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女性差別主義者と謗られ、「15才」〜中2病をこじらせた頃に思いを馳せる。

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2021年2月──。

ボクはネットで激しく炎上中だ。
まさに炎上師匠、ご乱心!だ。

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今や世間から、
「セクハラ芸人」「女性差別主義者」と名指しされている。

幾つか反論を書いてみたけど無駄だった。

そもそもボクの論点が違うのだ。

そして、多くの識者の意見に耳を傾けると、
ボクが反省すべき点も多々あると思えるようになった。

公式に2点の謝罪文を発表した。

1)ボクの最愛の趣味は読書であることは
今までいろんなところで言ってきました。
でも今回は
「人が本を読む理由は容姿等にコンプレックスがあるから」
と思われてしまうようなツイートをしてしまいました。
そこはダメだったところです。反省します。

2)芸能人は準公人なので
ボクが非難されるのも当然で
ボクが悔い改めることも必要なこと。
まだ謝罪が届いていない人に改めて謝罪します。
本を読む動機は多元的なことであり、
孤独や思春期の疎外感だけではないのに、
ついつい自己言及してしまいます。
それもダメですね。


この文章で「自己言及してしまいます」について
わからないと言われる。
説明すると、ボクが書いているツイートは、
それを読んでいる50万人のフォロワーや
他者を意識していないことが多い。

発信以外にも、日記を書くための備忘録として
付けているからだ。
ツィートは「呟き」であり、
ある意味、「ひとりごと」なのだ。
ときに、ボクは青春の輝きを目の当たりにすると、
所謂、リア充が無く、読書を拠り所にした
自分の思春期を思い返している。

書庫を探していたら、
中3の卒業前の文章が出てきた。

嗚呼、ずっと変わらないなー。俺は。
常に悶々と生きている。

この文章を文字起こししてみた。

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敗者の決意」
ー卒業を前にしてー   

                    三・C・小野正芳

【敗者の章】
ぼくにとって、この三年間は何だったのか?
卒業を前にして思う時、
自分は得たもののはかなさと、
失ったものの膨大さに
懊悩せぬわけにはいかない。
後悔、そして自分の力では、
どうする(治療というべさか)
こともできなかった自分の状態へ、
限りない憎悪を深く感じる。

一年生──
それは、今のぼくにとって憧燥の時だった。
意欲と躍動感が全身を貫き、
日々の充実惑が胸を占め、
楽しい毎日だった。
自分自身を自覚し、
正しい道をまっすぐに歩んでいた時だった。
対立、喧嘩・絶交そんなものでも
正常な対人関係の上での一端だったので
なつかしい感じさえする。

二年生──三枚目としての自分の位置を確立した。
一年生に進んできた道に較べ邪道にそれた事で
違和感を感じたが、
心から笑えた事には自己満足があった。
しかし二年の冬、二月だろうか、
悪路を選ばざるおえなくなった日がきた。
その日(自分にとつて何びあったかを
具体的に書くことはみじめすぎる、
実にあいまいな表現だが
“ある状態”が起こった日とする。)
その日以来僕は、
今まで片時の安らぎ、満足、笑いを得たことがない。
たえず”自分の状態”を気にし
悩まなければならなかった。
自分は、もし、人に自分のその状態を
責められようものなら、
その言葉に耐えていく自信はなかった。
”できるだけ批抗の少ない道を歩むのだ、
そうすれば自分は何も言われまい”
無意識のうちその計算はできあがっていた。
まず、手はじめに生活の質を落とした。
不正には、憤りを感じる夕イプだったのを
不正を然認し、
いや自分自身悪らつな行動をし、
正しいものへの反発を避けた。
そして、あれ程まじめにやっていた奉仕活動も、
コミ二ケーンヨンの場として
円看な対人関係を持つための時間と変わった。
わりあい異性とも話をしていたが、一切断ちきった。
そればかりか、ことば尻をとられないよう敬語で接した。
そして、悪評のたたぬよう、
世辞を使い、こびを売り、人にとりいった。
冬が去れば直ると信じて居辱にも耐えた。
しかし、季節が移っても直らないので、
厭世感すら感じるようになった。
ピエロのような学校生活からもどった後で
家に帰ってきちがいのように泣きわめいた日もあった、
”直るまで続けるしかない”
そんな気で学校のピエロ生活は続いた。
学校でのピエロ役が板についた時、
初めて自分は誤算に気づいた。
抗抗の最も少ない道は、
最も辱められる道であった事に、
いつしか自分は、ある種の者には軽べつの対象で、
クラス内では、希薄な在存になった。

現在自分は、希薄な在存で毎日無気力に登校し、
学校で地獄(自分にとっては)のような
精神的苦痛を味わい下校している。
卒業を前にして、表面、感慨深げにしているが
心底、安堵している。
卒業を指を折って待っている。
附中はすばらしい学校である。
その素晴らしい学校で
満足な学校生活を送らなかったことを
自分は後悔している。

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 そして、この後、高校一年でボクは休学している。
 学校を一年間休んで、ポツンとひとりきり、
 読書と映画漬けの日々を送った。

 でも、その行為は芸能を意識させ、
 ボクを今の職業に導いた。

 大人になっても何時も、
 「あの頃。」に思いに馳せてしまう。

 そして、今、アイドルと対談が出来る自分──。

 彼女たちの眩しい青春を目の当たりにすると、
 その才色兼備を憧憬の目で讃えながら、
 自分の灰色な思春期を振り返ってしまう。

 58歳の今、女性差別主義者と
 謗られている現状だが、
 15才のオマエには言ってやる。

 よく58歳まで生きてきたよ。 
 よく芸人になった。
 よくビートたけしの弟子になった。
 よく人を喜ばせようとする職業についた。
 よく3児の親になったもんだ。
 よく娘の父親になったもんだ。

 もし、まだ生きていたら
 父や母はとても恥ずかしがったろう。

 そして娘よ! 心配するな! 
 パパはちゃんと反省はする。

 でもボクの半生を振り返れば、
 どうってことねぇですよ!!

 だから調子悪くてあたりまえ、
 断然、いまがいちばんたのしい。



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