37・浅野忠信〜ファミリーヒストリー
「今、この混迷する大相撲モンゴル会問題を解決できるのは、浅野忠信しかいないだろう!」
昨年末、ボクはそんな軽口を叩いていた。
なにしろ、連日テレビのワイドショーは大相撲のモンゴル会殴打事件の顛末を取り上げ事態は警察沙汰に至り、しかも捜査は手詰まり……。
その内紛劇を茶化したのだ。
ボクのフェバリット日本俳優である浅野忠信は現在のところ、俳優部門、日本代表のセンターと呼んで差し支えないだろう。主に映画を中心にして活躍してきたが、今季、丁度、主演ドラマ『刑事ゆがみ』に出ており捜査はお手の物。
さらに2008年アカデミー外国語映画賞ノミネートの『モンゴル』では初代皇帝チンギス・ハーンに扮した。モンゴルにも顔が効く。
昨年の『沈黙―サイレンス―』では冷徹な通訳を演じただけに、この時事ネタジョークは満更でもあるまいと思っていた、
そんな矢先の12月5日、衝撃的一報がもたらされた。
俳優・浅野忠信の父で所属事務所『アノレ』社長の佐藤幸久容疑者(68)が11月30日に覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕。
一報が流れた時、もしや放送中のドラマは打ち切りになるのでは?と危惧した。それはテレビ業界で働く者なら誰もが最も憂慮する最悪の事態だ。
同日、浅野は所属事務所の公式サイトでコメントを発表した。
「僕も身内の一人として驚き、また心配もしております。父は大きな過ちを犯しましたが、僕にとってはたった一人の父ですので、今は父のことがとても気がかりです」
さらに浅野本人のツイッターでは、
息子が刑事役やってる時にお父さんは何考えてんでしょうか!? と言うわけで落ち込んでる暇はありません! 刑事ゆがみは今日も頑張ります!!
と、ドラマの現場写真と共に責任感と余裕にも満ちた一文をあげた。
勿論、この対応にも賛否両論はある。が、身内の不祥事のたびに親や子が連帯責任をとらされる日本の慣例に食傷気味だった世間は拍手を送る側の方が多かった。
そして、ボクはこの俳優に初めて会った日のことを想い返した。
2013年7月1日──。
BS日本映画専門チャンネル『北野武劇場』の収録で茨城つくばみらい市「ワープステーション江戸」を訪れた。
まるで江戸時代へタイムスリップしたかのようなセットの前で強い既視感に襲われた。
それは、映画やドラマの時代劇のロケで、このセットが再三使われているからだ。
ボクは、北野武映画のメーキングを辿る、この番組の司会を担当し、浅野忠信と初邂逅した。
ここで撮影された北野映画初の時代劇、そして初のエンタメ作品でもある『座頭市』(2003年)は、ベネチア映画祭で銀獅子賞に輝き、興行収入29億円をあげ、北野武監督の最大のヒット作となった。
そして、市の敵役、服部源之助に扮した浅野は、冒頭シーンの荒地で12人斬りの殺陣を迫真で演じ、世界のキタノをして「いいよね、浅野くん。アップで10秒以上もつ!」と言わしめた。
この番組でボクは、映画の裏話、役作りの話以外にも積年募る、個人的な疑問を問いかけた。
「今回、ボクの本の『藝人春秋』で、ポール牧師匠と石倉三郎さんを取り上げたのですが、浅野さんのお父さんが二人のマネージャーだったという噂は本当ですか?」
と、問いかけた。
「はい、父は今、僕のマネージャーですが、以前はポールさん、石倉さんも担当していたので、子供の頃に『風雲!たけし城』の収録にも一緒に通いました。その時の写真もありますよ」
浅野は屈託なく答え、都市伝説はあっさりと事実に格上げされた。
「両親に連れられて、たけしさんのNHKホールのコンサートにも行きました。たけし軍団は子供心に憧れの的で、将来、軍団に入れると思っていましたよ」
「もしそのまま軍団入りしていたら芸名はどうなったでしょうね?」
と質すと、
「ズバリ、浅野内匠頭でしょ!」
と名回答を返し、二人で納得して笑い合った。
もしかしたら、一門の中、この名優がボクの後輩になっていたかもと思うと、恐れ多い気持ちが萎み、すっかり身内のように思えた。
(その後、ハリウッド版忠臣蔵『47RONIN』で、浅野忠信は、浅野内匠頭ではなく吉良上野介役であったことには個人的に笑った)
浅野とは意気投合したが、本来、役者と芸人は、同じ芸能界の住人と言えども一期一会なものだ。
しかし、すぐに二度目があった。
2013年9月5日──。
ボクがパーソナリティを務めていたNHKラジオ第一『すっぴん!』のスタジオで再会した。
ここでも浅野はリラックスして、たけし軍団へのシンパシーを熱弁し、また、自身の画集を持参し、画家としての腕前も披露。
バンドも掛け持ちしており、今も現役ミュージシャンであることを語った。
両親から繋がれた血はアーティスト家系で、そもそも「忠信」という名前も父親が敬愛する芸術家の横尾忠則にちなんでいるとも教えてくれた。そして「僕の場合、家族の血、影響って強いですね!」と答えていた。
その後、NHK『ファミリーヒストリー』の浅野忠信篇をアンコール放送で観て心を奪われた。
クォーターで幼少の頃から髪が栗色だった忠信少年は、自らの出自については詳しく知らないまま成人した。
番組では、そんな浅野が母親と出演し、NHKの取材で判明したアメリカ人祖父・ウィラードの人生、そして知られざる家族の歴史を辿っていく。
太平洋戦争を契機に、浅野の祖父と祖母は日本で出会い、結婚。
後に浅野の母親となる順子を出産する。だが6年後、祖父は家族を日本に残し、単身アメリカへと帰国。浅野の祖母は女手ひとつで娘を育て上げた。
一方の祖父はアメリカで再婚。
二人の息子の継父となり、1992年に65歳でこの世を去った。
番組の最後、その義理の息子たちと、浅野と浅野の母親が対面を果たす。
初めて会う母親の兄弟は、祖父が抱き続けた日本に住む家族への想いを伝える。彼が生前、肌身離さず持ち歩いていた愛娘の写真と共に。
戦争によって手繰り寄せられた、国を越えた出会いと別れ。そして子供たちの運命と人生。
自らのルーツを目の当たりにしてカメラの前で滂沱の涙を流す浅野忠信──。
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