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好きな音楽との馴れ初めと

私がチバユウスケを知ったのは、たしか中2か中3くらいのころ。

あのころ、学校から帰宅後ひとりラジオを聴くのにハマっていた。
ある日のラジオから、どこかの誰かがリクエストしたミッシェルの『世界の終わり』が流れていた。

初めてミッシェルを聴いた時の衝撃は今でも忘れられない。
当時はパンクロックみたいなのは聴いたこともなくて、スピッツとか斉藤和義聴いてるような子供で。どっちかと言えば、パンクって少し怖いイメージだった。
でも、あの前奏の疾走感となんかめちゃくちゃかっこいいギターにベースにドラムに…そしてボーカルのしゃがれたがなり声。語彙力がなくて申し訳ないけど、とにかく全てが私には新鮮でカッコよかったんだ。

そのあとのことは記憶が曖昧だけど、ギターのアベさんは既に亡くなられていること、チバさんとクハラさんはThe Birthdayというバンドとして活動されていることをネットで調べて知った。
その頃の実家にはパソコンはあったが、スピーカーがなぜかなかった。そんなにお小遣いもなかったので、ネットでミッシェルやThe Birthdayの曲を聴くこともCDを買うこともできず…。それ以上深掘りできないまま忘れていってしまった。

それからどれくらい時間が経ってからなのかは忘れてしまったが、また放課後の自宅で今度はCSのスペースシャワーTVを観ていた。TheBirthdayの『ディグゼロ』のMVをたまたま目にした。不穏で妖しい映像に聞き覚えのあるしゃがれた声。あれ、この人ってもしかしてあの時の人!これがあの人が今やってるバンド!と驚きと嬉しさで胸がドキドキしていた。
やっぱり、かっこいいなぁ、もっと色んな曲を聴いてみたいなぁと心から思った。

高校に入学してから「STAR BLOWS」を買った。もちろん同級生でミッシェルやThe Birthdayを知っている人はいなかった。いたのかもしれないけど、人間関係が気薄な女なので自分の周りにはいなかった。
もともと音楽の趣味が同年代の人たちとはズレていたから、寂しさを感じつつも「好きなものは好きなんだ」と気にしないようにした。
大学生になってバイトをするようになったりして、他のCDを買ったりレンタルショップで借りたりして聴いていた。

楽しい時、嬉しい時、苦しい時も辛い時もチバさんの音楽に救われていた。
優しくて温かくて、どこか寂しいような、あの歌詞と音楽がとても好きだった。

チバさんの訃報を受けて、あの時初めて「世界の終わり」を聴いた時の気持ちを忘れたくなくて、言葉にしたくてnoteに残すことにした。

チバさん、
今までたくさん救って下さってありがとうございます。あなたの音楽が大好きです。
これからも、あなたの音楽を聴き続けますね。



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