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映画『JUNK HEAD』才能は、一人から

学生時代の文化祭は好きだったタイプですか?
みんなで一つのものを作り上げる楽しさ、お祭り感。

ぼくは苦手だった。笑

漫画を描いていたぼくからすると、創作は一人で黙々とやるのが好きだった。

でも、さすがに2時間の映画を一人で作ろうとは思わない。

最近ぼくが観た映画『JUNK HEAD』は約2時間のストップモーションアニメだけど、ほぼ全部ひとりで作られたものだ。

これはパンフレットの一部なんだけど、すごいことになっている。笑

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堀貴秀さん、多すぎ
これには心底驚いた。思い出してみてほしい。
普通の2時間の映画を見終わったあとのスタッフロールを。絶対、百人以上関わっている。

しかも、ストップモーションアニメは気が遠くなるような作業量だ。
最近ではモルカーが人気になったけど、1秒を撮るのに何時間もかかるらしい。

それを少数でやりとげたのだから、果てしない作業時間だ。
さらに驚くことがある。

「監督はこんなにすごいことやってるんだから、どうせ東京藝術大学卒で今までその道の権威みたいな人なんだろ、どうせ。」
と、ぼくは思っていた。(芸大コンプ)

が、堀さんは今回が初監督、映画制作の経験なしだった。

それまでは商業施設の壁画の作成などの仕事をしていたという。

これを知ったとき、ぼくはなぜか感動してしまった。多分、監督のこれまでの「何者にもなれなかった」葛藤に共感できたからだ。

そして何より、『JUNK HEAD』はぼくのストライクゾーンに刺さった!
日本の映画界からは中々出てこない作品だった!

今回はこれから間違いなく日本の映像界を背負う堀監督と、その処女作『JUNK HEAD』の見どころを書いていく。


※以下ネタバレ含むので注意!

あらすじ

遠い未来。人類は核により汚染された地上を捨てて、地下で生活する道を模索していた。そこで地下開発の労働力として人工生命体の「マリガン」を創造する。

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( ↑ マリガン。いろんな種類が存在するが、この3馬鹿は主人公に親しく接してくれる。)

ところが、地下開発に際して人類が過去に埋め立てた核廃棄物はマリガンたちを苦しめ、徐々に不満が募るようになる。

マリガンの中で人類反対派が組織され、ついに反乱。人類とマリガンの戦争は120年にも及ぶ大規模なものだった。

その後停戦協定により、双方の関係は落ち着きを見せた。人類の居住区を地表から3000m以内、それ以降はマリガンが支配すると決めて戦争は終わった。

それから約500年。人類は正体不明のウイルスによって存続の危機に立たされる。が、人類は反対にこのウイルス遺伝子を利用し、その技術で半永久的な寿命を手にしたのだった。

呼吸も血液循環も必要なく、微弱な電気刺激さえあれば頭部のみで自我を保つことができた。その代わり肉体を失い、生殖能力を失った。

その後さらに新たなウイルスの発生で人口はさらに減少。打つ手なしかと思われたが、偶然偵察カメラで撮影されたマリガンに生殖能力の可能性を発見し、地下世界の調査をはじめることに。

主人公のパートンはたった一人で地下世界を調査する。停戦協定から1500年経ち、マリガンたちの人間への敵対心は薄れており、パートンに親切に接する。

パートンはマリガンの生命システムの存在を知り、それを人類再生の希望と考え、地下世界を探検する。

①退廃的空気感とシュールギャグ

『JUNK HEAD』は世界観の作りこみがすごい!それは物語の設定としてもだし、人形や舞台背景もすごく細かく作られている。

たとえばこれ

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これが全部手作りのミニチュアだってことが信じられない。

それくらい作品の世界観を作り上げるために細部までこだわっていることが伝わってくる。まさに「神は細部に宿る」だと思う…

作品全体を通して醸される退廃的な感じ、いわゆるディストピアというらしいんだけど、これを作り上げているのが背景だ。

そして、こういう世界観の中でときおり出てくるシュールな笑いがサイコ―に面白い。説明するのは難しいので、他作品の引用で!

イメージは『チェンソーマン』コベニのハンバーガー店でのやらかし回とか、『渇き。』の妻夫木聡が思いっきり撥ねられるシーンとか、思い出せないけどタランティーノ映画の笑いとか。

ぼくはそういう類の笑いが大好きで、もし上記のシーンが一つでもわかる人は間違いなく『JUNK HEAD』も好きになれると思う。

②謎の言語

映画が始まってしばらくしたらわかるのだが、登場人物のしゃべる言語が謎すぎて面白い。(笑)

聞きづらいし、なんなら耳ざわりな話し言葉なのだ。フランス語のrの発音の口のまま、しゃべっている感じ。

真似して作ってみた。ほぼ雑音だけど、映画本編も本当にこんな感じだから勘弁してほしい。

基本的に何語でもないので、字幕を見て理解することにはなる。
実はこれ、監督が口にティッシュを入れながら吹き込んだものらしい。

最初は気になるけど、10分もすれば慣れていたので問題はなかった。むしろこういう謎言語も、映画の雰囲気や声優を使わないことによるオリジナリティに貢献している。

③世界基準の作品だと思う理由

『JUNK HEAD』は最初から日本だけでなく、海外を視野に入れていたのではないか?と思うほどに、世界基準の作品だと思う。

「世界基準」ってなんだよ。
って言われると、完全に個人的見解です、と言うしかないんだけど……

まずクオリティの高さが単純に世界最高峰レベルであることはもちろんだけど、扱うテーマの部分でも海外を感じさせるものがある。


それはキリスト教的価値観


少し偏見になっちゃうけど、今のところエンタメにおいて「世界に認められる」って、「欧米に認められる」ことと同義だと思う。

結局アカデミー賞は欧米の価値観ややり方がどうしても反映されるし、映画先進国はすべて欧米圏だからね。

最近、エンタメ分野でグローバルな人気を得ている韓国を例にとってみよう。


『パラサイト』は映画のテーマこそ韓国社会独自のものだったけど、映画の作り方はバリバリのハリウッドスタイルだ。

脚本の構成、サスペンスの演出などは欧米が蓄積してきたものの延長線上にある。ポン・ジュノ監督はヒッチコック監督をとても研究しているそうだし。

特に韓国は米国のエンタメを取り入れることを国全体をあげてやっているから、ここ5年くらいで一気に欧米からの評価が高まっている。

Netflixの韓国ドラマがグローバルで人気なのは、制作者がちゃんと欧米の映画文法をわかっているからだ。だから世界的にも評価されるクオリティに仕上がっている。

音楽も同じ。BTSをはじめとするK-POPの楽曲は、アメリカの影響をめちゃくちゃ感じるよね。
Dynamiteはあまりにアメリカンファンクに寄せすぎたせいで逆にグラミー賞とれなかったのかななんて。露骨すぎて。

近年の韓国エンタメブームの裏には、韓国のお国事情がある。
韓国は人口は5000万人と日本と比べると少ない。人口はそのまま市場規模に直結する。つまり、少し前まで、韓国のエンタメは最大でも5000万人の規模でしかなかった。

5000万人がいれば十分だとは思えるが……韓国は日本以上に少子高齢化が進んでいる。ゆくゆくを考えると、国内市場を相手にしているだけではエンタメは衰退していくばかりだ、ということに韓国は気づいていた。

そのため、国家予算が投じられて、エンタメ分野で世界にコンテンツを輸出する作戦が始まったのだ。

こうして韓国は着々と世界(=欧米)に認められ、エンタメ大国の座につくことに成功した、というわけ。

一方海をはさんで隣の国は……人口1億ちょいの国内市場にあぐらをかいていたせいで、グローバル進出に苦戦している。それが現在の日本だ。

日本はアニメ、漫画、ゲームは世界一だと思うけど、映画、ドラマに関しては全く世界で戦えていない。

……

とまあ少し脱線したけど、韓国は戦略的にエンタメに欧米価値観を取り入れて見事グローバルに成功した、というわけ。

『JUNK HEAD』にも欧米に馴染みのある要素がある。それがキリスト教的価値観。これを映画の節々で感じられる。

主人公は地下世界で出会ったマリガンに「神」と称えられる。それはマリガンたちにとって人間は創造主だからだ。

最初に主人公が気絶したとき「神は死んだ!」とマリガンがいう。これは映画ではギャグとして機能しているんだけど、西洋思想史においてニーチェの残したものは大きく、テーマを暗示しているともいえる。

また3馬鹿マリガンは「死んだらどうなるのか」「天国に行けるのか」「生前に善いことをすれば天国にいける」という思想を持っていたりする。

映画全体を貫く「生と死」「創造主ー創造物」はとてもキリスト教的だ。こういう価値観は欧米の人にとってとても馴染みがある。だからぼくはこの映画は欧米に認められやすいと思っている。

また、最後に主人公が仲間を助けるために「ハラキリ」をするシーンがある。これは非常に明確だ。欧米人にとって、切腹ほど日本を象徴するモチーフはない。これは監督が世界を視野に入れたうえで日本要素を入れたのかなと思ったが、単に監督のやりたいことだったのかもしれない。

堀監督のこれまで

冒頭でも紹介したけど、堀監督は今回が初めての映画制作。もともとは完全自主製作で、それで国内外で賞を獲っているのだからすごい。だけど『JUNK HEAD』ができるまで、紆余曲折があった。

監督はこれまでの人生でいろんなことに手を出してきたらしい。
絵画、彫刻、人形、漫画、アクセサリー……でもそれのどれも長続きせず中途半端に終わっていた

作ることが好きだったから何かしらの創作活動を続けてきたけど、世に衝撃を放つような一作は作れずにいたという。

2009年、38歳のとき、PC一台でアニメを作れると知ってから突如映画制作をしたいと思うようになる。
しかもストップモーションアニメという素人がやるにはとんでもない難易度の分野に。

堀監督はこういう。

SF映画というのは制作費が高額でハリウッドでは100億円以上が当たり前のジャンルだが、それは実写(CG含む)映像だからで、2,3Dアニメではやはりそこまでの迫力を出すことは難しい。

コマ撮りは映像自体は実写なので、上手く作れば予算を抑えてハリウッド実写に迫れる可能性があると感じた



2013年、42歳のとき『JUNK HEAD1』が完成。これは『JUNK HEAD』冒頭30分に相当する部分だ。これを渋谷アップリンクにて1日限りの自主上映を行った。

その後ネットで公開し、続編制作資金をクラウドファンディングで募るも失敗した。

ところがこれがきっかけか、なんとハリウッドの製作会社から監督オファーが来た。千載一遇のチャンス……!と思いきや、堀監督はこれを断ってしまう。

曰く、英語ができないのと映画業界に悪いイメージ(自由にやらせてくれない)があったらしい。もったいない!!と思ってしまう。

その後正式に出資が決まり、今の1時間40分の長編を作ることになったのだ。そして2021年、劇場公開へ。

2009年に着手してから実に12年という年月をかけてようやく、公の目に触れる場にたどり着いた。自主制作からここまで持ってくるのは並大抵の努力ではない。ぼくは堀監督のこのコメントが好きだ。

(ネットが広まって)
その分、才能を持った人材が出てくるのでハードルは上がるし、コンテンツが溢れて収益化の難しさもあるが努力すればチャンスを掴める時代になっていると思う。

自分は器用貧乏で何者にもなれなかったがやっとやりがいのある世界を見つけることができた。

かなり遠回りをしてしまったがこれから頑張って面白い作品を作っていきたいと思う。40才を目前に映画を作り始め、50才目前になってやっとチャンスを掴めた。

まだまだ成功には程遠いが自分のような人間でも努力すれば夢は叶うという事を体現して行きたい。

ときどき、自分も30、40代となっていくとやりたかったことも妥協してずるずる人生が終わりに近づくのかな、なんて思う。

でも、本当にやりたいんだったらいつ始めても遅くない、ってことを堀監督は教えてくれている気がする。

若いうちに成功するにこしたことはないけど、それより人生で一作、自分が完璧に納得できる作品を作ることの方が大事で、それに年齢は関係ない気がするんだよな。

忘れちゃいけないのは堀監督はずっと何かを創り続けてきたということ。
世間から脚光を浴びなくとも、お金にならなくても、つくることを止めなかった。

ぼくはそれが名作を生んだ本質的な理由だとおもう。歩みを止めないこと。蓄積し続けること。

それができればいつかチャンスがくるはず。そのときにジャストミートで捉えられるように、日々研鑽する。



でも人間はなまけたいし、眠いときは寝たい生き物なんだよな~。笑


                     糸冬


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