両親の偉大さと病院の領収書
状況
私:39歳、10歳の時に小児喘息とマイコプラズマ肺炎を併発して入院、現在完治
母:1990~2000乳ガン発症、他界
父:2018- 2021くも膜下出血、他界
やったこと
実家に両親が保管してくれていた1990〜の病院関係の領収書を全てスキャンする作業を行なった。
父や母が残すという選択をした領収書。その時、誰がどんな思いでどう生きていたかを残す上で、大切なデータと判断し、丁寧にスキャンさせて頂きました。
気づいたこと
10年間の何十枚に及ぶ領収書には病院のにおいなのか、独特なにおいがしみこんでいた。母は私たちまだ小学生の二人のこと、毎日の家事をいつも優先してくれてたと思う。母が治療を受けていた国立がんセンターの領収書の枚数と同じくらい、私の呼吸器内科の領収書がある。私が喘息で大変だった時、母はまだ自分の病気のことで病院に行っていなかった。
私は小学生低学年の頃、夜驚症で東京まで母と病院に通っていた。その病院にかかることになった雑誌の切り抜きが見つかった。夜驚症について、その病院の院長で私の主治医だった先生が解説している雑誌の記事だった。母が、私の様子を心配して細かく状況を書き留めたメモが残っていた。第一子だったのもあって、心配して行動に移してくれた母の愛が偉大すぎる。自分を犠牲にして子どものことを第一に考えて丈夫に育ててくれてありがとう。おかげで39歳でも毎日目が覚めて仕事をすることができています。
1997くらいになると新橋駅からタクシーで国立がんセンターに通った記録があります。歩くことが難しくなっていました。辛かっただろうな。天国ではどうか幸せで楽しく過ごしていてね。
同時に、妻の心配もしながら、仕事を全うし、妻を看取り、家のこともなんとかしようとしてくれた父もありがとう。
母の父(おじいちゃん)が、入院中の母に宛てた手紙も保管されていた。「子どもたち二人のことは僕たち(おばあちゃんのこと)に任せて心配せずに心を広く持ってね」と書いてありました。母の父もまた偉大すぎて泣けてきました。
偉大な父母、祖父母にここまで愛を注いでもらって育ててもらった命を粗末にしたくない。
誰もが永遠の命ではない。この限られた時間を使って、いつも両親や祖父母や私が育つことに愛を注いでくれた全ての人たちに感謝を忘れないで、一歩でも前に進んでいきたい。
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