見出し画像

伊丹十三映画4Kを観る③ 『タンポポ』〜100%の伊丹映画〜

監督・伊丹十三とは、日本映画史上において、どのような存在なのだろうか。
道半ばで途絶えてしまってから四半世紀。そのあまりにも唐突なピリオド以後、そうした問いが忘れ去られているような気がします。

時代のあだ花だったのか。
映画の革命児だったのか。
趣味人としての贅沢な遊戯だったのか。
今、4Kという品質で伊丹映画をあらためて観るとき、その問いは外せないと思います。

それを考えるとき、伊丹映画のラインナップが、ひとつの道標になります。
以下、公開年と興行収入を列挙します。
(興行収入はWikipediaの記載によります)

1984年 お葬式/12億
1985年 タンポポ/6億
1987年 マルサの女/12.5億
1988年 マルサの女2/13億
1990年 あげまん/10億
1992年 ミンボーの女/15.5億
1993年 大病人/7億
1995年 静かな生活/1.5億
1996年 スーパーの女/15億
1997年 マルタイの女/5億

この並んだ公開年と興収が、伊丹映画のラインナップを決定する大きな要因になったことは、間違いないでしょう。
伊丹映画と言えば、極めて作家性の強い、あるいは極めて独自のスタイルを押し通す映画作家と認識されているかと思います。自ら伊丹プロダクションを立ち上げ、企画・脚本・監督、パブリシティにまで采配をふるったスタイルは、日本映画史においてはかなりレアケースです。
従って、とりあえず伊丹映画に〈インディーズ〉というパラメータを見出すことは、さほど無理なことではないでしょう。デビュー作が非商業映画を扱う ATG(日本アートシアターギルド)による配給であったことも象徴的です。
しかし、言うまでもなく伊丹監督は、マニア受けの芸術作品を目指していたわけではありません。あくまで商業映画であることを鉄則としていた。それは、上記のラインナップを見れば歴然です。
伊丹十三にはヒット監督というイメージがあるかもしれませんが、実際には山あり谷ありの13年間です。そして、谷に沈み込んだ次回作は、必ずコンセプトの練り直しが見て取れます。

インディーズ的でありながら商業的にも成功した監督と言えば、スピルバーグがその筆頭でしょう。あるいは、ハリウッドとは距離を置いて活躍したウッディ・アレンも思い出されます。アレンは俳優や作家業も兼任していましたから、ひとつの指標としていたかもしれません。
伊丹監督がスピルバーグやアレンを目指していたかどうかはともかく、映像をひと目見ただけで伊丹映画とわかるレベルのスタイルを駆使しながら、同時に商業映画としても成立させる、という野望はあったでしょう。なにしろ、伊丹監督が師匠と仰ぐ市川崑もまた、そうした作家性が際立つ監督です。

これは余談ですが、やはり同時代に、インディーズからメジャーに移行した監督として、森田芳光がいます。自主映画からポルノを経て、彼もまたATG作品(『家族ゲーム』)で飛躍しました。
80年代の実写映画は、角川映画によって盛り返した大手映画会社に代わって、テレビ局が製作する映画が大きな興収を上げていました。そうした作品群の是非はともかく、巨額の宣伝費をかけた映画ばかりが予定通りヒットするという状況の中で、裾野を広げる映画が必要とされていたのかもしれません。少なくとも、そこにニッチなエリアがガラガラに空いていたことは事実でしょう。作家性を打ち出したい監督にとっては、チャンスとも言える状況です。
そんな時代に、森田芳光、石井聰亙(現・石井岳龍)らが現われ、伊丹十三もまた、そのチャンスに打って出たひとりでした。

デビュー作『お葬式』は、インディーズに限りなく近い非商業映画と言っていいでしょう。
そのフレームで予想外のヒットを飛ばした伊丹映画は、2作目では東宝配給の作品へと進みます。まさに〈商業的インディーズ〉を実現する切符を手に入れたわけです。

そして制作された『タンポポ』は、大手が配給する映画としては、まさに個人趣味的な作品でした。さまざまな映像が溢れる現代からしたら、それほどまでに個人趣味を感じないかもしれませんが、当時としては「監督が好き放題やってる映画」だったのです(笑)。

まず、オープニングからして(いい意味で)ふざけています。映画館に現われた役所広司が、画面に向かって「そっちも映画館?」と語りかける。(これは、後の『新世紀エヴァンゲリオン』劇場版が観客席を映した場面の先駆けとも言えます)
これは単なるイタズラではなく、「これから観る映画は作り物ですからね。細かい突っ込みはせずに楽しんでくださいね」というメッセージにも取れます。ともかく『タンポポ』は、〈観客と対話をする映画〉として物語の幕を開けます。

『タンポポ』は〈ラーメン・ウェスタン〉というコピーの通り、「ラーメン屋版シェーン」のようなストーリーです。しかし『タンポポ』の独創性は、「ラーメンを題材にした映画」という新規性だけにあるのではありません。苦戦する主人公のラーメン屋を七人の侍のように集めた協力者たちによって再建していくというストーリーは、ラーメン屋タンポポが成功して終わるハッピーエンドであることが、観る前から明らかです。伊丹流の演出を絡めながらも、実直な予定調和として展開していきます。その予定調和をぶった斬るように挿入される、本筋とは一切関係のないショート・エピソード群こそが『タンポポ』を伊丹映画たらしめていることは、今更言うまでもないでしょう。
つまり『タンポポ』は、ラーメン・ウェスタンという一本の映画とともに、いくつもの短編映画が同時上映されているような構成になっているわけです。そして、この映画をそのように分割して考えると、それぞれのラインの趣向が異なっていることが見えてきます。

まず、本流であるラーメン屋のラインは、前作『お葬式』同様、過去の映画からの引用に満ちています。基本であるウェスタンはもちろん、ゴローの入浴シーンはフェリーニの『8 1/2』、ラーメン「大三元」の親子はジョン・フォード『怒りの葡萄』、センセイを送り出すシーンは伊丹万作の『気まぐれ冠者』からの引用です。
一方、挿入されるショート・エピソードは、監督の独創性全開、これまで見たことのない場面ばかり。原泉が食品を潰しまくるエピソードなどは、今ならフェチという言葉で表わせるでしょうけど、当時はほとんどの観客が意味不明だったことでしょう(笑)。キャスティングも、中村伸郎、林成年、津川雅彦、井川比佐志、岡田茉莉子、田中明夫、高橋長英、藤田敏八・・・と、なかなかに豪華。ショート・エピソードに対する監督の意気込みを感じます。

もちろん、本流のラーメン物語も、当たり前に描く伊丹監督ではありません。
うまいなぁと思うのは、例えば「スープの作り方を教えて欲しい」と頼む場面。当然、瞬殺で断わられるのですが、店の端に居た男(二見忠夫)がすり寄って来て、「今日の夜中、うちの店に来るといいよ」と言う。この男、日本人なのに何故か中国人のようないでたちで、何者なのかがさっぱり分からない。男の店に行くと、服を売る店なのか、凄い数の服が下がっていて、通路が迷路のようになっている。ますます不可解(笑)。たんぽぽは身の危険を感じて焦りますが、店の奥に隣のラーメン屋の厨房を覗ける隙間がある・・・というオチ。ラーメン修行というありきたりの展開を、少しでも楽しく見せようとする伊丹監督のサービス精神に溢れた場面です。

また、ショート・エピソード唯一の連続モノとして、役所広司と黒田福美による食べ物ポルノ(監督がメイキングでそう命名している)があります。これは、伊丹映画のトレードマークとも言えるエロ描写を、たんぽぽラインでは出来ない代わりに、思いきり全開にしたエピソードです。

・・・というように、『タンポポ』には伊丹映画のほとんど全てが詰まっていると言えるかもしれません。いや、詰め込んだのでしょう。監督としては、一発屋などとは言わせない、満を持しての作品であったに違いありません。
しかし。
興行収入は、東宝系公開にも関わらず、『お葬式』の約半分に留まりました。
作者の思いだけを詰め込んでも、観客を呼べるわけではない・・・と思ったかどうかは分かりませんが、3作目に向けて方針を練り直したであろうことは、『マルサの女』を見れば想像がつきます。そしてその後、ここまで趣味に振り切った作品を作っていません。『タンポポ』の興行成績が、伊丹十三監督のラインナップを最初に決定づけた瞬間です。

しかしこの『タンポポ』、周知のごとく、アメリカではとても好評を博しました。今回、4K版を再見して、トップクラスに面白いと感じたのもこの作品でした。
『タンポポ』には、グルメブームという当時ならではの時代背景もありますが、食というモチーフの普遍性や、役所広司がオープニングで示したように、これは絵空事(活動写真)であり、星新一のショート・ショートのように時代を特定する要素をほとんど入れない描写に徹したことが、経年劣化しなかった要因なのかもしれません。
この世からいなくなって四半世紀、伊丹十三監督の体温をいちばん感じられるのは、ひょっとしたら、興収のことはまださほど気にしていない時期に、映画への情熱を持って個人的趣味を思いきり出しきった『タンポポ』なのかもしれません。

尚、冒頭で示した10作品のリストの分析は、『マルサの女』以降の項でさらに解き明かしていきます。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?