ライターお茶会に行ってきました。

昨日、小池みきさんが開催してくださった
ライターお茶会@関西に参加してきました。

みきさんはcakesのまきむぅさんとの対談がきっかけで
フォローするようになったライターさんです。

小池みき(以下、小池) 要因として大きかったのは、やっぱり両親が二人ともライターだったことかな。文章を読み書きするのも、それについて考えるのも当たり前の環境だったから。特に父の方が、言葉の使い方に厳しかったんだよ。「タブーの言葉」っていうのが結構あって。

牧村 例えば?

小池 「だからぁ」って言っちゃいけない、とか。

牧村 どういうこと?

小池 一度言ったことを聞き返されたときの「だから」ね。「お父さん、今日~~だったよ」「え、どういうこと?」「だーからー、今日~~したの!」みたいな使い方するじゃない?

牧村 ああ。

小池 5、6歳の頃にそう言ったら、父に「下品な言葉を使うな!」って本気で怒鳴られた。その後母に、「その言葉は、『相手の理解不足』を前提としているから考え方として駄目なんだ」ってことを説明されて……そういうことが多い家だったよ。

(このエピソードが印象的で、
「うわーこの『だから』私家族にめっちゃ言ってる...!」ってなった)

私はライター経験者でもライター志望者でもありません。
ただ地元のフリーペーパーに載せてもらってるエッセイが
いつもギリギリまで書けないという悩みに悩みすぎて
欠員が出たとの報を見て急遽参加申し込みしました。



生身のみきさんのお話を
3時間半がっつり聴くことができるというぜいたくすぎる時間。
ただただ、行けて良かった... !

いちばん残ってるのが、
話の途中でさらっと言ってらしたこと。

「なんでもきいてください。なんでも答えます。NGとかないんで」

私「なんでもきいて」と気負わず言える人に弱いので
思わずときめいてしまいました。笑
そして言葉通り、惜しみなく、とことん!!
話してくださいました。

どんな質問にも何かしらの答えを持ってらして、
それをきちんと言語化して伝えてくださる。
もう、とにかく引き出しが多い... !
ひとりひとりの悩みや状況にあわせたアドバイスや意見を、
それまでの話のワードを即興で拾いながら
伝えていく様子はさながら凄腕カウンセラー。
本職のライターさんってすごい... !!!

実際、個別のカウンセリングを
卓の全員でシェアする、という感じでした。
ほかの人へのアドバイスも興味深いし
参考になることが多くて、めっちゃ刺激受けました。

印象的だったお話をいくつか!

「他者のことを書くというのは基本的に暴力的なこと。
 誰だって自分のことを書かれたくないもの。
 それは自分が書かれる側になってみるとよくわかる。
 身近な人を題材にしたいと思ったらとにかく慎重に。
 いちばんいいのは、お互いに相手のことを書いてみること」

書かれる立場を想像したら、
これはもうほんとにそうだな、と。

「ずっと同じトーンで書き続けるのは村上春樹くらいの職人的ストイックさが必要。
 それよりは、気分のムラをもっと出す方がいい。ブログ(=自分の城)ならそれが許される」

私も記事ごとにけっこう揺れてるので
これアリなんだな、良かった、と安心。

誰に届ければいいのかが見えないと書けない。
誰か一人、具体的な読者を想定する。
その人の生活リズムや、どんな場面で読むのかまでイメージしてみる。

これは私の悩みへのアドバイス。
まさに誰に向けて書けばいいのか見えなくて書けなかった... !!
この想定読者をペルソナと呼んでました。
過去の自分でもいいそう。
これはガチで想定しよう。
本当に「その一人」に届けるつもりで書く。

百戦錬磨のライターさんでも書けなくて頭を抱えてる時がある。

「悩みすぎて書けなさすぎて
 締め切り当日の夜中にギリギリ仕上げたのを
 直接編集長の家に投函しに行った」と言ったらそんなこぼれ話も。
なるほどそれなら私程度悩むのも当然だな! と納得。笑

仕事ならスキルの問題だけど
「いかに納得するものを書けるか」は自分との戦い。
アートみたいなもの。

だから趣味は逆に難しい、と。
たしかに、どこをクリアすればいいのか仕事なら基準が明確で
そこを足がかりにできるけれど趣味はそうじゃない。
何をどこまで求めるかは自分の裁量ひとつ、気持ちひとつ。

それから個人的にとても救われる思いだったのが、
ある本について「どうしても読めないんです」と
懺悔のような心持ちで打ち明けたら
実はみきさんもその本を読めなかったこと、
さらにはそのことが今の生き方につながっておられたこと。

好きなことについて掘り下げるのはもちろん大事だけど
自分が何かを「どうしてもできない」ということもまた
大切にしたほうがいいのかもしれないと考えさせられました。

この流れでとても勇気のいる告白をすると、
私はしいたけ占いが読めません。
あと、断捨離のやましたひでこさんの文章も。
どちらもすごく理解したくて
何度かチャレンジしたんだけどダメなんです。

でもきっとこの「読めない」は
自分にとって重要な違和感なんだろうな。
大事にしよう。

最後に、そういう話を直接されたわけではないけれど、
人として健やかであることの大切さ。

長く書くには健やかでないといけない。
それは「書くためには健やかさが必要」ということでもあり、
「魂の健やかさを損なうようなことを書かない」ということでもある。
書いたことを10年後に悔やむようなことは書かない。

と同時に、心を開くことも大事なのが難しいのですが。
開くことには危険が伴うけれど
閉じたままでは何も伝えられないという葛藤。
そもそも一切開かないなら書く意味ないんですよね...
でもさらけだすのこわい、ってぐるぐるしがちな今日このごろ。

「私は魂のエグ味が見たい!!」

というみきさんの叫びを胸に
もう少しゴリゴリと自分を出していきたいです(野望)

※ここに書いた「みきさんの発言」は私の記憶と理解に基づくものであり、
 この記事の文責は私にあります。


※12/16
みきさんが当レポートをご紹介くださいました。ありがとうございます。
https://twitter.com/monokirk/status/1074527280376889344

※5/13
私が思う『魂のエグみを感じる作品』について記事を書きました。
https://note.mu/suger/n/n4e73498e0757

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