現代のスジャータとガンダーラ(1)

授乳カルト怪文書なので常人には理解は難しい。
個人的に脳内のことをまとめたいだけの文章なので
別に見なくても良い。
あと精神的にこうした方が良いという話ではない。

スジャータとは

釈迦が悟りを得ようと、命がすり減るような
激しい修行に励んだが何の成果も得ることはなかった。
精魂疲れ果てた釈迦は近くの川に行った。
その時にスジャータという村娘が乳粥を釈迦に施した。

乳粥で体力を回復し、川で沐浴して静かに菩提樹の下で瞑想した
釈迦は遂には悟りを得てとなった。

細かいところが違うかもしれないが素人記事なので許してほしい。
ラジオの時報でおなじみのスジャータはここから命名されている。

何を与えられているのか?

授乳カフェにおいて何がやり取りされるか考えてみる
プレイ中の我々はデータだし、対価となる金銭や契約などはない。

では感情のやり取りをしているのだろうか?
それは1つの正解だ。しかし何かが足りない気がする。

感情は脳が物質を出して、脳が勝手にそう感じるだけという説がある。
では視覚などから得る情報により脳が物質を出して
我々はオギャってるのだろうか?それだけではないはずだ。

霊的(精神的にと言い換えもできる)に何かを感じているのではないか
唯物論の方には申し訳ないが、そういう仮説に至った。

母を探して3000里

以前の記事に書いた通り、私の母に当たる人は虐待をしていたので
世間一般の母親像が分からない。
もちろん生物学的には存在するし、存命でもあるので「有る」という
言い方はできるだろう。

じゃあ霊的に存在するかというと、少なくとも私の中には「無い」

霊的に「ママ」が存在することが我々をオギャらせてるのではないか?
そう説明を受けた方が、授乳カフェでオギャる人を理解しやすい。

現代のスジャータとは

話を戻そう。スジャータが釈迦に施したのは「乳粥」ではあるが
『大般涅槃経』によるとスジャータは「価値のある供養を為した」と
書かれている。(らしい、詳しくは知らんけど)

ここで重要なのは「価値のある供養」ということだろう
貨幣や財宝などではない価値を得ることは現代でも難しい。

つまり我々はママから「ミルク」を供養してもらっているのだ
なんと有り難いことだろうか。
授乳カフェのママたちは、まさに現代のスジャータと言える。

おわりに

何も得られない修行を止めて、乳粥の供養を受けた釈迦を
「堕落した」と思いこみ、共に修行していた者は去ったそうだ。

これは授乳カフェにも言えることではないだろうか?
霊的存在な「ママ」からミルクを受けることは
「堕落」ではなく精神的な「悟り」への1歩なのだと。

現に赤ちゃんからは、まるで悟りを得たかのような
感想が聞かれることがある。

ちなみに、釈迦のもとを去った修行者たちは
仏からの説法を受け「悟り」を得たそうだ。

あなたも1度来てみてはどうだろうか?
授乳カフェではいつでも門戸を広く開けて、あなたを待っている。

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