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『囲碁と将棋はどう違う?』(8)

(マガジン『作家・湯川博士』)
 
 将棋ライターだった頃の湯川博士師匠が書いた、『囲碁と将棋はどう違う?』を採りあげている。これで8回目。
 
 戦後、囲碁・将棋のプロ棋士の団体ができると、今度はアマの方にまで波及していく。これは囲碁将棋だけでなく、他の競技もそう。
 ある競技が、やってみたり観てみたりして面白ければ、「プロ」が出現する。その「プロ」という地位が確立されれば、アマという、言ってみれば「プロになれなかった人」たちも出現することになる。
 また、プロ化黎明期の競技というのは、まだプロがたいしたことなかったりする。在野に逸材がいて、プロをやっつけたりする話も、だいたいはプロ化が根付く前のことが多い。
 どの競技も、プロが現れると、ほとんど平行線でアマ界も整ってくる。

アマ将棋の動向
 
 今まで主に専門家を中心に歴史を見てきたが、アマ棋界はどうであろうか。
 
 戦前の昭和11年に第1回全日本素人囲碁選手権が開かれているが、以後は戦争で中断。戦後は30年になって第1期アマ本因坊戦が開かれた。またアマプロ戦は、菊池康郎選手が27年に「囲碁」誌上で高段棋士にニ子で打って、10勝1敗したのが有名だ。また四、五段とは互先で破った。組織としては、37年に全日本アマチュア囲碁連盟が結成される。学生に目を転じると、昭和5年にリーグ戦が始まり、戦後は22年に再開され、32年に学生囲碁連盟ができて学生本因坊戦も始まる。
 
 将棋の方は昭和10年に学生リーグ戦、戦後は22年再開、45年に学生名人戦開始となっている。アマ名人は22年と、囲碁よりも早い。
 
 女流は囲碁のアマ選手権が34年、将棋は43年にアマ名人戦開始。
 
 将棋のアマ・プロ戦は、昭和24、25年にアマ優秀者が順位戦に参加。29年には九段戦の予選に参加している。組織としては、52年に日本アマチュア将棋連盟が発足。機関紙「将棋ジャーナル」を発行し、朝日、読売の2大アマ棋戦に協力。
 
 アマの世界を比べてみると、組織では断然将棋が活躍している。アマ囲碁連盟は機関誌全国大会などの活動はない。そしてアマ大会の数も将棋が多い。囲碁はアマ本因坊戦、朝日アマ十傑戦、日本棋院アマ選手権、赤旗名人戦の「4」。将棋はアマ名人戦、朝日アマ名人戦、読売日本一戦、毎日アマ王将、全国支部名人戦、レーティング選手権、赤旗名人戦の「7」。
 
 このうち赤旗名人戦は両方やっているが、囲碁はどのアマ強豪に聞いてもタイトル指折る人がいない。むろん出場もしていない。囲碁の赤旗名人戦は、赤旗の読者とか労働組合の関係者が参加する大会と見ている。これは総評名人と同じようなイメージを持っているということだろう。
 
 将棋のほうも以前はそうだったが、グラチャン戦(その年のアマ・タイトル獲得者のみ出場できる棋戦)ができてから一段と充実してきた。つまりアマチュアの力で価値あるタイトル戦に昇格したと言えるのではないか。

 
 将棋、アマでの優秀者が順位戦に参加できたのか! 今では考えられないことだ。戦後4、5年のことだから、まだ混乱期だったのだろう。麻雀放浪記の時代で、おそらくプロといえど、そう安定していなかったのではないか。


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