遺曲~記憶人形による改稿版~

元々の原型である遺曲の大幅リメイクをした作品です。リメイクというか、アレンジも大胆に変えてもう別物みたいになっていますが。
なぜ「リメイク」ではなく「記憶人形」による「改稿版」なのかという解説といいますか、この「遺曲」自体の持っていたストーリーから書き散らしていきます。

・元々は「売れない作曲家」が鳴かず飛ばずで嘆いているような曲で、時代設定としては「なんでもいいから曲作って稼がないともう極貧なショパンがいた頃くらいのヨーロッパらへん」をぼんやりイメージしていました。
作曲家という職業で食べている彼ですが、「売れない」ので当然まぁじりじりと心身共に瘦せ細ってしまうわけでして。
パトロンもいない彼は誰か自分のことを認めてくれ、誰か助けてくれよ、そう叫びたいけどももう外側へ向けて叫ぶ力もなくなって、もう全部終わりにしようと決めました。
アルバム、「目標、明後日の斜め上方向!」のブックレットのイラストの右辺りに実は黒猫の絵が飾られています。
当時の彼に寄り添い続けてくれたのは、その描かれている彼が飼っていた黒い猫だけでした。
歌詞の最後の「君も連れていってしまおうかなんて思った」の「君」は大事にしていた黒い飼い猫を差しています。言わんとわからんがなそんなトラップ。

はてさて時はスギ、いや過ぎ、メタ的にも時間が経過して技術が進歩した世界線にやってきました。
もしかすると、彼が逃がしてやった愛猫の持っていた記憶や映像、はたまた音声を機械人形に取り込んで歌わせる、なんてことも可能になったのではないでしょうか。
皮肉なことに、死後になってやっと評価されるアーティストもいるわけなので、当然誰かはそれを”再現”したかったものと思われます。
でも、彼の音や彼が本当に出したかった音、苦しみ悩む姿、そして最期を見届けた”記憶人形”は、再現はするけれども当時本当に彼がやりたかったことを世に出そうと決めました。

記憶人形の表情は描かれておらず、大勢の観客の喝采を浴びて笑っているのか
それとも誰もいない空間で、「だけど憶えていてよ 僕が生み出した音を」と亡き彼が遺した言葉を ”憶えているよ” と伝えるためだけの公演を果たしたのかは
僕にもわかりません。

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