見出し画像

27. 不滅の女 和田アキ子

画像1

                                            (イラスト・江口寿史)


 ♪あの鐘うぉーー、鳴らすのはぁーー
 あなぁーーたぁあぁあああーー!!

 2017年10月25日――。
 葛飾区立石に聳える「かつしかシンフォニーヒルズ」。
 定員1300人のホールに金色に輝く長軀の歌姫の圧倒的な歌声が響き渡る。
 和田アキ子50周年記念ライブ「THE LEGEND OF SOUL」の初日。
 この日、ボクは2階席のチケットを購入、仕事終わりで急いて葛飾まで駆けつけた。
 本人がMCで「和田アキ子、生歌ハンパねーから!」と宣言した通り、2時間半のステージでは、その野太すぎる人生劇場をパワフルに歌い上げ、超満員の観客を終始魅了した。

「♪あの頃はアー!」の「古い日記」や「♪とても悲しいわアー!」の「どしゃぶりの雨の中で」など、誰もが知るヒット曲の数々と共に50年前からの逝きし世の面影がスクリーンに映される。
 歌は世につれ世は歌につれ、さまざまな想い出が浮かび、また消え、ソウルフルな情感に心を鷲掴みされた。
 半世紀に渡って第一線で歌い続けてきた和田アキ子とは間違いなく、日本芸能界の金字塔であり、なにより芸能史に枝葉を広げる幹でもある。

 2017年2月2日──。
 フジテレビの昼の生放送『バイキング』で、ボクは久々に和田アキ子と共演した。

「シートベルトを外し忘れて車から降りようとして、そのままポルシェを背負った」
「ドアロックの掛かった車のドアを普通に開けた」
「携帯の電源をオフにしてたのに落雷のように着信した」
「おにぎりを握ると餅に、やがて石になった」
「素手で捕鯨する」
「歴代マネージャーは58人、10人は海の底」


 などなどの強面ネタやパブリックイメージに反し、ボクは彼女の傲慢な振る舞いを一度も体験したことがない。  
 決して懇意ではないが、昔から会えばいつでも優しく接してくれた。
 どころか、駆け出しの頃から何故かボクを本物の「博士」と勘違いしているらしく、本番中も「はかせぇ、うち間違ってますかー?」などと敬語で接してくれるのが常だった。

 そんな和田との間にトラブルが発生したのは2001年。
 この年、我々は文藝春秋から『お笑い 男の星座』を上梓した。そのなかの一章に「芸能界最強決定戦 和田アキ子vs.YOSHIKI」があった。
 その内容は──。
 1994年の『NHK紅白歌合戦』を終えて和田邸で開かれた新年会。
そこにYOSHIKIが初参加したことで事件が勃発。挨拶で頑なにサングラスを外さないことに和田が激怒。そしてYOSHIKIが「ドンペリ」しか飲まない主義だと知るや、大衆焼酎の代表格「大五郎」を飲むように迫る。だが、YOSHIKIは一切折れず、その場にあった大理石のテーブルをひっくり返そうと試みる。一触即発の状態となった、その刹那!
 「パン!パン!」和田の手合図で襖が開くと、和田の用心棒として待機していた力士の旭豊と貴闘力が出てきた──という芸能界最強戦をレポートしたノンフィクション・エンターテイメントだ。ボク自身、お気に入りの一遍でもある。
 この本のPRにちょうど出演が決まった、TBS『アッコにおまかせ』を利用しようと考えた。
 番組のコーナーゲストで呼ばれた我々は「芸能界最強は誰か?」というテーマのトークを依頼されていた。書き上げたばかりの本の中にあるバトルを当事者を前にして面白おかしく語りたい──ボクは文春の担当編集者と連絡して、まずプロレス的な前煽りをお願いした。
 しかし、生出演を2日後に控えた木曜日、『週刊文春』2001年1月25日号の中吊り広告を見て目が点になった。そこには、こんな見出しが打たれていたのだ。
〈ビートたけしの弟子・浅草キッドが暴露した和田アキ子の『本性』〉
 幾らなんでも煽りすぎだ!
 案の定、その日のうちにTBSから連絡があり、我々の生出演はドタキャンされた。
 確認したところ、本人には知らされぬままマネージャーレベルで判断が下されたとのこと。
 この処分を巡って、我々もオフィス北野でも揉めた。
 「これって暴露本なの? 出版取りやめる? その分の印税はテレビ出演で取り戻せるからさ」とチーフマネージャーに提案され、思わず「だったら今、会社を辞めます!」と啖呵を切った。 
 あの頃はボクも若かった──。
 その後、数年を経て、いつしか和田の冠番組に呼ばれるような関係性が復活し、交流も生まれた。互いに深刻な腰痛を抱えるため、その治療法を巡り、時には電話で直接、情報交換することもあった。

ここから先は

1,453字

¥ 100

サポートありがとうございます。 執筆活動の糧にして頑張ります!