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アルコールを摂取して人に危害を加え、精神科を受診しました。

こんばんは。

豪雨、途方もない夜。本当に、途方もないと思う。私はまだ災害をくらったことがない。想像もできない。ボーナスが入るので寄付しようと思う。


先日、遊敵たちと有楽町で飲んだくれた。結婚するとか、貯金するとか、eスポーツが仕事ともいえるとか、ゲコゲコ笑いながら、隣の女の子たちに目もくれず、しっぽりと飲んでいたが、ダーツ場に移動し、誰が負けてもテキーラを全員で2杯ずつ飲み始めて記憶が途切れた。

朝起きたら田町駅の路上にいた。カバンから財布と携帯が無くなっていた。

同じくぶっ倒れている見ず知らずの他人が、アイフォン握りしめていたので、起動すると4時半くらい。健康的に朝日で目覚めたようだ。


全身がかゆい。この季節、駅前の植え込みで寝ると大量に蚊に刺されるという大発見を、大発見だ、お前ら知らねぇだろ、と痩躯をでっかく揺らしながら植え込みに吐き、駅前の地図看板を見て交番に向かった。

若い警視庁地域課の警察官が二人、鬱陶しそうにあいさつもしなかったので、こちらも可能な限り凛として、「財布と携帯をなくした。紛失届だけ出させてほしい」と言った。

むこうがいい感じなら、こちらも「記憶もなくしちゃって、へへ」と言い、ずかずか上がり込んで、「兄ちゃん大変やったな」とか労われながら、やっすい茶葉のおティーをもらって、「本当に助かりました」とかホームドラマの始まりの大根演技をかましていたひょうきんさは生きていたのでよりやるせなかった。

「水いただけませんか」

と言うも、「駄目なんで。そこにコンビニあるんで」とされた。

「でも、財布がないんで……」と哀願するも、「ここにどうやってきたんですか?交通系ICもってるんじゃないですか」と詰問され

あ、とか言って、すいやせん、的な体たらく。コンビニでもあいさつなどされずセルフレジで済ませ、それでも二百数十円残っていたので、飲み会の雨には一千円くらいは入れておこう、と学習した。

交番に戻っても、何かパソコンを打ち続けている二人に、必要最低限の時間と情報で紛失届を受理され追い出され、それが三田警察署管轄だったので、初めて自分がどこにいるか知った。土地に名前はなかったし、君の名前も暫定的なものだな、と心得、吐瀉した。

JRの改札に向かうも通れなかった。駅員に言うと、三田線に入っているので出たことにしますと、ここでも機械のようにあしらわれ、機械だったらこんなことにはならなかった、むしろアルコールで滑らかに動けるだろうに、人間ってやつは……と往年のKOKIA氏の歌を流す。

山手線で熟睡すると吐き気で目覚め、寝過ごしていた。滑らかな動きでカバンから袋を取り出し吐瀉した。時代が時代なので感染症に気を付けるため、洗面所でこっそり処理し、何食わぬ顔で山手線に復帰した。

ズボンにも買ったばかりの1万5千円のシャツにも昨日の内容が付着していた。


情けないまま家に帰り就寝、パソコンから謝罪すると、悪友が「財布預かっているよ」と言われ自宅を聞くと田町だった。ずっとそこにいればよかった。

再び田町に向かい、友達に全容を聴く。

ダーツバーで三度ほど床にぶっ倒れるも、かなり気さくに「なにもないよベイビー」と復活しタコフグのように頬を膨らませながらダーツしてたらしい。どうやら酔うほどうまくなっていて、自分でも酔いをよいものと快かったそうだ。

相席居酒屋に向かったが、席に着いた瞬間に吐瀉。ペンギンは魚をいったん溜めて、子供にあげるわけで、私もペンギンだったらなかなかの子煩悩になれるくらい、机や植え込みを育てている。

罰金一万円を先輩が払っている間に私は財布を投げつけ遁走。夜の街に消えたらしい。

二人は銀座のキャバクラに向かい、私のカードで私に成りすまして2万7千円の会計を切っていた。怒り心頭しようとしたが、お前に殴られまくった、といい胸のアザを見せられて、和解を申し込んだ。

私はほかに友達の眼鏡店で買わされた5万円のメガネなどをなくし、被害総額ははかりしれなかった。これはまさに、我が師である町田康の『しらふで生きる』で複数回言及される、酒を飲むことによる負債である。ああ、町田って、ひっくり返したら、田町だな。田町大好きか、チクショウ。


さて、自分が自滅するのはまだなんでもない。どうやら、相席居酒屋に行く間に、路上で叫んでいて、それを見た見ず知らずの通行人に「あいつがみてるぞ!」といって追いかけまわしたらしい。

「これはいけません」、大相撲で、横綱が負けたわけでもないのに、間違えて座布団飛ばすやつらに、NHKの実況が電波にのせて指導するやつだ。

これはいけません。


というわけで、思い返してみると、交番の前で所轄の管理職の名前を叫びながら「どうせ不起訴!」と半裸になろうとしたり(未遂)、駐車場のポールを破壊したり、犯罪行為をしていた過去を思い出し、アルコールを断つというか、いい距離感で、たまにあう幼馴染みたいな感じで付き合えないかと、町田氏とは違う人間改造などせぬ、楽な道を模索した。


っていうかまじでいつ捕まってもおかしくないという恐怖は、本当に情けない。罪を憎んで人を憎まず、酒を憎んで自分を憎まず、と思っていたが、山手線には「酔ったらなんでもしていいの」などポスターを見るたびに胸が張り裂けそうになっていて、泣きそうになった。

これは理論とかではなく、もう本当に生きている価値ねぇな、と思い始めてアルコール依存症の診断をしている精神科を探した。

案外少なかったが、比較的、通っている人が多そうな郊外のクリニックを受診した。メールでのやりとりだったが、すんなり受診日を決めてくれた。

テレワークの振りして小雨の中診断に向かった。

簡単なアンケート(「一回の酒量はいくらだ」「酒量は増えてきているか」)などを答えしばらくすると呼ばれた。


筋肉質で硬派そうな男性医師だった。人生とかいろいろ聞かれ、情けなくなったが、

簡単に言えば、

アルコール依存症ではなく、

アルコール中毒の複雑酩酊で、これ以上は危ないということだった。


ここまで読んでくれた人がいるなら、私のここまでの痴態はどうでもいいので、もしやらかしたことがある人がいるならここだけは読んでほしい。


まず、「あー、またあいつアル中だよ、今度は誰付き添う?えー、やだよ、じゃんけん……」という学生時代のくそみたいなやりとりでも登場するアル中、通称アルコール中毒と、アルコール依存症の違いについて、一行で説明する。

前者は飲酒時の状態を指し、後者は主に非飲酒時の状態を指す。


依存症は仕事中に「あー、またくだらない仕事で一日つぶれた、酒でも飲まなきゃ俺が生きてる意味ねぇ」というような、非飲酒時の精神的な渇望からはじまる。「あー、くそ、競馬、騎手のせいで外した、前壁じゃねぇかへたくそ!飲むしかねぇな」という状態。

精神的渇望がさらに過ぎ、毎度、たまには早朝から飲んでいるようになると、今度は身体的依存になる。アルコールがある状態が常で、ないと逆に手が震えたり気分が悪くなったりする。ここまでいくと断酒しか治療法はないそうだ。

そして、最後に認知症など、脳が狂う。これにて人生幕引き。


その精神的依存の手前に、田町の駅前で転がっている私のような、いわゆる「離脱状態」の繰り返しなどが当てはまる。ブラックアウトと呼ばれる。

アルコール依存症は進行性の病らしい。ブラックアウトを繰り返していると、幸の平時からフォールアウトしてしまい、ポリシックスの武道館の名演に脳が破壊されてフミのベースがないと酒飲みてぇとなるような。共白髪で寿命を迎えるなんてもってのほかで、自分が食べ物を溶かして運んで育てた植え込みで絶命するほかない。



依存症一歩手前、現在地を確認した次は、複雑酩酊について。

そもそも酒を飲んでいる時点で全員がアルコール中毒状態である。もちろんゼロから百までト人ト色なので、それそのものを悪とは言えない。

ただし、迷惑をかける輩は、単純酩酊と複雑酩酊に分かれる(あとは病気による酩酊もある)。

単純酩酊は、だんだんろれつが回らなくなり、千鳥足になり、意識が遠のいていき、眠るなどして人に迷惑をかけるタイプ。自分の意識のまま、遥か遠くの桃源郷に一人水分を捨ててまで行く。

対して、複雑酩酊は俗にいう「あいつ酒飲むと人が変わる」状態で、暴力的になったり、狂喜乱舞したりして常識の外に勝手に出ていく無責任野郎の状態。これは、「ああ、あいつと飲むのやめよ」になるし「まぁ、夫がもういやだ。子ども連れて出ていこう」になるし、「なんだあの叫んでるやつ。本当に人間か?あんなやつと選挙権平等なのかよ」と唾を吐きかけられるようになり、植え込みとともに死を迎える。なんなら剪定するおっちゃんに、「死ぬなら外でやってくれや。この植え込みは俺の命なんだわ」と命の天秤に於いても敗北する。


「でも、明後日飲み会で、きっと楽しい。私は自分を自制できないと思うのですが」

と自分で発しながらこれは別の病気に起因しているだろう、と死にたくなったが、「これ、飲酒量を制限する薬」として、処方箋をもらった。セリンクロという。

https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00067881

効果は、「アルコール依存症患者における飲酒量の低減」とされている。どういうメカニズムか分からないが、アルコールによるテンションの起伏が抑えられる。実際飲んでいったら、ビールの味が苦みが増し、悪先輩らが「とりあえず、ビールで!」と叫んでいる中、一向にグラスは空かなかった。それでも、地道に飲んで酔ったが、こんなに気持ちよく酔えるのか、と思うくらい、楽しい宴会になった。

私の場合は。

これは、私の場合だ。運が良かったのだろう。セリンクロに限らず、味覚障害的な催しがある投薬は本当に怖いので、投薬に頼らない精神を培うことで、快哉を叫んでほしい。

ただ、ビールが、うっ、飲めない、くそ、となったとき、ああ、人体も生理か、所詮管にすぎないのだな、とある種の悟りを得た。これは私自身を変えた。

人間は死ぬ。脇は臭くなるし、腹はブヨブヨになる。蚊に噛まれた痕はなかなか治らないし、少し走っただけで息切れする。なんなら十秒その場に立っていることもできなくなってくる。

そういった限界を知っていくことで、なんだか優しくなれた。

町田氏の名著で行った自己認識の到達地点とは違ったアプローチだが、ニアピン賞くらいもらえるところに落ちた。


私は市場に支えられ、誰かの活動なしには生きられない。

それなのに、破壊活動をする。やれ複雑酩酊だ、あっぱれ常識は壊すもんだ、わっしょい縛りがあるから芸術なんだ、と喚き散らし、友人を全員失う前に、私はここで、酒乱を卒業したい。


もし、離脱を繰り返しているなら、本当に、依存症の一歩手前だ。私も実際そうだったのかもしれない。この世の厭世、鬱屈、自己責任論に基づく被害者意識。

でもそれは酒では解決しない。それだけは覚えていたいし、場合によっては、精神科にいってみるといい。ああ、予備軍と、お医者さんに安心されながらも、自分の半生を吐露することで、何か連続した生き物なのに、その連続がブラックアウトするなんて、本当にそれはくそか最強の快楽かいずれかだ、と思うだろう。


酒を飲まなくても楽しいことがある。私はそう、強く思っている。

今まで、ご迷惑をおかけした方々に、謝っても謝り切れないが、ごめんなさい。本当にごめんなさい。

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