プロとアマチュアの違い

通訳に資格はない。

今日から私〇〇語の通訳です、と言い切れば通訳になれる。

ゆえにボランティア通訳という単語ができ、東京オリンピックもこれで随分賄おうとしているようだ。言葉が話せたら通訳できるのかというとyesともnoとも言えるだろう。

駅で困っている様子の観光客の話していることを駅員さんに伝え、駅員さんの説明を観光客に伝える。通訳だ。

ここしばらく、では通訳のプロとアマチュアの違いはなんだろうと考えていた。

先日、司法通訳者の研修会に参加した。通訳人は十人十色。同じ言語でも日本人かネイティブかでも違うし、どのようなバックグラウンドを経て通訳になったか様々。共通項を見つけるのはかなり難しい。

報酬を受け取って通訳の仕事をしているかどうかで、プロとアマチュアは分けられないと考える。なぜなら、報酬を受け取って生業として通訳をしている人の中にもそれはどうなんでしょう、という社会常識でさえ危ういタイプも実際いたりする。

英語の通訳の場合、通訳の学校で学び、また様々なジャンルの通訳をしているため比較的プロ意識の高い方が多いと思うのが、私の個人的印象である。

それに対して、少数言語になると、通訳になろうという意思をもって勉強したというよりも、その言語を話せる人が少なくて頼まれて通訳をして現在に至るというパターンが多い。もちろん、その間に語学力を高める努力をしている人も多々いるが、あまりそれの見受けられない人もいたりする。

誤解を恐れずにいうならば、話し手と聞き手の言語バリアを感じさせない裏方に徹することのできる人がプロだと私は考える。通訳がいたことを忘れさせるような滑らかな進行をすることができるのがプロの仕事である。

司法通訳は法を犯した取り調べられる側と取り調べる側の間を訳す。私はそこに通訳の意見を反映させたり、2者間の会話を仲介させない。それは調べる側、調べられる側両方の信頼を失う行為だと考える。ここを徹底できない通訳はアマチュアだ。個人的な意見を交わすことなく、言葉を訳すことのみで相手の信頼を得られるよう日々務めるしかない。

文化の違いにより一方の説明だけでは相手に理解されない、理解が難しいと思われる状況の時には、断りをいれて補足説明をする。常に、両者に間違いなく、話していることを伝えているということでしか、通訳は信頼を得てはいけない。言葉がわかってくれる人だから味方をしてくれる、という甘えに乗っかることは一方の信頼を失うことで、中立性も公平性も危うくなる。

そういう意味でプロとアマの違いは語彙量や報酬によるものではない。また経験値が高い低いでもない。経験値の有無で分けるならベテランか初心者というラベルになるだろう。10年以上通訳していても、さまざまなケースを担当してきたとしても、話者の言葉をそのままで伝えられないのであれば、プロではない。また、話者や聞き手にプレッシャーや甘えをみせて通訳する行為もプロ失格である。全ての単語に精通しているわけではない。それをごまかすのではなく、わからない部分は両者に対して誠実にそれがどういう意味であるか確認を取り、正確につたえ、意見も感想も何も足さず引かず伝えること。

そしてさらに自分が通訳である、という役目を忘れていないこと。時に、裁判官であったり、検事や刑事など権力をもっている人の言葉を伝えることで、自分がまるでその人の立場の人間であるかのような発言やふるまいをする通訳人を見かける。通訳人はどんな立場の人の言葉も繋ぐのが役目である。それを忘れてはプロ失格である。




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