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ピーター・グリーンの命日に彼を聴く

 
 突出した才能を持つ人間が失踪し、ある日街角で、ごく普通の一市民として暮らしているところを発見される。「おい、あれってもしかして、あいつなんじゃないか?」「まさかぁ」「いやおれもまさかとは思うけど、でも……」など、と。
 そして見つけられた人間は、その後、かつて活躍していた世界に戻り、さらなる才能を発揮する。
 
 
 
 小説やマンガなどでは、ときおり見かける設定だ。ヒーロー活躍譚のひとつの理想的な展開といえる。
 
 そこには、「なぜ失踪したのか」、「失踪中はどうしていたのか」という謎があり、「称賛と地位を捨てて無名で暮らすこと」や、「人生の一定期間を無駄にした後悔」などの心理描写を盛り込める。
 「果たして脚光を浴びる世界に戻ったことがいいことだったのか」、といった人生のテーマ的なものも取り入れられるし、「才能を封印していた間に新たな凄腕が出てきて新旧実力者が競い合う」という、ライバルの相克も描ける。
 
 つまりは、いろいろと主人公のキャラを立たせられるし、盛り上がりの場面をわりと簡単に作り出せもする。失踪という、ある種ロマンを感じさせる行為は、話に取り入れると魅力的な物語を作りやすくなる。
 
 
  
 しかし架空の世界ならともかく、現実には、「疾走し、その後復活して活躍」という設定は、かなりむずかしい。どうしたってメディアが追いかけるだろうし、家族から捜索願でも出されれば公的機関だって探しまわることになる。それらをうまく撒けるものではない。
 また、失踪中の生活をどうするのかという問題もある。失踪前の活躍でお金にある程度余裕があったとしても、保管がたいへんだ。銀行で出し入れすれば、行方を突き止められてしまう。不動産や有価証券にしておくこともできない。結果、大量の現金を手元に置かなければならないことになる。
 また、一市民になるにしても、身分を表す証明書が用意できなければそれもむずかしい。ようは、住民票や車の免許、保険証がないのだ。また、顔だって知られているので、仕事中や買い物のときにバレてしまう。
 こういった諸々から、「有名人の失踪、そしてその後の復活物語」というは、やはり作り物の話だけのことになってしまう。失踪自体はパッとできても、その後息をひそめて暮らしていくことがむずかしい。そのまま行方不明か、どこかで野垂れ死にするケースもある。
 
 ところが、これを実際の世界でやった男がいた。男はイギリスの有名なミュージシャンだったが、疾走し、ある日見つかり、復活して再びその才能を世に広めた。
 
 男の名はピーター・グリーン。60年代後半、初期フリートウッド・マックのリーダーでギタリスト。フリートウッド・マックといっても、70年代中期に人気を博したポップスバンドとは違う。いや、バンド自体は一緒だ。しかしメンバーはまったく違う。そしてまた、当時は男だけの、ヒットとはほとんど無縁のブルースバンドだった。
 
 ピーター・グリーンの足跡はネットでいくらでも拾えるので省く。Wikipediaにも載っている。これをつらつら書いていたら長くなるし、また、出ている情報をなぞるだけになってしまう。ぼくにとって最も印象的なのが、失踪した彼が見つかったとき、墓堀り職人をしていたという噂があることだ。
 
 チャートを賑わせるわけではないが、その当時の超絶ギタリストの1角に名を連ねていたミュージシャン。それが、ドラッグで廃人のようになり、世間から行方をくらましてしまう。そしてギターとは無縁な、単なる職人として発見される。それも、墓堀り職人とくる。あまりにできすぎた話なので、この発見というくだりは創作だろうが、実際無名の人間として世間を彷徨い、墓堀り職人もやったことがあったようなのだ。
 
 また、偶然発見された彼は、元の世界に戻り、大ヒットとはいかないまでも、一部のマニアックなファンにウケる良質のアルバムを作り出す。
 
 痩せた、気難しそうな表情といった容姿ということもあり、まるで、物語の主人公が師匠と謳うような、準主役的な老いたヒーローの印象を持たせてくれるミュージシャン。勝手な想像だが、1970年の『パフォーマンス』という映画でミック・ジャガーが演じた、落ちぶれた廃人ミュージシャンとダブる。
 
 彼の命日は昨日。昨年2020年の7月25日に73歳で亡くなったのだ。
 昨日は彼の作品を聴いてすごした。破滅型の人間は一種の魅力を放つが、低迷後に復活した人間も同様の魅力を持つ。その低迷が破滅に近ければ近いほど、魅力が増す。

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。