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文学と小説の違い

文学と小説のちがい

読書記録です、『パムクの文学講義』42pあたりに世界小説について書いてありました。

世界小説とは、簡単にいうと世界中の文学です。今までは、中国とかフランスとかロシアとか。国の名前に文学とついていたのですが、

コスモポリタンな人々(ナポリタンじゃないよ、アメリカで生まれて日本で育って今中国住んでいるみたいな人)に〇〇文学ってつけるのおかしいよねってわけで始まったのが世界のどこかで書かれた小説という意味の世界文学です。
違ったらごめんね。

その解釈がとてもユニークで、世界文学というのは、作家の世界を魅せる文学だから世界文学と言っていました。
さらに、他のところでは、文学と小説の違いは、先へ読ませようとするのが小説(エンタメ)で文学は、『風景画』のような作品。
つまり、何度でもその世界に浸るためのものなんですね、先へ先へ読ませるものではないんです。

つまり物語が薄いんです。例えば、『銀河鉄道の夜』は、物語としては死後の旅路の物語ですよね。主人公のジョバンニは生きて帰って、友人のカンパネルラはすでに亡くなっている。物語はこれだけなんですよね。でも、その道中の宮沢賢治の描写がとっても美しい。その世界を味わいたくて何度も読んでしまうし、その世界観を再現したくていろんな人が絵本やアニメに挑戦しています。そういうふうに整理すると晩学なんとなくわかりやすいですよね。

ちなみに僕はエンタメ小説も大好きです。

さらに、セルバンテスの『ドンキホーテ』(娯楽小説の代表)と『アンナカレーニナ』(文学の代表)としたとき、ドンキホーテは物語の外側から語れているんですよね。ドンキホーテの世界の観客として参加している。ただ、アンナカレーニナでは読者はアンナの内側にいるんですよね、アンナが見ている世界を不思議なフィルターを通してみている感じです。不思議なフィルターというのは、これは作り話ですよという、作者との約束のことです。

この内側と外側の視点はいわゆる一人称、3人称の語り口の差というのもありますが、なんだかそれだけじゃないような気もしています。

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