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「詰め将棋」をめぐる師弟のやりとり

 
 『将棋ペンクラブ大賞』は2次選考委員からの選考が集められた。これを元に最終選考作品が決まり、現在最終選考委員の3名に発送する作業が行われている。
 
 最終選考会は7月中旬。
 
 
 
 ぼくは湯川博士師匠の弟子だが、あまり忠実な弟子ではない。それに関しては師匠にすまないと思っている。先崎九段のずっと昔のエッセイ本を読むと、師匠に対してちょっとびっくりする態度や発言をしている様子が載っているが、なんだか妙に共感できる。
 
 ずっと前に湯川師匠と呑んでいたとき、「師匠が弟子にできる最大の貢献は仕事(原稿執筆)の斡旋だ」と言ったことがあった。かわいくない弟子だ。酒の席で放言するのだから。もっとも、「ばかやろう。師匠が仕事ないのに斡旋できるわけないだろう」と一喝されてしまったが。
 
 師匠にすまないと思うもう一方で、すまないと思ってほしいという側面もある。裏切られたこともあるからだ。まぁそんな深刻なものではなく、「あれっ」と思う程度のことだけど。梯子じゃなくて、脚立をはずされた程度。

 以前ぼくが将ペンに持ち込んだ投稿で、詰め将棋に異議を申すものがあった。
 いや、異議ではない。内容を簡単に言うと、将棋の上達には「詰め将棋」を解くことと昔から言われるが、そうだろうかと疑問を呈するもの。
 「詰め将棋」にはいくつかルールがあるが、その中のひとつに「駒を余らせずに詰ませる」というものがある。でも実戦では、きれいに全部を使い切って勝つ必要などなく、むしろ駒が足りているか分からないときに詰ませにいくと、アマチュアだと失敗するケースが多い。
 だから実践的な、「駒が余る詰め将棋」というものがあってもいいのではないか、という内容だ。
 
 これは将棋の問題集になるのではないかと、以前から思っていた。つまり、詰め将棋のような出題で、「どの駒が余るのでしょう」という問いを読み手にするのだ。
 
 そしてその原稿では、もうひとつの案も書いた。回答者が「詰め将棋」の玉側になるという問題集だ。詰まされ将棋なのだが、1ヶ所だけ逃げられる筋がある。それを見つけるという問題集だ。
 
 そういった、実戦に役に立つ2つの問題集がほしい。決まりきった詰め将棋の本ばかり作っているのではなく、ちょっとそれを変形させた本など作ってくれないだろうかという提案だった。
 
 
 しかしこれ、湯川師匠に却下された。詰め将棋は歴史あるもので、一つの文化なのだと。だから勝手にいじったり、ルールを変えたりしてはいけないのだと、湯川さんならではの豪快な崩し文字で(読むのにいつも苦労する)書かれた手紙をもらった。形を崩してはいけないらしいのだ。
 
 なるほど、そういうものかと思い、ぼくは原稿を取り下げた。師匠の言うことも、もっともだと。
 その頃将ペンの交流会で仲よくなった数学の先生は詰め将棋マニアで、自分は「指し将棋」より「詰め将棋」の方が好きだと言っていた。詰め将棋を明確に将棋の中から分けていたのだ。たしかに一つの文化なのだろうなと、師匠のありがたい言葉に従ったのだ。
 
 ところが時はすぎ、2015年度、第26回の『将棋ペンクラブ大賞』技術部門で、森信雄七段の「逃れ将棋」が大賞を獲る。
 この本はなんと、……いやいや、ぼくなんかが説明するより、この本に付いている帯をそのまま見てもらった方が分かりやすい。帯には、

すぐりnote逃れ将棋2

 まさにぼくが師匠に送った原稿に書いてある案が、そのまま書かれているかのようだった。これが表で、

すぐりnote逃れ将棋1

 ウラ表紙部分の帯がこれ。
 
 もちろん、この本にケチをつけようというのではない。実際すばらしい本だし、ぼくのように提案ではなく、こういった問題を実際に作った森信雄七段の功績は大きい。賞を受けてしかるべき本だ。上達に役立ちます。
 
 問題は、この本を師匠が絶賛していたことだ。しかもその内容が、「実践的。これまでの詰め将棋より上達に役立つ」というようなもの。えーっ師匠、それはないでしょ!? とRCサクセションの「ボスしけてるぜ」風に嘆いてみたくもなる。
 
 たしかこのことを呑みの場で師匠に聞いてみた(問い詰める、まではできなかった)ことがあるが、答は、
「森さんならいいんだよ」
 だった。
 
 弟子も弟子なら、師匠も師匠なのです。

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