グラスワンダーと言うエグい競走馬のお話

こんばんは、スギモトです。

note毎日投稿71日目です。

いよいよ明日からGWが始まりますね。

僕は特にこれといった予定は入っていません。

皆さんはどこかに出かけるご予定を着々とブチ込んでいるのではないでしょうか。

せっかくのお休みですから、全力で楽しんでください。

さて、今日は趣向を変えて競走馬について書きたいと思います。

初めにお伝えしますが僕は実際に競馬場に行ったことはありません。

完全に某スマホアプリの影響で競馬の史実にもどハマりしてしまった背景があります。

そこで今回お話しする競走馬は僕がいつか会いに行きたい内の一頭「グラスワンダー」です。

「グラスワンダー」は1995年にアメリカで生を受けました。

親がアメリカの競走馬であったため外車などと言われています。

某ウマ娘では怪我の影響などであまり活躍の場がありませんでしたが、ポテンシャルは本物です。

調教師を「初めて負けないと確信した」とまで言わせる程なのです。

生涯成績15戦9勝、1998年春は骨折で棒に振ったものの、年末には有馬記念を制覇。

1999年にも複数回の怪我に見舞われながら宝塚記念と有馬記念を制し、史上2頭目の「グランプリ三連覇」を達成しました。

同年、JRA賞特別賞を受賞するなど、レーティングではJRA所属の2歳馬として史上最高の評価を受けたといった輝かしい成績を残しています。

そこで僕が特に注目している点は「スペシャルウィークとの関係性」です。

「スペシャルウィーク」は「日本総大将」の異名を持ち、テイエムオペラオーに記録を更新されるまで、当時の日本最高賞金獲得馬です。

この二頭は競馬黄金世代を最前線でしのぎを削りあったライバルでした。

2頭の直接対決がようやく実現したのが1999年の『宝塚記念(GI)』です。

「スペシャルウィーク」が一番人気、「グラスワンダー」が二番人気となっていて、完全に同世代の2強対決のムードです。

4コーナーでスペシャルウィークは先頭に躍り出ますが、グラスワンダーも負けじと直線半ばで並びかけ、2頭の激しい一騎打ちの結果、2強対決はグラスワンダーに軍配が上がりました。

その後、「スペシャルウィーク」は『天皇賞(秋)(GI)』をコースレコードで優秀し天皇賞の春・秋連覇を達成します。

続くジャパンカップではエルコンドルパサーを負かした凱旋門賞馬「モンジュー」がいる中、得意の鋭い脚で差し切ると堂々の勝利を収めGI2連勝と輝かしい成績で、自身にとっての引退レースである有馬記念の舞台へ向けて準備をしていました。

しかし、そこにはまたしても同期のライバル、グラスワンダーが待ち構えていました。

スペシャルウィークにとっては、宝塚記念の雪辱を果たし、そして世代最強を再び証明するまたとない機会です。

ファンファーレがなり、ゲートが開くとグラスワンダーは後方に控え、今度はスペシャルウィークがその後ろに位置取ってライバルをマークします。

ゴール直前で外からグラスワンダーがテイエムオペラオーを捉え、そしてその外からスペシャルウィークが持ち味の鋭い末脚で襲い掛かるといった激アツすぎる展開。

2頭の馬体が並んだところがゴールでした瞬間はスペシャルウィークが差し切ったようにも見え、場内にもスペシャルウィーク優勢ムードが漂い始めました。

グラスワンダーへの雪辱と、秋のGI 3戦全勝での引退を確信して中山競馬場をウイニングランを始めます。

ところが、長い写真判定の結果が表示されると場内は騒然とします。

なんと掲示板の1着のところに表示された馬番はスペシャルウィークの「3」ではなく、グラスワンダーの勝利を示す「7」でした。

ところが、長い写真判定の結果が表示されると場内は騒然とします。なんと掲示板の1着のところに表示された馬番はスペシャルウィークの「3」ではなく、グラスワンダーの勝利を示す「7」。

2頭の差はわずか4cmだったそうです。

「世代最強」と名高い「スペシャルウィーク」と幾度となく互角以上の闘いを魅せてくれたグラスワンダー。

残念なことに「スペシャルウィーク」は既にこの世を去っており、二頭が並んで歩いている姿を見ることは叶いません。

しかし、彼らの激闘は後世に語り継がれ続けることでしょう。

時間を見つけて競馬場にも足を運びたいと思います。

最近は競馬の史実を調べていて胸熱展開すぎて、思わず涙する、なんてことも多々あります。

新たな楽しみを見つけさせてくれたウマ娘には感謝しかありません。

以上、本日は競走馬についてのお話でした。

それではまた明日。

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