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憲法前文を考える

Twitter等を覗いていると「日本国憲法前文は理念が素晴らしい!」みたいなコメントを見かける事があります。
私は憲法前文が全く素晴らしいとは思いません。むしろ改正すべきだと考えています。このあたりを少し語ってみたいと思います。

憲法前文

(1) 日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
(2) そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
(3) 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
(4) われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。

問題点(1):「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」

憲法前文の第一文に込められた内容は「先の戦争は、政府の行為によって生じた」という表記となっており、一方で我々は広く「戦前は"天皇主権"だった」と習う。
このこともあって、多くの国民は「天皇主権であったことが政府の暴走を招き、これによって戦争を引き起こし、多くの国民が犠牲になった」という【物語】を共有してしまっている。
しかし少し調べれば容易に判る通り、この【物語】は「歴史的な事実に基づかない」。
天皇主権、つまり国民が何を言おうが天皇の決定で政治が執り行われてきた事実はないし、むしろ大正期以降、急激に民主政治化が発展し、その結果として「多くの国民が戦争を礼賛した」のが事実である。
各政党も、戦争に反対すると当選できなくなり、戦争賛成の空気が醸成されていった。
従って、この【物語】は「国民は悪くない。政府が悪かったのだ。政府が国民を騙したのだ。」という含みを前提として持つ文章となっている。
果たして、この欺瞞を維持する事が「平和憲法」として相応しいだろうか。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる」ではなく、「国民の愚かな判断によって再び戦争の惨禍が起こる」が正しいのではないのか。
当時、敢えて「政府が国民を騙した」点を指摘するなら、「勝てる!勝っている!」とウソをついた事だ。

問題点(2):政治的権威と代議制民主主義の原理

憲法前文では、「国政の権威は国民にある」としている。政治における権威とは何か?この文脈での権威とは「何等かの達人」を示すのではなく「誰かを無条件に従わせる力」を指すのだから、国民は誰かを無条件に従わせる力を常に鍛錬していかなければならない事を示す。
民主主義(Democracy:民主政治システム)は、国民が大衆である場合は機能せず、国民が常に学び、政治の細かい所まで関心を持ち、指摘し、発案し、これを議論し続ける事で初めて機能する。
仮に大衆で民主政治システムのようなものを実施しようとすれば形骸化し、これは「大衆に責任を押し付ける事に成功したAristocracy(今風に言えば"上級国民政治システム")となってしまう(現にその通りだろう)。
国民に権威を持たせるのであれば、別途、これを国民に広く啓発し、あるいは時には強制する必要さえ生じる。「権威」とはそれ程に重い物だと考える。
憲法は、一般的に国家権力を縛るためのものである。従ってここで「権威は国民」とするのは適切ではないと考える。

更に憲法前文では「権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理」としている。
しかし果たして「議会制民主主義」は人類普遍の原理なのであろうか?現に、民主主義国家はこの世界でどちらかと言えばマイノリティである。
このマイノリティは人類普遍の原理だとすれば、一般的にそれに続くのは「世界中はこの原理であるべきだ」という価値観へとつながる。そしてこれもまた【物語】を生じてしまう。
例えば多くの日本人にとって「民主主義は素晴らしい。そうでない国はどこかが仕組みとして劣っているのではないか。」と考えがちではないだろうか。
これこそは傲慢である。これは平和憲法として好ましいだろうか。代議制民主主義を何故、人類普遍の原理としなければならないのか。

問題点(3):「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」とは何か?

問題点(2)からの流れで、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」で名誉ある地位を占めたいという宣言がなされる。しかも、日本政府が実施するのではなく、「われら」つまり「国民が」という事である。
前述したとおり、民主主義国家は世界的にはマイノリティであるため、「国際社会」全体を示しているわけではないという矛盾がある。
ならば、積極的に他国へと働きかけて「平和の維持、専制と隷従、圧迫と偏狭」を除去し、急進的に民主主義を推し進める「国際社会」とは、1947年当時で、一体何のことを指すのか。
・・これはアメリカの目指す国際秩序に他ならない。
つまり、【アメリカが中心となって形成しようとしている国際秩序で、名誉ある地位を占めたい】が、この憲法前文の背景に含まれた隠れた物語なのである。
意識しているかどうかに関係なく、前述したとおり「天皇主権から国民主権」「民主主義は人類普遍の原理」「そのような社会での名誉ある地位を占めるべき」という物語が多くの国民に共有され、日本国民が【アメリカが中心となって形成しようとしている国際社会で、名誉ある地位を占める】という結果となっている点について、私は問題だと感じる。
しかも、政府の権力を縛るはずの憲法で、なぜかこの義務を国民が負う形で記述されている点も問題だ。

問題点(4):憲法前文に謡われた「国民が全力を挙げねばならない事」

前述したように、憲法は政府の権力を縛る目的であるはずなのに、文末もまた国民が「全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う」となっている。そして全力を挙げねばならない内容は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有する」である。
仮に、これを努力義務として政府に負わすのであれば理解できる。しかし、この義務を負っているのは国民である。
では世界の恐怖や欠乏、あるいは平和の内に生存する権利を守るために、一体国民がどう全力を尽くすべきだというのか。
ここの文面は本来、政府にその崇高な理念の実現を求める形にしなければならない。
しかし、そうはならない。
なぜなら問題点(1)で述べたように、「日本国民は政府を信頼してはならない」という含みを持つからだ。
本来、政府は信頼しなければならない対象である。

問題点:まとめ

以上をまとめると、こうなる。
【日本国民は日本政府を信頼してはならず、米国が進める世界秩序を推し進める上で名誉ある地位を占めようと考えるべきである】
という物語が含まれており、この背景となる「天皇主権から国民主権」「民主主義は人類普遍の原理」「そのような社会での名誉ある地位を占めるべき」という物語によって、多くの国民が無意識的にせよこれを共有している。
「政府不信」かつ「従米路線」の起源は、既に憲法前文によって作り出されていたと言ってよい。

ならばどう改正すべきか(私案)

私は何かを修正する際に、できるだけ元の文面を残しておきたいという傾向がある。従って、憲法前文についても問題点のある個所だけを修正したいと思う。本来は欽定憲法の方が適切であろうと個人的には考えるが、今回は指摘した問題点についてのみの修正にする。

----- ここから -----
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する事で、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保する事に努める。日本国民は、国民の誤った判断や政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意する。日本国民は、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権力の源泉は、われらとわれらの子孫の繁栄を愛し維持向上に努める国民同士のつながりに由来する。その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。政府は国民の代表者を通じ、国民の負託に応え、国民の全幅の信頼を得るよう国民の困窮・困難の除去に努めなければならない。また、国家権力は適切に独立で分権される事で、誤った判断が起こることのないようにしなければならない。この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこの憲法に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは日本国政府を通じ、平和を維持し、貧困や窮乏、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めることで、国際社会で名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有する政治道徳を確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、この政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は日本政府を通じ、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。

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