今日思ったこと #1

 最近毎日理由もなく死にたい。
 別にこの希死念慮はいまに始まったことではないけど、毎日毎日どこにいても閉塞感に苛まれて胃も痛ければ体も重い。
 会社にいくのがしんどい。家にいてもしんどい。どこにいても「帰りたい」と思う。どこに帰るんだろう。

 最近ついてないと思うことばかりだった。
 例えば、朝からコンタクトを入れるスティックを洗面台の後ろに落とした。どう考えても届きそうにない。百均で買い直した。
 ピアスがなかなか止まらなくて、朝の支度に時間がかかって、いつも乗っている電車より2本くらい遅いものに乗る羽目になった日もあるし。
 会社では可もなく不可もなく過ごせているけど、帰り道に左手親指のネイルが折れたりもした。一昨日は右手の中指のネイルが折れた。
 最近いつテレビをつけても星座占いが最下位のような気がする。順位が良くても別にいいことなんてないんだけど。

 通勤中に音楽を聴いている。90年代に流行っていた曲だったり、最近流行っている曲だったりする。好きか嫌いかは置いておいて、流行りものは知っていても損がないなと思うようになった。少し前は思春期らしく、流行りものには安易に乗りたくないと思っていたりもしたけど、みんなが知っているものを知っているほうがなにかときっかけになるなあと最近は思っている。
 けれど、そんな自分がつまらない人間になったな〜と思う。メディアやスマホから提供されるだけの上辺の情報だけ知って、どんどんと薄い人間になっていくような感じすらする。

 働き始めて四ヶ月と少し、おおよそ五か月強ほどの時間が経った。朝は渋々起きて、夜は眠れないままウダウダとしている。
 会社と自宅の往復に、たまに同期と夜ご飯を食べるだけの生活だ。
 それは新しく始まった生活でいっぱいいっぱいだからなのか、わたしにはもともとなんにもない人間なのか、よくわからない。

 いまは「趣味はなんですか?」と聞かれても、なんと答えてよいのかわからない。
 あんなに好きだったものたちに少しも興味が持てない。そんな自分が嫌で、義務みたいにお金を使って、生活に余裕もない。

 最近は毎日ネット配信される野球中継を眺めながら、ぼうっと過ごしてばかりいる。
 贔屓の球団の試合を見ている。リーグ2位と3位の球団同士で、残りひと月と少しのペナントレースにおいて大事な試合だったロッテ戦には三連勝したのに、楽天戦はしょんぼりする結果ばかりだ。1引き分け1敗中。
 仕事からの帰り道で熱心に中継を観ていたから、携帯の通信量がとんでもないことになっていた。すでに通信制限になった。

 この間は課長に突然飲みに誘われて社会人一年目の新人が断れるわけもなく。ついていったものの、結局三軒も付き合った。お金ないんだけどなあ、と思ってちょっと困った。
 でも〆に連れて行かれたカラオケで、会社の先輩が「この曲まじで知らない!歌えない!」なんて前フリをしながら湘南乃風さんの睡蓮花を完璧に歌い上げていたのはそれなりに面白かった。この先輩はB’zさんのウルトラソウルを横揺れで歌っていた。それも面白かった。

 でもやっぱりなんかずっと死にたい。
 自分のことを本当に心の底から好きになれた試しが一度もないけど、好きになる努力も別にしていないので、当然といえば当然かも。

 嫌なことや落ち込むことばかりが続いているとも思う。なんでもかんでもそういう風に捉えているからだと言われると、それは確かにそうだなと思う。悲観的なのはずっと前からそうだし。
 なんでもっと気楽に考えられないんだろう、なんでいつも憂鬱な気持ちになるんだろう、こんな鬱屈とした気持ちはどうしたら解消されるんだろう、こんな陰鬱な人間と一緒にいたい人間なんかいるわけないのに……とぐるぐる考えて更に気分が沈む。

 毎日寝る前に今日一日の自分の行動を振り返っては、毎日自己嫌悪する。

 わたしは自分がけっこう喋る人間だという自覚はある。でもコミュニケーション能力が高いわけではないし、ひとりで喋って空回りしてる感じ。
 失言というほどの失言でもないし、ともすれば傍から見たって誰も気にしてないような発言も、思い返しては死にたくなる。あんなこと言わなきゃよかったーとか。

 あんまり喋らないほうがいいんだろうなと思う。面白い話ができるわけじゃないし、わたしもつまんない人間なのになんで喋っちゃうんだろう。

 今日は大学時代の先輩と映画に行く約束をしていたのに、ダブルブッキングされていたみたいでドタキャンされた。
 まあそういうこともあるだろうから仕方ないし、先輩のことも責める気には全然ならないんだけど、ちょっと前にもドタキャンされたばかりなのでなんだか心にずっしり来た。

 大学といえば、大学のときの友達に「あなたは自分のことを大事にするのが下手だから、あなたのことを大事にしてくれる人と一緒にいたほうがいい」と言われたことをふと今日思い出した。

 心の隅っこにずっとある言葉なんだけれど、まあ、彼女が言いたかったことはわからないでもないというか、的を射ている気がする。

 でも、わたしを大事にしてくれる人って例えばどんな人なんだろう。

 少数精鋭ではあるものの友達はいるし、家族だって健在だ。
 わたしのことを大切な友達だと思ってくれている人もいると思う。(たぶん……)
 家族も、わたしを大切な娘だと思ってくれていると思う。(たぶん……)

 でも彼らに大事にされているかと聞かれると、それはちょっとよくわからなくなるときがある。

 わたしは彼らのことが大好きだけど、それはイコールで傷つけられたことが一度もないというわけではないからだ。

 友達の言動で傷ついたことはたくさんあるし、嫌な思いもたくさんしたことがある。家族には人間性を否定するような言葉を言われたこともある。

 それでもわたしにはそれらを上回る彼らへの好意や彼ら自身の好きなところがある。

 だからこそわたしは彼らのことを大切だと思っているし、大事にしているつもりなんだけど、でもわたしって彼らにとっては別にどうでもいい存在なのかもな、と思うことのほうが増えてきた。

 もちろんそうじゃない友達もいるし、みんながみんなというわけじゃない。特定の名前を出す訳にはいかないので、主語が大きくなってしまって申し訳ない。

 これを言われたら嫌かな。こんなことしたら嫌がるよな。と、相手がどう思うかに考えを巡らす人は少ないんだろうか。
 少なくともわたしはそういうことをけっこうあれこれ考えて、気に病んだりするほうなんだけれど。(とはいえやや過剰な節があるのは否めない)

 最近よく、「この人はそれを言われたらわたしが嫌な思いをするかもしれないと考えなかったのかな」とか「この人はそんな行動をされたらわたしが傷つくかもしれないとは少しも考えなかったんだろうか」とか、嫌な思いを通り越して不思議な気持ちになることが増えた。
 まあ、そもそもこの考え自体が見返りを求めているようなもので、つまり他人に期待してるわたしが間違っている。愚かだ。無駄なのだ。

 話に着地点がちっとも見つからない。つまるところ、わたしってめんどくさくてつまんなくて生きるのつまんなさそうだし大変そうだなあとあらためて自分で思ったというだけの話です。おしまい。

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