78歳の父が急性くも膜下出血で倒れてからのこと(2)翌日〜1週間

自分が、心の底から根拠はなくとも「大丈夫だ」と思えていた、(仏教的な文脈でいう「明らかに見る」ほどの高尚さはないのだが)からか当日の夜は結果的に、よく眠った。

朝7時に起きた。弟とやりとりしたところ、特に夜中病院からの連絡はなかったよね?ということで最悪の急変は免れている。

今日はクリスマスイブで祝日だが出勤予定だった私は会社に今日だけお休みを頂いて病院へ向かう。

この1週間のタイミングで以下の対応を完了する。

a. 父が通っていたテニススクールへ休会の連絡

b. 定期購入・購読していた牛乳、新聞ストップ

c. 冷蔵庫内を空に&なま物の廃棄

d. 回覧板など町内会当番をお隣の方に代わっていただいた

e. お寺への御布施についてのご連絡

f. 父の兄弟への連絡(ちょうど年賀状が届く時期でもあった。父の友人への連絡は状態が落ち着いてからにしようという結果に)

g. 実家に届いている郵便物の整理

f.に関しては、幾つかの注意が必要だった。

・医師から2週間の間は面会は家族のみに留めるようにと言われていた。

理由は大きく2つ。

入院場所がECUだったこと、インフルエンザ流行時期でもあった。外から病院に人を入れる=患者への罹患リスクを高める事になる。

現在、父は意識不明で眠っているように見えるのだが、聴覚は機能していて、こちらが話していることを聴いている可能性がある。そこで父にとってネガティブに取れる内容が耳に入ること=病態に大きな影響を与える可能性がある

上記2点を踏まえて、ぜひ面会したいというお気持ちだけ頂戴して、機会の設定としてはもう少し落ち着いてからというように伝えるようにしていた。

昨夜のうちに、病院から受け取った、父が倒れる前にスイミングスクールに持ち込んだ荷物は弟夫婦が実家に持ち帰って洗濯してくれた。

年末年始に差し掛かる時期だったのもあって、結果的に仕事がある日も含めて毎日面会に行くことができたことが本当に良かった。

父の病態の変化としては

・1週間は出血によって脳が腫れているのもあり、37度台の微熱が続いた

・手術3日後には、気管支弱いにも関わらず酸素補給するチューブを外すことに(毎週水泳は2km泳ぐのとテニスでかなり鍛えていたことで体力は78歳平均を優に超えてると思われる)。

・手術5日後にはECUから一般病棟(個室)へ移ることに。個室はベットの両脇に兄弟で立てるのと、周りに気兼ねなくお話ができるので、当たり前ですが、父の意識がないうちは、良かったです。意識が戻って回復期リハビリに入ってからは、周りからの刺激や応援面を享受することのメリットの方が大きくなってくるので、個室よりかは四人部屋の方が安心しました。




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