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26.  不滅の男 遠藤賢司

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♪ワッショイ! ワッショイ!
 甘ったれるなよ! 文句を言うなよ!
 嫌なら出てけよ 俺は好きさ
 すすす好きさ東京 おお我が街  
 おお我が友、トトト……
 東京東京東京 ワッショイ!

   2017年10月25日──。
 紀尾井町、文藝春秋の一室に立て籠もって、この連載の読み合わせを担当編集者と共に進めていた。
 いつも四方山話や冗談に興じて終了時間を遅らせるボクだが、この日は、なるべく時間を前倒しに終わらせようと先を急いでいた。
 昨晩遅く、敬愛する「純音楽家」が慶大病院に運ばれ、危篤に陥り、関係者から「最後に一目だけでもお会いしませんか」と連絡を受けていたからだった。 
 とにかく、夕方までにこの仕事を終わらせたいと胸に期していた。

 原稿からふと目をそらし窓の外を眺めていると、SNSのメッセンジャーに連絡が入った。
 「大変残念ながら逝かれました」
 間に合わなかった……。
 その無念さが頭を掠めた時、遠藤賢司の「東京ワッショイ」が脳内に流れ出し、しばし手が止まり身震いした。

 遠藤賢司の代表曲のひとつ「東京ワッショイ」は漫才師・浅草キッドの出囃子だった。
 芸歴も30年を超えたが、本業である漫才の舞台に立つ時は、舞台袖でこの曲が流れ出すと全身の血潮沸き立ち、戦場へ向かう覚悟を煽られ、凡人から芸人へと変身のスイッチを入れることができた。
 そもそも19歳で上京した時の下宿先で何度もレコードに針を落とした、吾が人生におけるヘビーローテンションの1曲であり、ボクの人生を最も勇気づけた最愛のアンセムでもある。

 遠藤賢司――。
 1947年生まれ、茨城県出身。60年代後半のフォークシーンに登場し、ジャンルや音楽形式を超える「純音楽家」を自称。「カレーライス」「不滅の男」などのヒット曲を生んだ。「言音一致」を掲げ、ギター1本でステージに立ち続ける姿勢は多くのミュージシャンに影響を与えてきた。 
 2005年のドキュメンタリー映画『不滅の男 エンケン対日本武道館』では監督・主演を務めたほか、主人公・ケンヂのモデルとされる漫画『20世紀少年』の実写映画に猟師役で出演するなど俳優としても活躍。ファンやミュージシャンからは「エンケン」の愛称で親しまれてきた。

 ボクとの初対面は2007年。
 共通の知人である馬場憲一のエスコートだった。馬場は山梨県・石和の好事家でライブや寄席を仕掛ける席亭でもある。
 エンケンとは長年の友人でありつつ興行主と演奏家の関係だ。
 浅草キッドにとっての本場所、高田文夫が主催する紀伊國屋サザンシアターでの『高田〝笑〟学校』で、我々がトリを飾る漫才を見届けた後、楽屋を訪ねてくださった。

「僕の曲を最高にカッコよく使ってくれてありがとう!」と言われ、飛び上がらんばかりに喜んだ。
 そして、純音楽家と最後に会ったのは、2016年9月21日――。
 渋谷クラブクアトロでの公演「遠藤賢司withサニーデイ・サービス『満足できるかな』」だった。
 前日の昼、TBSラジオを聞いていると、ちょうど来日中だった在米の映画評論家・町山智浩が生放送で突然「僕の大好きなエンケンが今、癌と闘病しています。それでも明日、クアトロでライブをやるんです。まさに〝不滅の男〟ですよ!」と語った。

 これは見逃せない!
 チケットは完売だったため当日券に並んだが、途中、連絡がつきサニーデイ・サービスのベース・田中貴のはからいでなんとか入場できた。
 会場は超満員。立錐の余地もなく、辛うじて最後尾の柱のウラに立ち位置を確保した。そんなぎゅうぎゅう詰めの中で町山を探していると偶然、先述の馬場憲一と遭遇した。
 馬場からはいつもエンケンのライブに誘われていたので「ハカセ、やっと来てくれたね!」と声をかけられ「終わったら楽屋へ案内しますよ」と誘われた。
 普段なら恐れ多いと辞退するのだが、この日だけは「是非!」とその気になった。
 町山を見つけられぬまま、19時半過ぎにステージが始まった。

 1971年発表の名盤『満足できるかな』の楽曲を収録順に演奏していく。
 癌に侵されたままの痩身から振り絞られる歌声と立ち上がる言霊はライブ会場に神々しく響く。
 途中、トイレに出たら今度は観客に押されて扉が開かず、会場内に戻れなくなった。歌声に耳をすましながら、階段の踊り場で時間を過ごす。
 その時──。
 突然、フゥーフゥーと肩で息をしながら青白い顔の男が出てきた。
 町山智浩だった。
「アレ!? 博士、なんでいるの? おいら、寝不足のせいで、もう気持ち悪くなっちゃって……」
 こんな偶然があるだろうか。
「いや、お互い年だし、もうライブを立ち見する体力はないねー」
 そんな話をしているところに、途中入場の客が階段を駆け上がってきて   我々の横を通り過ぎようとした。
「あッ!」
 男は声をあげ、立ち尽くした。逆光のせいで顔が見えない。
「……宮藤です!」
 脚本家の宮藤官九郎だった。
「どうしてもこれを見たくて! 今、すぐ近くで別のライブ中なんですけど、中抜けして来たんですよ!」
 そう早口でまくし立てると、足早に会場内へと吸い込まれていった。
 そう言えば、クドカンは数ヶ月前、自らのバンド「グループ魂」でエンケンとセッションライブを行っていたばかりだ。
 町山の息が整ったところで、ボクらも再入場を試みたが、やはり前へは進めず、結局、出口付近でエンディングまで見届けた。
  アンコールは、もうひとつの代表曲「不滅の男」。
  ギターを刀のように握り、武士の如く見得を切るが、その姿はイエスの磔刑にすら見えた。

♪俺は不滅の男! 
 頑張れよ!
 なんて言うんじゃないよ!
 俺はいつでも最高なのさぁぁぁ!

 楽屋挨拶で映画監督の園子温監督と会った。   
 ライブ終了後、園と町山と3人で短い時間、ビールを飲み、その後、園子温と打ち上げへと向かった。
 会場は渋谷の老舗ロックバー「B.Y.G」。
 日本のロックの歴史が刻み込まれた、その空間へと足を踏み入れると、そこに……。
 遠藤ミチロウ、鈴木慶一、あがた森魚、PANTAなど、ほぼ面識はないが十代の頃の憧れの人が、ライブを終えたエンケンを取り囲み、皆、にこやかに杯を交わしていた。サニーデイ・サービス、フラワーカンパニーズのメンバーも、先人たちの交流を静かに見守っている。

 最後の晩餐のようにエンケンを中心に広がっていく笑顔に包まれて、ボクは泣きそうになった。

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