泥の国のアリス❤6(最終話)
"我らは言葉にあやつられた幻"
「ううん......」
アリスが目を覚ますと、辺り一面真っ暗になっていました。目を擦りながら空へ目を向けるときれいな星々と美しく輝く月が見えました。
「ようやく起きましたか」
何も気配がなかったのに、いきなり男の声がしたのでアリスはビクッと体を震わせます。
「怯えることはありませんアリスさん。話は翁の猫から聞かせていただきました。今日はやけに困った日だ」
そう言うと、男は自分の肩に乗った猫の頭を撫でました。その男は頭に髪はなく、広い額の端には青いハートマークの痣があり、見れば見るほど幽霊のように透けています。
幽霊のような男は片袖で口元を隠しながらしゃべります。
「私はハートの女王をしているものです。あなたが知っているように、今日の午前中に翁にわが国での食用キノコの講習会を頼みに赴いたのですが、途中であのとんでもウサギが乱入してきて私の城を改築させろと騒ぎ立て上げたせいで、翁がつられて癇癪を起こし、すべて台無しにされてしまいました。
しかも、あのウサギは私の城の改築を賭けて勝負を申し込んできて......あの城は私にとって大事な思い出が詰まった城ですが、私が翁に勝つことは失礼にあたるので遠回しに追いかけていたのです」
片袖から除くハートの女王の顔はとても物憂げでした。
「あなたはこの帽子の意味をご存知ですか?」
アリスはハートの女王が持っている翁の帽子を見ましたが、穴が開いているくらいしかわからなかったので、首を横に振りました。
「そうですか、ですがこれはいまあなたの帽子です。これを被っている間は誰もがあなたのことを大切に扱うでしょう」
そう言ってハートの女王はキノコから浮かび上がるとアリスに帽子を被せました。それとともに猫は、ハートの女王の腕を伝って帽子の穴の中にすっぽり入ってアリスの頭の上に座るのでした。
「翁はこの帽子を木地屋の印程度にしか思ってないのでしょう、そう思ってるから受け取ってくれたのでしょう。アリスあなたは特別になりました。そこで、頼みごとがあるのです」
嫌そうな顔をしながら帽子を被せてくるハートの女王に気を取られていたアリスは少し遅れて返事をしました。
「......なんでしょうか女王さま?」
ハートの女王は何か気になるのか汚れてもいない手を自分の着物の帯に執拗に擦り付けていました。ハートの女王は再び片袖で口を隠して話します。
「気を使わなくてよろしいんですよアリスさん。実は、夕方にダイヤの女王から焼き野菜パーティーの招待状が来て困っていたのです。しかも今夜開くそうで、私はこれから早急に城に帰って翁の晩御飯を作ってもてなさないといけないのです。ですから、私の代わりに出席していただきたいのです」
アリスは目をパチクリさせながら話を聞いていました。ハートの女王の懇願する目をじっと見ていると、ようやく自分がお腹が空いてることを思い出したので、アリスは深く考えることもなく行くことに決めました。
「私ここに来てなにも食べてなくてとてもお腹が空いているんです!ぜひ代わりに出席させてください!」
アリスはようやく食べ物にありつけるので嬉しくなってきました。
「そうですか、ではこの招待状を受け取ってください」
ハートの女王は口を隠している片袖へ反対の手を入れ込むと、招待状もまた片袖でつかんだままアリスに渡しました。渡された招待状の切手の部分に小さい火がごうごうと燃えています。
「案内役はその切手の炎です。炎が行き先を指すので、案内に従って行けば迷子にならずに済みますから」
招待状の炎は足元を照らすくらい大きく明るく燃え盛ると、ある一定方向を指して燃えるようになりました。
「ああそれと、火の妖精は容赦がないので絶対にその帽子を脱がないでください。あなたがただの人だとわかれば、一瞬にして燃やされるでしょう。火たちはただの人なんかに興味ありませんからね。くれぐれも気をつけてください、翁の猫さんあなたがいるから大丈夫でしょうけど、なにぶん他の王たちにもよろしくお伝えください。今夜はたぶんダイヤの女王も出席しないから安全でしょう」
ハートの女王は心配そうに猫に話しかけ。猫もまたにゃーにゃーと一つずつ相槌を打っているのが頭の上で聞こえました。
「なんでダイヤの女王は来られないのですか?だってダイヤの女王が開くパーティーなんでしょう?」
アリスは不思議に思ったことを聞いてみました。
「ダイヤの女王は自分の城からあまり出ません。彼女をもてなすことができる者が少ないのです。虫虫は、私の知っている者の中でも大変な器量者です。たしかに虫虫程の者ならダイヤの女王をもてなすことはできましょう、ですが虫虫のような人はたくさんいないのです。ごめんなさい、これ以上はここで時間をつぶせなくなってしまいました。ごきげんようアリスさんいつか新しくなった私の城へ遊びに来られるといい」
ハートの女王は嫌そうな顔をしながら口早にそう告げると、空へ吸い込まれるように消えました。
アリスは、幽霊なのかどうか聞いとくべきだったと思いながら紹介状の炎が指す方向へ、翁から貰ったきのこをポケットに入れ、虫虫の茶碗を片手に意気揚々と歩き出しました。
しばらく歩くと炎は森の中を指すようになりました。森の中は暗くて、知らない鳥の声が不気味に響きます。
「猫さん.....猫さん怖くない?」
アリスは暗い森の恐怖に耐えかねて自分の頭の上にいる猫に話しかけました。
「にゃ~にゃーにゃ~」
猫は堰を切ったように話し出し、その鳴き声は都都逸を歌っているかのようです。アリスは相談する相手を間違えたような気がして黙って歩くことにしました。
黙々と森の奥へと歩みを進めると、ようやく遠くに光が見えてきました。アリスはやっとパーティー会場に着いたんだと思い、片手に持った茶碗の中の水を気にしながら足早にその光を目指して行きます。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」
迎えてくれたのは、真昼に見たトマト人間たちでした。アリスは思わず引き返そうかと焦りましたが、テーブルの上にあるおいしそうなケーキたちを見たらたまらず、案内されるまま背もたれが大きなハートの形をした椅子に座ってしまいました。
アリスは大事そうに水の入った茶碗を膝の上に置くと、遠くに見える甘くておいしそうな匂いのするケーキをうっとりとした顔で眺めました。
しばらくすると、なんだかやけに頭の上がうるさいので横を向くと小さな猫と目が合いました。
「今晩はアリスさん。今夜は大変でしたね。ああそんなに構えなくても大丈夫ですよ、私はあなたの探していた北の喫茶店の店員です。今日はほんとうに休みの日でしたからラッキーでしたね」
アリスはびっくりしてなにを話していいかわからなくなってしまいました。
「事情は猫ですから、あなたのお連れの方からお聞きしました。私はスペード王の代理で来たのですよ。ふふっまったくお互い災難ですね。夕方にスペード王が血相変えてやって来るんですもの、私はじめてですよ人用の服着るなんて。ダイヤの女王は嫌われ者ですからね、スペード王は出る気あった様ですが家族の反対が厳しいから私に出てくれって、自分の3歳の時の服持ってやって来たんですよ。見てくださいロクに靴も履けないので長靴を履かされたのですがこの通り酷い有様です」
アリスが北の喫茶店の店員の足元を見るとたしかに黒い長靴が転がっていました。
「お客様あちらをごらんくださいませ。もうすぐ今夜のメインディッシュが焼きあがります」
やけに青い顔をした赤い筈のトマト人間が今にも泣きそうな声で告げます。アリスはなんだか不気味な気分になって他のトマト人間を見ますがどれも赤い筈なのに暗い表情をしていました。
「なんだか様子が変な気がしませんか?」
アリスは恐る恐る北の喫茶店の店員に話しかけました。
「どうしてです?何もおかしいことはありませんよ?ただの焼き野菜パーティーなんですから」
アリスはなんだか言い知れぬ不安を感じて茶碗をギュッと両手で握りました。
「
物語に終わりがあるように
夜が来れば朝が来るように
人と死が言葉にあらわれるように
アリスあなたは夜はいつから明けたと思っていますか?
あなたの感じる死とは一体何でしょう?
人は勝手に人を終わらせます。
ですが我々だけが認識していないだけでそこいら中に朝があり夜があり光があり闇があり叫びがあり嘆きがあり渇望があり喜びがあると思いませんか?
彼は死といえるでしょうか?我々の喜びとして生き返ったと思いませんか?」
北の喫茶店の店員は目を細めすべて言い切ると、目線を強い炎が上がっている広場へ向けました。
話を聞いていたアリスはだんだん怖くなってきてこの場を離れようと茶碗を持ってふらふらと大きく炎が上がっている広場へ少しずつ近づいて行きました。
大きな炎からは美しく儚い歌声が聞こえます。
森の中で広く開いたその場所は上がる大きな炎のせいでまるで昼間のように明るく照らされていました。炎を見ていると赤い玉が6つ泳ぐように浮かんで決して地面に落ちるようなことはありません。
アリスは炎の中をよく見たらその中に火の妖精が輪になって手をつなぎ歌いながら踊っているのが見えました。赤いドレスを纏った火の妖精は気まぐれに大きな炎から飛び出すと美しい舞を披露しまた大きな炎へと戻ります。
アリスは炎の熱さも忘れ見入ってると、火の妖精が赤い玉と一緒に飛び出したのが目に入り込みました。
「え?!あれって」
アリスは赤い玉がトマト人間の頭だと気づきました。その瞬間体が勝手に動いて、手に持っていた茶碗を思いっきり大きな炎へ向けて投げていました。
「きゃあ!!水だわ!!!消えちゃう!!!」
炎の妖精たちは茶碗の中に入っていた少量の水でパニックになり、火の粉が散るようにどこかへ消えて行ってしまいました。
アリスは急いで走り出し空高く浮かんだトマト人間の頭を受け止めましたが、焼き立てのトマトはとても熱く、アリスの腕にいくつものやけどをつくりました。
他のトマト人間の頭たちはアリスの目の前で静かに潰れて動くことはありませんでした。
「...ぅ......ぼく...たち......は......か...ぇ......ぁ......の...願い......ぉ......ぁぁ」
息も絶え絶えのトマト人間は、そう告げると開かない目を開けようとアリスの腕の中でもがきますが、ヒューヒューと変な息をするだけでした。
「食べないのですか?」
ビクッと後ろを振り向くとあの猫がいました。
アリスはだんだん頭痛がしてきて、どう返事すべきか胸が詰まって言えなくなりました。火の妖精が消えた森はやけに真っ暗で、近くにいる筈の猫がどんな顔をしているのかすらわかりません。じくりじくりと腕も痛みます。
その時です。
「アリスっ!!!アリスっ!!!」
「お母さん!!!」
どこからか母親の声がします。
「あなたいつまで寝てるの?ほら?帰るわよ?」
母親がそう言うと頭の痛みがどんどん強くなっていきました。
あまりの痛みにアリスがギュッと目を閉じて開けると、目の前に母親がいました。周りをよく見るとそこはマギーおばさん家の居間で、自分がそこのソファーに寝かせられていたのがわかりました。
「アリスあなた寝すぎよ。それにこんな大きなたんこぶ作っちゃってアハハ」
母親はアリスのおでこにできた大きなたんこぶをツンツン触ってきます。
「痛いっ痛いってば」
「さあさあアリス帰るんならこれでおでこを冷やしながら帰るといい。それにしては不運だったねえ、畑の泥に足を滑らせて頭から木に突っ込んで倒れてるんだもんフフッ」
マギーおばさんもアリスの大きなたんこぶを見て笑いながら氷が入った水袋をくれました。
「奥さんも、はいこれがをしょう油を使ったレシピでこれがしょう油だよ」
「まあマギーありがとう」
アリスは自分はなにか長い夢を見ていたような気がしながら、居間の鏡に映る自分のおでこにトマトが半分くっついた気持ち悪さを感じるのでした。
Fin.
【投げ銭形式】のためここまでです。ここまで読んでくださりありがとうございました。
ここから先は
¥ 100