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カニカマ物語

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カニカマにまつわる物語のあれこれ。 誕生から現在までを紡ぎます。
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#あの選択をしたから

カニカマ物語④ 誕生編「売れたはいいけれど」

世界初のカニカマ「かにあし」のパッケージには、「珍味かまぼこ」と書いてあります。ですが、今のようにカニカマという食品のジャンルがない時代、パッと見てカニのほぐし身のように見える「かにあし」を本物のカニだと思って買った人が多く、「インチキ」「騙された」という抗議の声が殺到しました。「油断するとすぐこんな例にひっかけられる」など新聞に書かれたこともありました。 この由々しき事態に、まずはラベルを見直しました。文字の大きさやデザインを変え、カニの絵を外したり「かには入っておりませ

カニカマ物語③ 誕生編「売れない」

「これは10年に一度の発明だ」 世界初のカニカマ「かにあし」が誕生した当時、スギヨ社員は皆こうに思っていました。ですが、自信に反して商品は一向に売れませんでした。 「刻んだかまぼこなんて売れない」 築地市場へ持ち込むも、つれない態度で一蹴されてしまう始末。カニカマというジャンルがない時代、「かにあし」は単なる「刻んだかまぼこ」に過ぎませんでした。それでも、営業の宮崎忠巳さん(当時43歳)は全国を走り回り、自慢の商品について説明するのを止めませんでした。すると、築地場外市

カニカマ物語② 誕生編「かにあし」

杉野芳人さんの「カニセンサー」が働き、開発は人工クラゲから人工カニへと一気に舵を切りました。じゃあ、人工クラゲはどうなったの?と気になるところですが、日中国交正常化に伴い中国からの輸入が再開されたので、需要は次第になくなっていきました。もし人工クラゲが完成していたら、すぐに売れなくなっていたかもしれません。そして、現在カニカマは世の中になかったかもしれません。 カニカマ開発の主なメンバーは、専務の杉野芳人さん(当時42歳)を中心に、天才肌のかまぼこ職人と開拓魂を持った研究者

カニカマ物語① 誕生編「クラゲ」

カニカマを語る前に、クラゲの話から始めましょう。 もともと、カニを作ろうとしてカニカマが生まれたわけではありません。もとはと言えば、「人工クラゲ」の開発を目指していました。 中国で文化革命が起きていた1960年代後半、中国国内の政情不安と日本との国交悪化により、それまで中華料理や珍味として使われた食用クラゲが輸入できなくなりました。そこで、困った珍味問屋さんから「人工のクラゲを作れないか」という依頼がスギヨに舞い込みました。1959(昭和34)年から「人工のカラスミ」を製