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フレンチブルドッグは歩けない

私は内縁の相方と、ブリンドルのフレンチブルドッグと一緒に暮らしていた。

ブリンドルという世間的にはいまひとつ聞き慣れないワードは同犬種のオーソドックスな毛色である「黒地に別の差し色が入った毛色」のことを指しており、彼女の場合はビロードのような光沢がある黒に落ち着いた茶色が少しだけ混じっていた。ブリンドルには遺伝子的に身体が丈夫な個体が多いのが特徴で、優性色という位置付けがされているとのことだった。

今回は少しだけ、彼女のことについて書いてみようかと思う。

もう閉鎖してしまったが、最盛期には月間80万以上のPVがあった私のブログを最初期から読んで下さっていた方には懐かしいことかもしれないが、最初に作ったブログのURLには「jyavit」という文字列が入っていた。これが彼女の名前だ。

雌犬なので本来は「a」で終わる女性名詞にすべきなのだが、相方が読売巨人軍・ジャイアンツ贔屓ということでそのマスコットキャラクターであるジャビットから拝借した。

フレンチブルドッグの特徴のひとつに、突如として”スイッチ”が入る、というものがある。この状態になると彼女の場合は、エネルギーを使い果たすか予期せぬ出来事で驚いて我に返ったりふとテンションが下降するまで走り続けるのだが、いまでも自宅リビングのフローリング床には暴走のせいで傷だらけになっている場所が沢山ある。

3歳になった春、早朝6時くらいにスイッチが入り、ソファから飛び降りて4本の脚でバランスよく着地した。そしてすぐに振り返って、「どうだ!」とでも言わんばかりの表情で私の顔を見たのだが、それが彼女が”普通の犬”と同じように立って歩く姿をみた最後になった。

フレンチブルドッグという犬種は品種改良の長い歴史を経て作られてきたのだが、その弊害で背骨が変形している個体が大多数である。彼女もそうで、おそらくはこのときの大ジャンプが原因で腰の辺りの骨がズレてしまい、神経が圧迫されたことによって重度のヘルニアになってしまった。

自宅近所にあるペットクリニックでは治療が不可能で、当時はまだ少なかった犬猫の高度医療施設に文字通り担ぎ込むことになった。紹介されたのは川崎にある日本動物高度医療センターで、獣医師の間では「ジャーメック」と呼ばれているとのことだった。これは「Japan Animal Referral Medical Center (略称 JARMeC)」から来ている。

大手術の末どうにか一命をとりとめ、刺激に対する反射以外では太ももから下を自分で動かすことができなくなったが、1週間ほど入院して退院する頃には笑顔が戻っていた。圧迫された神経の状態によっては呼吸器に影響が出て死んでしまう患畜もいるとのことだったので、取り敢えずはホッとしたのだが、それと同時にもうスイッチが入って暴れまわる姿を見ることができないのだと思うと、とても悲しい気持ちになった。

落ち込む私の様子を見て、手術を担当してくれた桑原先生がかけてくれた言葉は、その声色から口調まで、いまでも鮮明に覚えている。

「あのとき失敗したなぁとか辛かったなあとか、ワンちゃんはそんな風に過去を振り返ったりはしません」

「両脚が動かないくらいで、悲観なんかしません」

「それなりに、楽しんで生きるものなんです」

「だから飼い主の方が、過度に落ち込んだりとかはしないで下さい」

「どうか、目いっぱい可愛がってあげて下さい」

十全ではなくても、それなりに楽しんで生きる。

彼女はまさにそのようにして生きて来て、気付いたらフレンチブルドッグの平均寿命とされる14歳を過ぎていた。特に寝起きのときなど、だいぶ耳は遠くなったが、それ以外の身体機能はまだまだ若いなあと思わされることが多く、食欲も旺盛で水もよく飲み力強く吠えていた。

前脚で立って移動することはできるが、麻痺の箇所がお尻から足先にかけてだったので自力でオシッコを出すことが出来ず、1日に3~4回くらいの頻度で私が膀胱の辺りを押して搾ってあげるのが日課になっていた。専門用語だと、圧迫排尿という。これすらも、愛犬と触れ合う機会が健常なワンちゃん家庭よりも少し多いのだ、くらいに考えれば少しも苦ではなかった。

そして私もまた、〈それなりに楽しんで生きる〉というこの言葉を、自分自身の様々な境遇において援用するようにしてきた。

すると、上手くいかないことすらも、それはそれで変化が出ていいじゃないかとか、これは面白い展開になったぞとか、本当の意味で前向きに暮らし、働き、人と関わることが出来るようになったように思う。

この記事は、2022年12月29日に書いたものに手を加えている。お察しのように彼女はもうこの世にはおらず、2023年10月13日に14歳10か月で不自由な体から解き放たれた。

麻痺という障害を抱えて生きる犬の世話をしながらずっとやって来たわけだが、本当の意味で救われたのは私自身なのかもしれないと、そう思うに至った次第である。

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