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役割。

人には人の役割があり、それを成すために生まれ成すために生きる。

そんな風に考えることがある。

仕事や学校や家庭の中で与えられられた役割というものではなく、社会の中での役割、人間としての役割。
または自分で自覚したもの、という意味での役割ではあるが。


そんな役割なんて決めなくても生きられるし、決めない方が自由に生きられるじゃん。
とはなるだろうが、案外自分に合った役割を果たしていると上手くいくなぁということが多いのだ。

それは単純に自分が今までこなしてきたこと、経験の中で培ってきたもの、出来ること、得意なこと、それらが混ざり合い形成されるもので、自分がなりたいものやしたいこととは限らないのだろう。

正直な話、私は色んな人からチヤホヤされたいし、注目を集めたいし、お金持ちになりたいとは思う。ただそれは私の役割ではないのだなとも思う。

私が上手くハマっているなとか、何事も上手く行くなとか、これがピッタリだなと感じることは大抵が子供のためにすることや人の支援、陰ながら誰かを支え、働き、動くことなのだ。

そうではないことをしていると妙に落ち着かない。
そればかりか、落ち込みやすくなったり、出来ていたことも出来なくなったり、人間関係でトラブルを起こすことが増えてしまうのだ。

単純に慣れの問題だったりするのかもしれないが、長年そういうことを経験していると、自分に合った役割を果たしていないと心地よくない、またはそういう役割を担う能力しかないのだと思うようになった。


私が子供や誰かのために自分から動くことを私の役割だと思うようになったのは、自分自身が子供という存在に救われたからだ。 

当時の私は、ある人から人格否定をされ引きこもり気味であり、自分自身を無価値な人間だと思って日々を過ごしていた。
そんな時、母の仕事の手伝いで小学校で子供達の面倒を見ることがあったのだが、その時接した子供が私の手をずっと離さず握っていてくれたことがあった。
私にはその手の温かさがありがたかった、それと同時にこんな私の手でも離さず必要としてくれた子供に、子供達の為に私が出来ることをしていこうと思うようになったのだ。

まあ、子供からしたら特に深く考えずに握っていただけだとは思うこともあるが。


役割とは、自分がこうありたいと願う姿なのかもしれない。
それから逸脱してしまうと、必要以上に不安になったり、居心地が悪くなってしまうのだろう。

それは自分を信じようとする1つのかたちだ。

子供達のために、手の届くところにいる人達のために、これから出会う人達のために。
動き、支える。

それが私の役割。

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