土神と狐(2/2)
父:カミサマが殺生をしてしまう。これはもうカミサマではいられないよね。
葉:ふたりとも大変なことになってしまうのね。。。
父:キツネのポケットには何が残されていたの?
葉:ええと。カモガヤの穂が2本。あと書斎はガランとして赤土がキレイに固められているばかり。持ち物はハイネの詩集だけ。
父:カモガヤはそのへんに生えているなんでもない草だね。なんと悲しいのだろう。。。
葉:それまで自分より高い存在に思えていたキツネに嫉妬していた土神は、とってもやるせなかっただろうね。自分といっしょだって。
父:そう。ふたりは同じ場所に暮らす実は同じような存在なんだね。じゃあ、考えてみて。賢治さんはキツネと土神をそれぞれ誰のことだと思ってこの物語を書いたと思う?
葉:んんん?ハイテクとローテクだよね。。。
父:おもしろい二項対立だね。賢治さんは決してキツネを悪く書いていないと思うよ。ただ正直か?不正直か?と問えば、後者だったということか。
葉:んんん……。どちらかは賢治さん。
父:ほほう。膨大な原書を読み、チェロを弾き、ベートーヴェンを聴き、農民芸術活動に勤しみ。でも花巻の実家から離れることはできない。1回離れたけど。むかしは家を継ぐのが当たり前だったからね。
葉:やっぱり賢治さんは土神だと思う。
父:ほほう。ではキツネは?外国の文化を取り入れて、勉強して、かなりの知識を蓄えている。その知識は樺の木に聞かせるだけ。世の中に広まっていない。その術もない。
葉:やっぱりキツネも賢治さんだと思う。ふたりとも心のなかの賢治さんだと思うけど、どう?
父:おとうもそう思う。家督を継ぐのが当たり前だったからね。遠山金四郎みたいな人もいたけど。弟に家督を譲るために背中にパッと桜吹雪の刺青をいれたと。金さんはイキなお方だ。
葉:んんん?
父:いや、それはいいんだ。心の中に相反する思いや感情があって、どちらを選択するか迷うことをなんと言うのだっけ。
葉:葛藤。
父:おお、よく理解しているね。これは東北人の業かな。
葉:東北人みんな?
父:数年前まで色濃かったかな。いつ始まったかといえば坂上田村麻呂の時代かな。それからずっと東北は滅ぼされる対象だった。アテルイも安倍一族も、平泉の奥州藤原氏もみんな滅んだ。会津は薩長にいじめられて。卑屈になっちゃうよ。
葉:あ、おとうがよく言うね。「夏草や兵どもが夢のあと」だね。シドイね。
父:そうそう。シドイシドイと芭蕉は平泉で涙を落とした。戦前戦後も変わらない。おしんが耐えた口減らしに就職列車。上野はおいらの心の駅だ。くじけちゃならない人生が、あの日ここから始まった。
葉:なにそれ?
父:いや、それもいいんだ。残った人も冬は出稼ぎ。みんなで高度経済成長を支えた。やがて原発みたいなものが東北のあちこちにできて東京まで出稼ぐ必要がなくなった。
葉:必要な人もいたのね。ずいぶん助かった人も多いのね。
父:でも今はちょっと違ってきた。特に震災後。若い人たちが自分から率先してふるさとに残ろうと考え始めている。
葉:朝小(朝日小学生新聞)で読んだよ。ふるさとの役に立ちたいって考えているんだよね。エライよね。
父:うん。エライね。その選択を可能にしたスマートフォンやタブレットはもちろん、ガーディアンや iTunes に YouTube を賢治さんに見せてあげたいよ。これほど対話の場があるなら東京に行く必要がないってよろこんで岩手で暮らしたろうなあ。
葉:そうだろうね。
父:もう世界中どこでも暮らせる時代だから。君も好きなところへ行きなさい。おとうは留めない。
葉:うん!パリの「釣りをするネコちゃん通り」のアパルトメントで暮らすの!!
父:どうぞどうぞ。キツネの気持ちもわかるよね。キツネは樺の木じゃなくて、キツネと会話したかったろうに。
葉:キツネとキツネの会話ね。同じような知識を持った者の会話。
父:そう。そうすれば切磋琢磨できただろうに。いい友達と巡りあうことは本当に大切なんだ。
葉:賢治さんにはいなかったのかな?
父:そうかもしれないね。賢治さんの葛藤はそれだけじゃなかったみたいだよ。農業学校の教え子に「君たちは農民たれ!」と説く自分は月給をもらって暮らしていることに納得できなかったみたい。だから4年で辞めちゃった。
葉:正直な人なんだね。
父:そうだね。ふつう、仕方ないって割りきっちゃうところなんだけどね。でも強い意思で東北で暮らした人もいるよ。賢治さんの弟さんとのつながりで花巻に来た人でね。戦争のとき東京の家が焼けてしまって。つまり疎開したんだ。
葉:へえ。誰だろう?
父:高村光太郎さん。知ってるかな?
葉:ううん。知らない。
父:じゃあ、今日は高村光太郎さんの詩を2編味わって終わりにしよう。まずは『冬が来た』
(ふたりで詩を朗読)
父:どうだろう。この強い決意。厳しさに立ち向かっていく精神力。これは東北に来る前の詩だけど、高村光太郎さんの辛いことへ立ち向かう精神がよくわかるね。
葉:うん。強い人なんだね。
父:次は『ブランデンブルク』これはおとうが大好きな詩なんだ。
父:実際は最愛の奥さんに先立たれ、戦争に協力した責任を感じて、失意のうちにとうほぐへ来たことを忘れちゃいけない。
葉:へえ。とうほぐで響きあうものと響き合うのね。
父:「電離層の高み伝いに」同好の士は時空を超えて響きあえるという暗喩だろうね。「おれは自己流謫のこの山に根を張つて おれの錬金術を究尽する。おれは半文明の都会と手を切つて この辺陬を太極とする。」ここはすごいよ。
葉:「るたく」って?
父:この場合、自ら罪を感じ自らを島流しにしたっていう意味だね。「へんすう」は大地の果てという意味。東北って地の果てなんだなあ……。地の果て岩手を「太極」とする。ビックバンの出発点みたいにすると。
葉:へええ!すごいんだね。賢治さんも今だったら世界中の響き合う人と響き合えただろうにね。おとう?最後の「稗飯」ってなあに?
父:お米みたいなもの。お米よりずいぶん価値の低い食べ物でね。冷害でお米が育たないこともあった東北人にとって忘れられない大切な食べ物なんだ。いまでは田んぼの雑草。引っこ抜かれちゃう。
葉:わかった。ヒエアワの稗ね。
父:光太郎さんはこれだけの決意と強い気持ちを高らかに宣言して、手を握りしめて立ち上がった。そのとき、ふと足元の独りの食膳を見たのだろうね。そうしたらなんとも貧しい稗飯がぽつねんと。
葉:あーやれやれのユーモアだね。
父:そうそう。自嘲と言って自分自身をつまらない存在と思って笑うこと。薄ら笑い。
葉:あ、キツネの最期のうすら笑い……。
父:そう。解釈の難しいキツネの最期の薄ら笑いは、そんな意味じゃないかな。オレなんて所詮こんなものだ……って。
葉:とてもよくわかったよ。賢治さんが生きているあいだに原稿料をもらったのは1回だけだったものね……。そう思っちゃたのかもね。ねえ、おとう?詩っていいものね。今度は詩のブックトークをやってみたい。
父:いいね。詩は心の中に百編在庫しておいたほうがいいよ。君の人生を必ず支えてくれる。
葉:うん!
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これで第2回のブックトーク練習はおしまいです。『土神と狐』では賢治さんの恋についても話し合いました。これは別の本で再考してみたいテーマです。
次はいよいよブックトークの実践です。
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