誰かのせいにするという考え方

「物事は思った通りに行かないものだ」
というのは釈尊が数千年前に見切った真実です。

いちいち説明せんでも生きてたら誰でもわかっとるわい!
というお叱りの声が聴こえてきそうです。

しかしながら声や姿など自由になりやすいVRCで
物事が思い通りに行くという思い込みから
プレイスタイルで事故を起こして下記のようなことに
なっている方もいらっしゃるかもしれません。

よくあるパターン

お気持ち表明という、ピーマンが好きか嫌いかというレベルの話を
主語をデカくして、誰かのせいにする行為は日常茶飯事で行われています。

・閉鎖的なコミュニティで誰かを除け者にしたり
・お砂糖の関係を爆破したついでに相手を非難や暴露したり
・自分の問題を棚上げにして相手を悪人に仕立てたり

等々、何らかの形で誰かのせいにするという考え方は
普遍的に見かけることができます。

精神防衛には有効

誰かのせいにするのは精神防衛として基礎的な衝動であり
実際に有効な場合が多いです。誰かのせいにするとスッキリしますよ。
ええ全く本当に...。

専門的なことは省略しますが、××は〇〇の陰謀!と騒ぐのは
精神を防衛しようとしている脳の働きと捉えることもできます。
そういう人を見たときに憐みの気持ちも沸くかもしれません。

筆者も「今日はサタンの妨害が激しいな~、悪魔め!」という捉え方で
虫の居所が悪い日をやり過ごすこともあります。

ずっと続けることはできない

釈尊は悟りを得るためには、物事を正しく見る必要があると説きました。
誰かのせいにすることは一時的な精神防衛の役に立ちますが
そんな事ばかりしていては自身の人生に悪い影響が出るかもしれません。

・ピーマンが好きか嫌いか程度の話は人生にとって重要でしょうか?
・閉鎖的なコミュニティで気苦労を増やすのは楽しいですか?
・恋人と別れたからと暴露や非難をする人と付き合いたいでしょうか?
・自分の現実から目を逸らし続けることを死ぬまで続けますか?

もう少しマシな人生を歩みたいのであれば
いつかは物事を正しく見ようとする努力が必要になります。

自分の人生は他人のせい?

そうは言っても釈尊のように全てを正しく見るのは無理な話です
誰かのせいにするのだって、脳の働きなので止められるわけではないです。

じゃあどうしたら良いのかと聞かれても困るのですが
一例として、誰かのせいにしているうちは、自分の人生を生きられない
という事は言えるかもしれません。

実際に100%誰かのせいだとしても、今後の人生を歩むのは自分自身です
他人のためでなく自分のために生きても良いのではないでしょうか。

おわりに

ポエムを真に受けないでください。

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