める。

朝4時50分起床。

昨日は、結局2時頃まで眠れず、
3時間睡眠なので猛烈に眠いのだが、
無理やり起きる。

『アサイー』ジュースを飲んで整える。

5時半には荷物をまとめて、
そっと家を出ようとすると、
玄関で長男が、
「パパ、羽田までクルマで送ってあげようか?」と。
「それはホントならありがたいよ!」
「でもタクシー代はもらうよ!」

しかし、まさか長男運転で、
羽田まで行ける日が来ようとは。

車内は、長男の選曲DJでずっとご機嫌。
最後にボクが、
ユーミンの「中央フリーウェイ』をかける。

「これはいい曲だね!!」と長男。

なんと6時半には到着。
第二ターミナルの駐車場に車を止める。

昨日、予行演習で歩き倒したので、
羽田空港内の何処に何があるかは、
完全に頭に地図が入っている。

7時になると、次々と飲食店が開く。

喫茶へ入って、コーヒーとホットドックを注文。

妻と娘にに空港限定の
可愛らしいスイーツのお土産を買って、
長男と分かれる。

荷物を預けて一段落だが、
ここから搭乗まで
まだ一時間以上あった。

旅行の大荷物を背負っていると
思うと重い。
なので、座ること無く、
羽田という知らない街を
トレッキングををするという
運動の設定に切り替える。

空港内の道の曲がり角や、
店の配置や、トイレの場所、
モノレール駅や駐車場への導線などなどが、
徐々に頭に入ってくるようになるまで、
何周も空港内を歩き回る。

保安検査場を通ってからも
バスラウンジに待機。
時間があるので、
座って日記を書くのだが
ひとりだけ汗だくだ。

10分遅れで、バスで運ばれて搭乗。

ANA便の最後尾に腰を下ろす。

機内では、『力道山未亡人』を読む。
面白すぎて、あっという間に一時間が経過……。

着陸態勢に入ってから
窓の外の風景に既視感がった。

この空や俯瞰で見える土地や海岸線は、
何処かでこの角度で見たことがある……。

着陸時、滑走路の地震で出来た、
アスファルトの地割れを小さな車輪が拾うため、
今までにないハードランディングを経験した。
ズッタン、バッタン、サザエさんのエンディングのようだ。

能登里山空港へ到着。

石川県出身の力士のお迎え。

青柳監督がお迎えのはずだったが、
渋滞に巻き込まれている用。

しばし、空港の3階の喫茶店を
貸し切りで過ごす。

風光明媚。
『力道山未亡人』を読み続ける。

しかし、この空港の眺めに完全に記憶がある。

……思い出した。

2013年4月16日に
空港に隣接する『日本航空学校』へ
体験入校の取材したのだった。

https://ameblo.jp/suidobashihakase/entry-12651828832.html


しばらくして、
青柳監督がトヨタレンタカー青のYARISで登場。

パリ・ドゴール空港ばりの
「やっと会えたね!」
のお笑い定番挨拶を交わす。

能登半島の親指に例えると、
爪のあたりが現在地。
珠洲(すず)市の東南側、
海に面したところが目的地、
「海浜あみだ湯」だ。

珠洲道路を東へ向かう。

空港から、『海浜あみだ湯』へ向けて走らせるが、
山間部を抜ける舗装道路だけで、
青い空、白い雲、山の奥深い緑、海の予感に、
「来て良かった!!」と幸せな気分に包まれる。

長閑な田舎道から市街へ入り、
そこに海が見えてきたときの高揚感たるや。

そしてトンネルを抜けると……。
被災地だった。

地獄絵図が続く。

この光景を生で見て、
心に喰らわない人間はいないだろう。

1月1日の地震発生から、
半年経ていて、なおこの惨場だ。

空の青より、ブルーバックのほうが色濃く物語る。

倒壊したまま家が手つかずのまま
……言葉を失う。

ひる時だが、
小さな店舗は店を閉じているが、
大きめのドラッグストアだけが
数軒営業中。

しかし、大型の駐車場も陥没地帯だらけ。

寝不足のため、栄養剤や花火を買い込む。

分け入っても分け入っても……瓦礫の山。

お店がほとんど空いていない。

お昼に外食店がほぼ壊滅している。

市街を何周もして、
ようやく営業中とあった
『炉端焼き あさい』さんんに飛び込むと、
店内は大繁盛。

カウンターの端に座り、
モニターでサザンを聞き入りながら、
海鮮丼と具沢山スープを注文。

正直、めちゃくちゃ美味かった。
刺身の味が濃い。

お店のことが載っている、地元誌を見せてもらう。

『海浜あみだ湯』の経緯も載っていた。

お店を出て、あみだ湯を目指す。

そして、海岸線沿いの道を辿って、
海浜あみだ湯へ到着。

まさに海の見える銭湯だ。

ひと目で魅了されてしまう、ロケーション。

銭湯の奥には、海が広がり、波の音が聞こえる。

銭湯の脇には薪が組み上げられている。

ボイラー室へ廻っていく。

店主の新谷けんた(しんけん)さんにご挨拶。

三田の「蟻鱒鳶ル」(蟻鱒鳶ル)
で出会って以来だ。

ボイラー室では多くのボランティアが、
木を切り、火を起こし、汗だくで働いている。

ボイラー室の奥から海が見える。

銭湯のお湯は地下水を汲み出し、
ボイラーで沸かしている。

しかし上水道はまだ通っておらず、
トイレ事情はこちらの簡易トイレだ。

すぐに営業時間になる。

14時の開店と共に「番台」に就任。

しんけんさんのパートナー桃香さんが書いた
地震日記を合間に読んでいく。

昨日の新聞。
正月に続いて、再び地震に襲われたばかり。
震度5を記録して、
昨日は臨時休業になっていた。

山本太郎代表はは昨日に現地に入り、
今日は国会で質問していた。

本来、番台は大磯エミさんが担当なのだが。

これが、スーパー番台さん。
全ての町民の名前と家族やエピソードを覚えている。
どえらいスーパーコンピューターだ。

ボクは声が大きいのと愛想はイイ。



この様子を青柳監督が撮影。

銭湯の裏手は浜と海、
その前に草原が広がっている。

この防波堤は乗り越えたい。

この草原のグラデーションの美しいこと。

海浜あみだ湯の横顔。

ボーリングフォーコロンバイン。

ゼロ・グラビティ。

ついにナウシカごっこを始めてしまう。

その者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし

ボイラー室で火の調整を学ぶ。

京都から来たアーティストの阿児つばささんが
くつろいでいる。

彼女は、京都でれいわの長谷川うい子さんの選対に居たそうだ。

『あの梅雨、一番静かな海』

市役所のモリタさんが仕事終わりに援軍に。
毎日のように居るとのこと。

火消しのTシャツで火入れをする。

火を見つめながらよもやま話がかきない。

昔から交流のある
京都のアーティスト加藤イタルさんと青柳監督。

監督は、ジブリTシャツなのだ。

夕方以降が繁忙期だ。

お客さんの大半は被災者なので、
入浴料は無料。
県外からの入場者は500円。

被災者のクリーニングの
無料サービスを行っている。

休憩&宿泊ルーム。

ボクは写真撮影は自由。
どうしてもツーショットを頼まれると、
全部やる課だ。

10代で銭湯を手伝っているアーティストとご両親。

番台で次々といらっしゃる見ず知らずの老若男女と、
すぐに打ち解ける。
選挙に経験のたまものだ。

最も仲良くなったカニおばあちゃん。
「写真は1000枚まで無料ですよ!」

美術系の方が多いので、同人誌も作っている。
『額装』創刊号。
木兎乍さんのエッセイ『言葉食事論』を読ませてもらう。
哲学談義。

22時頃終了。
地元の方からの
差し入れが次々と届いて大宴会。

地元料理 山菜料理の「かたは」の漬物。
美味かった!!!

当然、最後の風呂にも入れて頂く。
広い、広い。
サウナあり。水風呂あり。屋上あり。
外へ出て星の天蓋あり。
いままで入ったきたお風呂でも最上級。

テラスで海潮音を聴きながら、
プラネタリウムを超える輝度の
満天星や流れ星を眺めていると、
原始的な人間が目覚めてくる。

最&高じゃないかああ!!

ボクと青柳監督のコンビにエミーゴを加えた
「海・浜・あみだ湯」というトリオで、
M−1よりレベルの低い、結成150日以内の漫才コンテスト、
Mー0を作って挑戦しようという妄想が盛り上がる。

1時過ぎまで飲んでいたが、
最後にゲストハウスに案内される。
車中泊や雑魚寝も覚悟していただけに。
VIP待遇だ。

2時20分頃、就寝。

明日は、銭湯はお休み。
珠洲を廻るのだ。

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