ライターお茶会に行ってきました。
昨日、小池みきさんが開催してくださった
ライターお茶会@関西に参加してきました。
みきさんはcakesのまきむぅさんとの対談がきっかけで
フォローするようになったライターさんです。
小池みき(以下、小池) 要因として大きかったのは、やっぱり両親が二人ともライターだったことかな。文章を読み書きするのも、それについて考えるのも当たり前の環境だったから。特に父の方が、言葉の使い方に厳しかったんだよ。「タブーの言葉」っていうのが結構あって。
牧村 例えば?
小池 「だからぁ」って言っちゃいけない、とか。
牧村 どういうこと?
小池 一度言ったことを聞き返されたときの「だから」ね。「お父さん、今日~~だったよ」「え、どういうこと?」「だーからー、今日~~したの!」みたいな使い方するじゃない?
牧村 ああ。
小池 5、6歳の頃にそう言ったら、父に「下品な言葉を使うな!」って本気で怒鳴られた。その後母に、「その言葉は、『相手の理解不足』を前提としているから考え方として駄目なんだ」ってことを説明されて……そういうことが多い家だったよ。
(このエピソードが印象的で、
「うわーこの『だから』私家族にめっちゃ言ってる...!」ってなった)
私はライター経験者でもライター志望者でもありません。
ただ地元のフリーペーパーに載せてもらってるエッセイが
いつもギリギリまで書けないという悩みに悩みすぎて
欠員が出たとの報を見て急遽参加申し込みしました。
*
生身のみきさんのお話を
3時間半がっつり聴くことができるというぜいたくすぎる時間。
ただただ、行けて良かった... !
いちばん残ってるのが、
話の途中でさらっと言ってらしたこと。
「なんでもきいてください。なんでも答えます。NGとかないんで」
私「なんでもきいて」と気負わず言える人に弱いので
思わずときめいてしまいました。笑
そして言葉通り、惜しみなく、とことん!!
話してくださいました。
どんな質問にも何かしらの答えを持ってらして、
それをきちんと言語化して伝えてくださる。
もう、とにかく引き出しが多い... !
ひとりひとりの悩みや状況にあわせたアドバイスや意見を、
それまでの話のワードを即興で拾いながら
伝えていく様子はさながら凄腕カウンセラー。
本職のライターさんってすごい... !!!
実際、個別のカウンセリングを
卓の全員でシェアする、という感じでした。
ほかの人へのアドバイスも興味深いし
参考になることが多くて、めっちゃ刺激受けました。
印象的だったお話をいくつか!
「他者のことを書くというのは基本的に暴力的なこと。
誰だって自分のことを書かれたくないもの。
それは自分が書かれる側になってみるとよくわかる。
身近な人を題材にしたいと思ったらとにかく慎重に。
いちばんいいのは、お互いに相手のことを書いてみること」
書かれる立場を想像したら、
これはもうほんとにそうだな、と。
「ずっと同じトーンで書き続けるのは村上春樹くらいの職人的ストイックさが必要。
それよりは、気分のムラをもっと出す方がいい。ブログ(=自分の城)ならそれが許される」
私も記事ごとにけっこう揺れてるので
これアリなんだな、良かった、と安心。
誰に届ければいいのかが見えないと書けない。
誰か一人、具体的な読者を想定する。
その人の生活リズムや、どんな場面で読むのかまでイメージしてみる。
これは私の悩みへのアドバイス。
まさに誰に向けて書けばいいのか見えなくて書けなかった... !!
この想定読者をペルソナと呼んでました。
過去の自分でもいいそう。
これはガチで想定しよう。
本当に「その一人」に届けるつもりで書く。
百戦錬磨のライターさんでも書けなくて頭を抱えてる時がある。
「悩みすぎて書けなさすぎて
締め切り当日の夜中にギリギリ仕上げたのを
直接編集長の家に投函しに行った」と言ったらそんなこぼれ話も。
なるほどそれなら私程度悩むのも当然だな! と納得。笑
仕事ならスキルの問題だけど
「いかに納得するものを書けるか」は自分との戦い。
アートみたいなもの。
だから趣味は逆に難しい、と。
たしかに、どこをクリアすればいいのか仕事なら基準が明確で
そこを足がかりにできるけれど趣味はそうじゃない。
何をどこまで求めるかは自分の裁量ひとつ、気持ちひとつ。
*
それから個人的にとても救われる思いだったのが、
ある本について「どうしても読めないんです」と
懺悔のような心持ちで打ち明けたら
実はみきさんもその本を読めなかったこと、
さらにはそのことが今の生き方につながっておられたこと。
好きなことについて掘り下げるのはもちろん大事だけど
自分が何かを「どうしてもできない」ということもまた
大切にしたほうがいいのかもしれないと考えさせられました。
この流れでとても勇気のいる告白をすると、
私はしいたけ占いが読めません。
あと、断捨離のやましたひでこさんの文章も。
どちらもすごく理解したくて
何度かチャレンジしたんだけどダメなんです。
でもきっとこの「読めない」は
自分にとって重要な違和感なんだろうな。
大事にしよう。
*
最後に、そういう話を直接されたわけではないけれど、
人として健やかであることの大切さ。
長く書くには健やかでないといけない。
それは「書くためには健やかさが必要」ということでもあり、
「魂の健やかさを損なうようなことを書かない」ということでもある。
書いたことを10年後に悔やむようなことは書かない。
と同時に、心を開くことも大事なのが難しいのですが。
開くことには危険が伴うけれど
閉じたままでは何も伝えられないという葛藤。
そもそも一切開かないなら書く意味ないんですよね...
でもさらけだすのこわい、ってぐるぐるしがちな今日このごろ。
「私は魂のエグ味が見たい!!」
というみきさんの叫びを胸に
もう少しゴリゴリと自分を出していきたいです(野望)
※ここに書いた「みきさんの発言」は私の記憶と理解に基づくものであり、
この記事の文責は私にあります。
※12/16
みきさんが当レポートをご紹介くださいました。ありがとうございます。
https://twitter.com/monokirk/status/1074527280376889344
※5/13
私が思う『魂のエグみを感じる作品』について記事を書きました。
https://note.mu/suger/n/n4e73498e0757
ありがとうございます。頂いたサポートは全額、素敵な記事へのサポートに使わせて頂きます。