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1手30秒!  Part2

 
 2局目に入った。木村センセイ先手で7六歩。ぼくは3四歩。センセイ6六歩は決まった手。ぼくはそこでちょっと考えて8四歩と指した。対抗形であれば、駒組みするまでさほど時間をかけないで済む。秒読みは戦いが始まってからだろう。そう、今日は勝負ではなく、センセイのスパーリングの相手なのだ。
 
 淡々と指し手が進んで、美濃対棒銀のよくある盤面になった。ぼくが攻めて少々優勢に見えたが、船囲いが薄いので実際の差はない。その辺りで秒読みに突入。
 
 センセイ、ぼくの攻めを交わして優勢から勝勢へ。センセイの指しまわしにぼくはタジタジだ。そこでセンセイが決め手を考え込んで、ピーッ!!
 
 時計を見ると、センセイの持ち時間が『0』になっている。「あぁっ」とセンセイ。
 
 なぜ今回、ぼくが教えなかったのか? いや、攻められてこちらも考え込んでしまっていたのだ。自分が指して時計を押したあと、こう来たら、いや、あぁ来たら、と盤面を睨み続けていた。ぼくもまた、秒読みが頭から吹っ飛んでいたのだ。
 
 この時計は、クセがつくまで本当に厄介だ。1手指すと、どうしても次の手を考えたくなる。しかも、相手の応酬を挟んでの次の1手だ。そこで時計を押すことが、頭から消えてしまう。
 
 大会では、相手が押さなかったときは、長考するフリをしてじっと盤面を睨んでいる。大抵は『0』にまでならなくて途中で相手に気付かれるのだが、それでも相当時間的に有利となる。
 
 この日はもう1局、時計を使わないでやってセンセイが勝った。ぼくの玉が追い回され、無残な負け方だった。センセイ、時計にさえ慣れたら、大会で相当やれるのにと思った。
 
 その後、センセイに、座談会の会場となるぐんじ寿司に連れていってもらい、学生時代からあこがれだったセンセイとサシ飲みができた。なにしろセンセイの著作はほぼ全作読み、メディア出演もチェックしてきたのだから、話のネタは尽きない。あれは、これは、と次々聞いていった。聞きたいことが山ほどあったのだ。一例を挙げると、センセイが以前テレビのコメンテーターで出ていたときに取りあげていた、「公衆電話100円おつり出せ問題」だ。携帯電話が普及した今は考えられないだろうが、ひと昔前は道端に設置された電話ボックスが、人と連絡をとる最重要ツールだった。だから、駅から田舎の街道から、とにかくたくさん設置されていた。
 
 その公衆電話で最も一般的なものは、10円と100円が使えるものだった。10円を持ち合わせていないときは100円を使わざるを得ないのだが、ひと言で切ったとしてもおつりが出ないのだ。ぼくは子どもの頃塾の帰りが遅くなると帰るコールをしたのだが、よく10円を忘れて悔しい思いをした。「今終わって駅。これから帰る」。これ伝えるだけで100円。しかも子供のこづかいから。
 
 木村センセイはこの問題にたいへん力を注いでくれ、NTTにかけあったのだ。機械の構造上むずかしい、つり銭切れのトラブルが予想されるなど、おつりは無理と言うNTTに、レシートを出して後日NTT窓口で返金するカタチなら、などと相手が呑めそうな案を出したりもした。この顛末の裏話を、美味しい寿司を食いながらじっくり聞くことができた。印象深い1日だった。
 
 センセイがラジオのパーソナリティーをしていたときのことも詳しく聞いた。画面のないラジオは時間を読むのがむずかしいが、センセイは得意だったようだ。間が空かず、また言葉が切れることがなく、CMに入れたという。それを聞いたとき、センセイはきっとチェスクロックも克服するだろうと思った。
 
 それから数年、センセイは将棋ペンクラブチームで大会に出場しているが、最初は少々時計に苦しんだものの、今は慣れてしまっている。昨年はコロナの影響でクラスが縮小されて上位と当たったのだが、センセイの成績はすばらしいものだった。


書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。