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書くこと、忘れること?

新年度。書かなければいけない子供たちの学校の書類が山ほど届く。進級するたびに去年も書いた同じことを新しい紙に何枚も何枚も記入させられる。めんどくせー。そう呟きながらも実はそんなに面倒でもない。私は字を書くのが好き。量が多くて手は疲れるけど、ペンを握って書いているあいだは楽しいので、作業自体はまったく苦ではない。むしろやりたい。途中で曲がったり、バランスの悪い変な字になっても、まあいいか、と別に気にしない。自分の字がわりと好きだから。家族にそう話したら「そんな人いるんだ?」と驚かれた。

小学生の頃に書道を習っていただけで達筆ではないし、個性的な字を書くわけでもない。でも書いていると楽しいので、情緒が安定する。時間を費やして丁寧に書くときもあれば、力を抜いてラフに書きたい気分の日もある。他の人の上手な字を見て惚れ惚れしたり、くせ字や丸文字、読めないくらい雑な字など、人柄が滲み出るような字を眺めるのもとにかく好き。自分と人の字を比べて優劣をつけることもない。うまく書けると達成感が生まれて、ちょっと誰かに見てほしい気持ちが湧いてくる。好きな人に褒められたら嬉しくて、知らない人に褒められても嬉しい。褒められることが目的で書くわけじゃないから、褒められなくても構わない。大勢の人の目に留まってほしいとも特に思わない。学校の廊下にでも飾って、前を通る人のうちの何人かが足を止めて見てくれたらいい。いくらか恥ずかしさはあるけれど、それを上回るような確固たる何かが自分の奥底に潜んでいる感じがする。

いわゆる自己肯定感ってこれだろうか。何に対してもそういうスタンスで取り組めたらいいのにと心底思う。似たような感覚でやれることが他にもあるかなと考えて、文章を書くことがそうだったと思い出した。文字を書くことの先に文章があって、密接につながっている。DJという行為と曲を作ることの関係みたいなもの?違うか。そもそも芸術ではないし、文字を書くのは小学生でもできる。もっとベーシックな作業。むしろ特別じゃないのをわかっているから黙々と取り組めるし、続けられるのかもしれない。

高校生の頃に自主制作で冊子を作っていただけで文才があるわけではないし、個性的な文章を書くわけでもない。でも書いていると楽しいので、情緒が安定する。時間を費やして丁寧に書くときもあれば、力を抜いてラフに書きたい気分の日もある。他の人の上手な文章を見て惚れ惚れしたり、くせのある文章やユーモアに満ち溢れた文章、支離滅裂で意味不明な文章など、人柄が滲み出るような文章を眺めるのもとにかく好き。自分と人の文章を比べて優劣をつけることもない。うまく書けると達成感が生まれて、ちょっと誰かに見てほしい気持ちが湧いてくる。好きな人に褒められたら嬉しくて、知らない人に褒められても嬉しい。褒められることが目的で書くわけじゃないから、褒められなくても構わない。大勢の人の目に留まってほしいとも特に思わない。学校の廊下にでも飾って、前を通る人のうちの何人かが足を止めて見てくれたらいい。素通りする人のことは気にならないし、ひそひそと話す声がしても聞こえないふりをするけれど、わざわざ扉を開けて難癖をつける人がいたら嫌な気分になる。たまたま通りかかったその道のスペシャリストらしき人に細かい点を指摘されればおっしゃる通りでと思うし、書き手の意識が低いと言われたらまあそうなんだろうなと思うし、素性のよくわからない人にこんなの書いて見せるレベルではないだろと言われたらほっといてくれよと思う。

インターネットの海は広い。廊下に飾るような気分でいると、ときどき怪我をする。傷ついて疲れて、休憩して忘れて、また書きたくなって、を繰り返したらいつの間にかnoteの投稿数が100回に到達していた。WARPだったら記念にコンピ盤が出ている。継続は力になるのかわからないけれど、場所があるから続けられて、楽しいから続けられる。いくらか恥ずかしさはあるけれど、それを上回るような確固たる何かが自分の奥底に潜んでいる感じがする。

#エッセイ #自分にとって大切なこと

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