29 江口寿史という相棒
2017年11月30日──。
本日は『藝人春秋2』(文藝春秋)の上下巻発売日!
今週号の『週刊文春』が出るその日に、ボクの新刊、上下巻の2冊も同時に書店に並ぶ。
4年前の年末上梓した前作『藝人春秋』が本誌編集長・新谷学の目に留まり、直々の依頼を受け2013年4月から1年間限定で連載した『週刊藝人春秋』第1シーズンの大幅加筆を経て、ようやく単行本としてお届けできる運びとなった。
よく自著の出版は我が子の出産に喩えられるが、その倣いに従えば今回は予定日が遅れに遅れる「超難産」だった。
もちろん、連載終了から単行本化までに3年半の長きを要したのは、ボクの原稿の手離れの悪さが主因で、つまるところ非は我にありだ。
されど、連載時と単行本化の作業中を通じて、挿絵を担当する江口寿史先生の〝伝説の遅筆〟に翻弄されたことも、ここにご笑覧いただこう。
江口寿史──。
1956年生まれ、熊本県出身。1977年に『週刊少年ジャンプ』でデビュー、ギャグ漫画『進めパイレーツ!』『ストップ!!ひばりくん!』の大ヒットで人気作家に。90年代以降は雑誌、広告、装画、CDジャケットなどイラストレーターとしても多方面で評価を集め、第一線で活躍。
特に美少女を描く描線は圧倒的な支持を受けている。
思えば、連載開始前、挿絵が江口先生に決定した時、ボクはガッツポーズで歓喜した。10代の頃に偏愛した漫画家とタッグを組むこと、それが50代で叶ったその興奮たるや!
しかし、出版界では原稿を遅れるではなく、「落とす」ことでも伝説的に語られてきた巨匠だ。
伝説のジャンプ連載漫画『ストップ!!ひばりくん!』。
主人公は、現在の性の多様性の時代を先取りしたかのような美少女男子高校生。瞬く間に大人気作品となりアニメ化もされたが、これまた時代を先取りしすぎた江口先生の労働意識改革により、編集長に隔週連載を希望するも却下され度重なる休載を挟み、1981年からわずか3年弱で連載は打ち切られた。
作品完結には実に27年の月日を要した。
その極まりない遅筆、しかし、遅筆にしてため息の出るような傑作を仕上げてくる、周囲を二度泣かせする名作家っぷり。
江口寿史とは「漫画界の井上ひさし」であるともいえる。
『江口寿史の正直日記』(河出書房新社)などにも、絵師の創作の苦悩、遅れる理由が綴られている。
その手付かずの白い原稿に襲われるような焦燥を「白いワニ」と形容し、作中に度々登場させてきた。
現在でも連載漫画家の間で多用される符牒の発案者である。
ボクと江口先生の連載開始に先立ち、週刊文春側も有事の際の「白いワニ」の画や、代役の絵師も事前に準備万端整えることに抜かりはなかった。
そして迎えた連載第一回目。
その悪い予感を裏切らないまま、いきなり遅れに遅れ印刷所のデッドラインを過ぎてもまだ挿絵原稿が届かない。そして夜半過ぎにようやく入った時には安堵感から思わずツイッターで呟いた。
もはや間に合うだけで「奇跡」であり「ありがたい」と思えるような錯覚! これか出版社名物、白いワニの恐怖は!
すぐに江口先生から返信ツイートが呟かれた。
というわけで第1回めから落ちる寸前でしたが、今回は仕方ない! 他の仕事たてこんでたんだもの!(今もまだ)来週から毎週描くんで震えて待て! 週刊文春。
なんと自らの遅筆をまったく怯(ひる)んでいない!
しかし、連載で本格的に遅れたのは最初の号だけで、それから50週の間、挿絵は順風満帆に仕上がった。
週刊誌のコラムと挿絵の関係は、原稿が先行し絵師がその内容を汲んで好きに描く。
そこに個人的な感想や風刺を入れるのも自由であり、コラムの筆者の意向から完全に独立した創作が保証されているのは雑誌界の暗黙の了解だ。
ある時には驚くほど精緻な似顔絵が描かれ、またある時には「顔が思い出せない」と正直な言葉が添えられていた。
「ねじれた金玉」の絵だけ、という時もあった。
毎回、絵が仕上がるたびに編集部で一喜一憂したものだ(もちろん、圧倒的に「喜」が多かったが……)。
2013年6月6日に、江口先生がツイッターで呟いた。
「週刊藝人春秋」の挿絵は、普段おれが絶対描かないような人(濃いおっさん達)ばかり描かされるのが自分としては新鮮。普段使ってない筋肉で描いてる感じ。でもこの筋肉はむかーし毎週ギャグ漫画を描いてた頃はよく使っていたものだ。すっかり忘れてたそれを思い出し動かしてる感覚が楽しい。
1週間後には、こんな風にも。
昨日はナンシー関さんの命日だったか。「週刊藝人春秋」の挿し絵を描く時は常に頭のどこかでナンシー関を意識しているよ。それは仕方ないことだろう?
ナンシー関と言えば、20数年前、本誌で一級品の辛口テレビ時評に、世界で唯一無二の消しゴム版画の似顔絵を添えた「テレビ消灯時間」を連載していた。
さらに『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)で連載をしている我々、浅草キッドのコラム「週刊アサヒ芸能人」にも似顔絵版画の挿絵を寄せてくれていたこともあり、その残像は江口先生にも今なお濃いのだろう。
2014年4月18日、最終回を描き終えた江口先生が呟いた。
週刊文春の水道橋博士の連載「週刊藝人春秋」の最終回の挿絵をたった今入稿しました。最終回に大好きな岡村靖幸ちゃんを描けて嬉しかったな。1年間なんとか落とさずゴールまで並走できました。水道橋博士、担当の長谷川君、まずはハイタッチしようぜ! お疲れ様でした!
一方、ボクは終盤から体調不良に陥り青息吐息のままゴールしたため、このときは、ひとり虚空でハイタッチした。
そして単行本化に向けて、原稿を推敲を続け連載終了から2年が経った、2016年5月23日──。
お台場Zepp ダイバーシティ東京。TBSの深夜番組をフェスにした『オトナの!フェス2016』を訪れ、2階席に案内されると隣席がなんと江口寿史だった。
その日が正真正銘の初対面!
それまで編集者の仲立ちは何度もあったが、あえて避けてきた。
どうせなら劇的に想定外の場所で出会いたかったからだ。
この日、お互いが〝だいすき〟なスター・岡村靖幸のステージがあり、その星の下に星座が結ばれた。
しかも舞台に出る予定はなかったが、江口先生とボクの2ショットで舞台転換のツナギのトークに登壇した。
さらに2016年8月7日──。
ボクは、京都国際マンガミュージアムで開催されていた『江口寿史展 KING OF POP』を訪ねた。
作品の大々的な展示に加え、その日は「江口寿史流5分スケッチの極意」という本人による講演があった。実演と共に語られる言葉に耳を傾けると
「創作とは何か? 絵心とは何か? 似せるとは何か?」
などなど全てが芸に通じる話で腑に落ちた。
質疑応答の時間には、多くの聴衆に混じってノーアポのボクも挙手をして質問に立った。
「こんなところで突然、スイマセン、江口先生、『藝人春秋2』の単行本化にも協力していただけますか?」
「ええ〜ーーッ!? なんで博士がここに?」
仰け反る画伯から「もうここまで追いかけられたら全てОKするしかないでしょ!」と言質を取った。
その後、単行本は上下巻同時発売の負担が加わり、描き下ろしの挿絵と表紙の装画が追加発注された。
発売日を延期し、何度も〝白いワニ〟は音信不通になりながら、デッドラインの先の先、最後の最後に入稿を完遂してくれた。
その表紙絵の見事な出来栄えを眺め、ボクは長く並走した編集者と力いっぱいハイタッチした。
(イラスト・江口寿史)
【その後のはなし】
2017年10月31日――。
TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』のゲストは、なんと江口寿史先生であった。
やくみつる、蛭子能収のような本業タレント・兼業漫画家ではあるまいに、超一流の漫画家がお昼のラジオに生出演したその経緯とは?
そして江口先生が語った「次に描きたいタレント」とは一体誰であったのか……次回のお楽しみに。
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そして、今、新たに『藝人春秋Diary』が完成した。
発売2日目で重版出来。
『藝人春秋Diary』は
水道橋博士のWEBショップ『はかせのみせ』
https://hakasenomise.official.ec/
でも、サイン本、おまけつきで 販売しています。
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