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25.萩本欽一 〜欽ちゃんはどこまでやるの!

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「僕は田原総一朗に憧れてテレビ界に入りました! あの頃のドキュメンタリーが忘れられません!」

 2012年4月16日──。
 当時55歳だった日本テレビのプロデューサー土屋敏男が、78歳の田原総一朗に熱い想いを打ち開けた瞬間だった。
 この日、田原総一朗が東京12チャンネル(現テレビ東京)の社員時代に作った半世紀前のドキュメンタリー作品をまとめたDVDシリーズのお披露目会が秋葉原のイベントホールで行われていた。
 ボクはこの企画の立ち上げメンバーであり、番組MCとして2年以上も、田原のパートナーをつとめVTR発掘作業に関わっていた。
 イベントにパネリストとして登壇した土屋は、20歳の時の日記を持参するほどの気の入れようだった。

 田原の著書『テレビディレクター』(合同出版)にどれほど影響を受け、それがいかに今日の自らの進路を決定づけたか青臭く綴られた自らの日記を示しつつ、さらには自身のドキュメンタリー・バラエティ代表作である『電波少年』の発想の原点が、田原作品にあることを熱烈に語った。

 イベント終了後には、初対面となるアーティストの岡村靖幸がボクの楽屋を〝アポなし〟で訪ねてくるという一幕もあり、そのまま連れ立った打ち上げは大いに盛り上がった。

 今にして思えば、この日、後に土屋敏男が監督として撮る萩本欽一のドキュメンタリー映画に繋がる伏線が揃っていた。

「欽ちゃん」こと萩本欽一、またの名を「視聴率100%男」――。

◯『欽ドン!良い子悪い子普通の子』   
 38・8%(フジテレビ)※
◯『欽ちゃんのどこまでやるの!』
 42・0%(テレビ朝日)※
◯『欽ちゃんの週刊欽曜日』
 31・7%(TBS)※  

 ※「番組最高視聴率」
 日刊スポーツ2017年7月26日/ビデオリサーチ調べ関東地区

 80年代の全盛期、レギュラー3番組の一週間の視聴率を合わせると100%を超え、その異名で敬意と共に呼ばれていた。
 バラエティ番組の視聴率が消費税率と丈比べを続けるような昨今からしてみれば、信じがたい高視聴率であり今に至るまでこれほどの偉業を達成したお笑いタレントはいない。

「もう一回、30%バラエティをやりませんか?」
 自身がプロデュースした『電波少年』で30・4%を記録したこともある土屋敏夫は欽ちゃんの自宅にアポなしで突撃するとこう切り出した。

 土屋の初監督作品『We Love Television?』は、そこから始まる欽ちゃんの番組づくりの過程と、その顛末を2011年からの6年越しの映像で綴った、田原総一朗イズム溢れるドキュメンタリー映画だ。

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 思春期にビートたけしから落雷のように影響を受けたボクにとって、欽ちゃんのバラエティ番組は正直「緩くてもどかしい」ものだった。
 無論、コント55号時代を知れば、それは欽ちゃんの本性ではないとわかるのだが視聴率100%時代や『仮装大賞』『24時間テレビ』(日テレ)などのファミリー路線が長く続いたために、「萩本欽一=いい人」の世評は広がり本人はやがて、そこに搦め取られていったイメージだ。
 我が師・ビートたけしは、日本バラエティ史において萩本欽一的な笑いに引導を渡した張本人であろう。
 しかし、伝説の浅草芸人・深見千三郎の弟子が東八郎とビートたけしであり、その東八郎の弟子が萩本欽一であることを思えば、芸人としての源流は同じなのだ。まるで犬猿の仲の宗教同士が、実は聖地を同じくするような話でもある。
 さらに言えば、萩本欽一と浅草キッドは等しく深見千三郎の孫弟子であるとも言える!(無論、キャリアと実績は格段の段違いであることは言うまでもないが……)
 それ故に、萩本欽一とは何者か?
 ボクも芸人人生の中で数度の邂逅と共に常に考えさせられた。

 視聴率100%男の終焉は、漫才ブームと『オレたちひょうきん族』(フジ)の登場に因る、時事ネタ、楽屋ネタ、下ネタの全開放、修練された一芸よりも芸人の即興性や個人プレーの応酬が蔓延したことと関係するだろう。

 そもそも、お笑い界とは戦場だ。『ひょうきん族』がそうであったように、欽ちゃんもまたザ・ドリフターズという強大な敵と陣地を争った。

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 立川談志は『談志百選』(講談社)において、ドリフを「テレビで観られる唯一の芸人の集団」と高く評価する一方、コント55号を認めなかった。
 ただし「逆にいやあ、談志なんぞに誉められなかったから萩本欽一の全盛があったのだ」と、パラドックス的な評価を与えもした。

 パラドックスといえば、PTAの目の敵にされ続けた『8時だョ!全員集合』(TBS)こそ、実際にはアドリブの隙を一切与えないほど几帳面な、いかりや長介の徹底したリハーサル主義によって支えられていた反面、欽ちゃんの番組は、台本に依らないアドリブ重視の姿勢が徹底されていた。

 ドリフが全員正装の一音符さえもアドリブの許されないクラシックであるならば、欽ちゃんの番組は、素人や芸人外の歌手や俳優による笑いの不協和音を、燕尾服を着た萩本欽一が指揮棒で操る混声合唱団のようなものだ。
 付け加えれば、『俺たちひょうきん族』は東西芸人のフリージャズであると言えよう。

 この逆説のパブリックイメージは、土屋も映画の中で解き明かしている。
「リハーサルは面白くないまま進める」
「タレントが家に帰って考えるようになると数字は〝いく〟」
「スタッフも出演者も仕事に慣れすぎてはならない」

 すなわち、欽ちゃんの「30%を取る奥義」とは、徹底した予定調和崩しであり、芸人を極限まで追い詰めた先に会心の一打が産まれる瞬間を待つ──まさにそれは『電波少年』の土屋敏男が継承した手法そのものであった。

 こうした欽ちゃんの〝可愛がり〟によって〝素人同然〟に戻り、追い詰められた者たちの行く末は、消息不明となるか、いつまでもお茶の間で愛され続けるタレントに成長するかの二択だ。
 後者には、枚挙に暇がないが、関根勤、小堺一機、松居直美、勝俣州和、はしのえみなどがおり、欽ちゃん演出の無理難題を経たことで、どんな状況も難なくこなす手練れのテレビタレントとして確固たる地位を築いている。

 今、ゴールデンタイムのバラエティは、欽ちゃんの全盛時のように、下ネタもイジメもない、人を叩かず、性差別もない、PTAから一切文句も言われない、無菌室の世界に回帰しつつある。
 しかしながら、この映画が映し出したように、欽ちゃんが再び志向する微温湯のバラエティに視聴者を戻すのは至難の業かもしれない。

 例えば、『世界の果てまでイッテQ!』(日テレ)は家族で楽しめるバラエティでありながら、依然として旧来の、水、火、高所、涙といった、体を張った過酷さ過激さが、高視聴率を支える要であり続けている。

 それでも、今年61歳になった土屋敏男は、テレビマンに宿る魔法を信じ、76歳の萩本欽一の現在と視聴率芸人の奥義と狂気を画面に刻み、見事に次世代へのバトンを繋いだ。
 テレビは他のメディアに比べ、常に流れ、瞬時に消え去り、記憶の中で美化され懐かしむものだ。だからこそ、その舞台裏に潜む悪夢的な真実をドキュメンタリーで見せられると、人は否応なく惹きつけてしまう。

この映画のエンディングで流れるのは、岡村靖幸が同作のために書き下ろした新曲『忘らんないよ』だ。

 まさに図星のタイトルだ。

【その後のはなし】

 「笑いの種類って色々あって、これまで『アッハッハ』って(爆笑するような)笑うコントを作ったりしてきたけど、ニッポン放送で初めてチャリティー番組『ミュージックソン』をやったときに、『幸せ』という気持ちだけで『笑う』という”笑いの形”があるんだと思ったんだ。」

 (2017年11月4日ニッポン放送ホームページ「76歳・萩本欽一が大学に通う理由はミュージックソン?」)

 2019年3月吉日、萩本欽一は駒沢大学仏教学部を退学した。
 「もう一度、お笑いをやりたい」という精力的な理由であった。
 この先、仏教と笑いがどのように萩本欽一の中で咀嚼され、新境地を開拓してゆくのであろうか。

 萩本欽一という宇宙、曼荼羅、そのお笑い哲学を論じるには本一冊分の紙数が必要であり、ボクにはその論理性を展開する欽チャニズムは足りていないし、ましてやそこに仏教が融合するのなら、もはや手も足も出ない。

 テレビバラエティは、イジメ芸から、下ネタから、暴力描写から脱して正常化し、さらに超高齢化社会と笑いという命題に立ち向かう。
 社会学者やネットクレーマーが求めるテレビバラエティの良識化は否応なく迫っている。とはいえ…。

 Do they really love televison?

 テレビバラエティの新しい未来を創り、捨てるものと守るべきものの判断をするのは、あくまで現場であり芸人に主導があるはずだ。
 しかし、今年、80歳を迎え、いまだに現役にこだわる、欽ちゃんはどうなるの??

 一方、田原総一朗と欽ちゃんの弟子・土屋敏男は64歳の今も老いることがない。
 戦場を日本テレビに限らず、各所で次々と企画を打ち立て、今もエンタメの中心を掴もうとしている。
 ボクは『元気が出るテレビ』の頃から土屋の仕事ぶりを末端のスタッフのひとりとして観察し、2010年に土屋が企画した、ビートたけしと松本人志の融合番組『たけしとひとし』(日本テレビ)では、立ち上げの企画の時から参加して、土屋のものづくりに1から関わった。
 そして、そのテレビマンとしての貪欲さに舌を巻いた。 
 映画『We Love Television?』でも、土屋敏夫と岡村靖幸のコラボにも一役買った。
 金髪で赤塚不二夫ような風貌をしてニコニコと「バカの振りをして」、無理だろうと思うキャスティングを強引に進める辣腕ぶりを何度も目の当たりにしてきた。
 土屋は虎視眈々と、もう一度「視聴率30%級のインパクトある仕事」を残すことに取り憑かれている。
 2021年はWOWOWに招かれて『電波少年W』という新企画に取り組んでいる。
 このひとの現場感にも、ボクは個人的に目が離せないでいる。

 

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